第13話 閑話休題・国家社会主義

 ナチスというと絶対悪にして版権フリーな便利素材と思われがちだが、もちろん違う。

 これはファシストというレッテル張りの悪影響だろう。

 まず自由および資本主義とは、小さな政府で干渉は最小限とし、自由な経済活動を良しとする考えだ。

 ……その中心に善悪を持たないのがオリジナルな特徴か。

 そして共産および社会主義は、大きな政府で全てへ干渉し、完全な管理経済を目指す。

 ……最終目的が理想社会の成立であり、実のところ根本は正しかった。

 しかし、ファシズムは、どちらもでもない。

 事実として戦前の日本は自由および資本主義でもなかったし、共産および社会主義でもなかった。

 ドイツも似たようなものだし、ファシズムの語源的にイタリアもだ。

 そして右でも左でもなく、いわば中道路線だったから……左右の両陣営から異端視された。

 異教よりも異端。全く違うものよりも、自分とよく似た相容れられないものを人は憎む。

 例えば大日本帝国の国是は『富国強兵』だが、これは右でも左でもない。そして素直に意味を読み解けば、今日でも通じる正しさがある!

 お金持ちで、万が一にケンカを売られても負けない。これを目指すことは悪でも何でもないからだ。

 なぜなら『強い』と『乱暴者』は異なるから。『強い』と『侵略戦争をする』は別の話だからだ。

 ナチス・ドイツも似たような方針を打ち出している。

 つまり、ドイツ人の理想社会である第三の祖国ドリテス・ライヒ――第三帝国を目指した。

 ドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人の為の理想国家だ!

 そしてドイツ・ファーストでもある!

 だが、それのどこに悪があるのか?

 ここで日独の違いが見受けられるのは、そもそも日本は神国と自認していて、目標に理想社会を必要としなかっただけだ。

 これらファシズムの問題点は、視野が狭いことだろうか。

 最初の目標が自国の繁栄であり、ゴールも同じなので……他国との関係が完全に抜け落ちていた。

 それが最大の欠点であり、戦争へ舵を切りやすい原因でもある。


 また、ナチスの根底に人種偏見があるともいわれるが、それは時代を理解できてない証拠だ。

 たとえば第二のKKK団――一般人でもよく知る例の覆面を被って暴力行為などの最盛期は一九二五年、ヒトラーがフューラーと――党の最高指導者となった四年でしかない。

 そしてアメリカ白人男性の七人に一人が、団員だった。

 少年期に感化された者も含めれば二割――進駐軍の将兵はもちろん、政府官僚まで含めて――は、同程度の過激な差別主義者といわねばならない。

 さすがに第二のKKK団は一九三〇年には終息するも、有名なキング牧師やマルコムXが活動開始するのは五〇年代後半――第二次世界大戦後である。

 実際、進駐軍などはジム・クロウ法に則り、ほぼ全員が白人で構成されていた。

 この法律は人種隔離政策であり、一応は黒人だけの部隊も存在したが……捨て駒として利用したという話すらある。

 そしてアメリカですら、極め付きの差別政策をしていた。日系人の強制収容だ。

 これは程度問題の違いはあれど、アメリカ版アウシュヴィッツにも近い。

 だが、もちろん日本人の手だって汚れている。

 比較的に差別しなかった方という説もあるが、自国民を一等から三等までに分類する身分制度を導入していた。今日の基準では、当然に人権蹂躙だ。

 つまりは誰も彼もが、隙あらば人種差別していた時代という他ない。……もしくは、されていたかだ。

 よってナチスの人種的偏見および迫害を非難してよいのは、実害を被ったユダヤ人だけだろう。

 それ以外の者が口にするのは筋違いだし――ナチスだけを絶対悪とする論拠にも相応しくない。


 あとは侵略戦争を起こしただとか、それに負けただとかもあるが……それこそ当事者だけが文句を言う権利がある。

 他国へ攻め入って領土を切り取る時代の終焉といっても、まだ最中ではあったのだから!

 また戦争責任というのも、実は不思議な話だ。

 どこの国のリーダーであろうと、他国の繁栄や平和、安全に責任を持ってはいない。なぜなら共同体の一員ではないからだ。

 日本人は「敗将の処刑も止む無し」といった感性を持っているが……これも国際標準ではおかしい。

 そもそも勝った国が要求できるのは賠償と報復だけで、責任を求めるのは筋違いだ。

 どこの国の将兵であろうと、他国の平和を脅かしたという罪状で裁かれる謂れはない。

 これならストレートに報復で見せしめといわれた方が、実は納得できる。


 つまり、ナチスは悪ではない。

 少なくとも彼らなりの大義名分を持った集団だった。

 第二次世界大戦は、全ての国が自分達の正義をぶつけ合った結果でしかない。

 勝った勢力が正しいのではなく、強かったから勝った。


 ……そう強弁できてしまうのが、実は最も厄介だ。


 非常に変わったナチス規制の見解が――特にナチス・ファッションを規制する合理的な説明がある。

 それは――


『ナチスはかっこいい。そこに全ての問題点がある』


 というものだ。

 事実、ナチス親衛隊の制服などは定期的に若者文化へ取り込まれ、そのたびに物議を醸している。

 歴史を知らない者にとって最初に接するナチス文化は、あの独特なファッションなのだ。

 そして呼び水の如く古い水脈をも蘇らせる。

 これは日本人の男子なら、その実例を知っているはずだ。

 某国民的ロボット戦争アニメの敵国は、誰もが察しているようにナチスをモデルとしている。

 あれも主義主張より先にファッションが若者を惹きつけ、それから一部の根強い特殊な信者を生んだ。

 彼らは設定などを自発的に読み込み、ついには敵国の掲げた大義へ理解を示す! 都合よくデフォルメされた紛い物に過ぎないのに!

 これほどにナチス・ファッションは優秀だ。

 もちろん本物へ惹きつけられても、同じ轍を踏まさせられる。

 歴史を全く知らない無知な若者がファッションから傾倒し、さらには拗らせ政治の勉強なども始め――

 「ナチスは悪ではない」と強弁できることに気付いてしまう。

 そこからは坂道を転がり落ちるかの如くだ。

 幼稚なファシストとして一端の口を利くようになり、いつしか行動的なネオ・ナチへと身を投じる。

 いまなおヨーロッパの恐れる悪夢であり、いまも世界のどこかで起きている現実だ。

 おそらくヒトラー最大の業績は、ナチス・ファッションという現代アートを創ったことだろう。

 優れたアートの証明として追随者フォロワーも――同じ構図を持つISISも誕生している。

 ……ある種の若者にとってはイスラム戦士もまた、かっこいいのだという。


 そして誰もが同じ結論へと導かれる。

 善悪ではない。歴史を善悪で論じるのは、最も愚かだが……とにかく善悪の問題ではなかったのだ。

 これは裸火のようなもので、玩び続ければ、いつか必ず火事を起こしてしまう。ましてや扱うのが子供であれば、なおさらに!

 危険なものだから制限し、封印する。

 それは英知の類だ。

 決して恨みだけを理由にしてたり、偏見が裏返って別の偏見を生んだわけではない。


 自分達の、自分達による、自分達の為の、自分達を優先した――理想の世界。

 確かに美しく、

 けれど個人、夫婦、家族、一族、血族、地域、国家、人種……主語が大きくなればなるほど歪みも拡大していく。

 そして避けてはならない問いも残されている。

自分達あなたたち以外の私達は?」

 万人の納得する答えを得るまで、ファシズムは認められやしない。……おそらくは永遠に。

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