第3話 彼女達の理

 とにかく食べようと、一同は再び仕切り直す。

 が、銀シャリ――白米だけの握り飯を片手に、三世みつよは沈んでいた。

「大丈夫よ、大神おおかみさん! 皆の分も買い付けてきたから! その……さすがに麦御飯となってしまうけど……明日は御替わり自由にしちゃおうかしら!」

 お道化た微笑は、意思の強さと女性的な優しさを同時に感じさせる。

 いや、そうだからこそ峰子みねこは彼女達三人の司令塔とも認められたし、まだ十代の若さで雛里高等女学校の理事長職を立派に務めているのかもしれなかった。

「……うん、美味いね。久しぶりだけど銀シャリは美味しいなぁ! 日本人に生まれてよかったと思う瞬間だ!」

 三世みつよもまた、仲間たちを心配させまいと強いて笑顔を作る。


 終戦四年目となる一九四九年、いまだ日本の食糧事情は改善されていなかった。

 非正規の流通食料――いわゆる闇米を拒否した山口良忠裁判官が餓死されたのは、一九四八年の冬。三世みつよたちにとっては、まだ一年経つか経たないかの最近で――身近な話だ。

 連合国軍最高司令官総司令部――GHQによって厳しく報道制限されていたが、やはり日本全国各地で餓死者は珍しくなかった。

 なぜなら配給だけでは、一日に一〇〇〇カロリー程度しかない。もっとも原始的な生命の危機に、日本人全員が曝されていた時代ともいえる。


三世みつよ先輩! 食べるのも仕事のうちであります! それに『稼ぎに追いつく貧乏なし』というではありませんか! 働けばいいのであります!」

「心尽くしは受け取るべきよ、三世みつよ。でも、近く水飴が統制を解かれるらしいじゃない? もし一山当てられたら、学校の皆に振舞ってあげたいところね」

 どちらかというと二人は、あまり気にしない質のようだった。……そう見せかけているだけかもしれないが。

 それに決して潤沢とはいえない備蓄から大盤振る舞いされているのは、特配と――戦地へ赴く兵士達への心遣いと何ら変わりはない。

 そうやって男達は死地へと送り出され、そのほとんどが帰らぬ人となっていた。

 ほんの五年前まで当たり前に起きていた悲劇であり……日常だ。彼女達を含め、この時代の誰もが経験している。

 そして次は自分たちの番。ただそれだけのシンプルな話なのかもしれなかった。

「水飴でありますか! 甘いものは大歓迎であります! 自分は久しぶりに汁粉が食べたいのであります!」

「小豆が配給制だろ。難しいんじゃないか? 配給切符に余裕ある?」

「けっこう安い方なんじゃない、闇市では? どうだった?」

「まあ、まあ……だったかな? 東京は品揃えが良くなっているというか……ドルなら何でも買える感じなのよね」

 三人は闇市に――というよりも遠出した峰子みねこが見てきた東京の様子に興味津々らしかった。つまるところ、この場には若い娘しかいない証拠か。


 そして終戦直後の、もう一つの真実も見受けられる。

 餓死者が出るほど困窮しているのと同時に、資金さえあれば物資は入手可能でもあったのだ。

 この翌年となる一九五〇年の冬、時の大蔵大臣が――今日でいうところの財務大臣が「貧乏人は麦を食え」と発言を捏造されるも……それは強い説得力を持っていた。

 ようするに怒れる民衆ですら、貧乏でなければ麦を食わずに済むと理解していた証拠に他ならない。

 なぜか商品としての物資はある。理由は察するしかないが、とにかくあるのだ。


「そこまでドルが? また円の切り下げするんじゃないだろうな?」

 などと介子よしこは冗談めかすも……実のところ、さすがの慧眼だ。

 この年の四月に、また円は切り下げ――一ドル三六〇円まで暴落する。現時点で一ドル二七〇円であるから――

「貴方の持っている円は二十五パーセントの価値を失います」

 と言われるも同然だったりする。

 仮に百万円を持っていても切り下げられた瞬間、それまでの七十五万円分しか物が買えなくなるからだ。

介子よしこ先輩を見習って手元の円は、食料品かドルへ変えておけば良いのであります」

 このゆきの発言は妥当に思えるかもしれない。

 しかし、外為法という外貨との両替を制限する法律があったので、この当時では違法行為だ。……彼女たちは気にも留めないかもしれないけれど。

「いや、でも……心配するほど現金あるの、峰子みねこちゃん? 東京じゃ色々と必要だったんでしょ?」

「だ、大丈夫よ! そんなに賄賂は要らなかったから! 教授の招致で入用になりそうだけど……それも即金ではないでしょうし!」

「じゃあ、うまくいったんだ?」

「ええ、安心して。本校は無事に大学も備えた――最高学府までの一貫教育を担う教育機関になるわ!」

「おお! それはめでたいのであります!」


 それは彼女達四人、特に学校経営者たる峰子みねこの心へ重く圧し掛かった懸案事項だった。

 なぜなら一九四七年の春から日本の学校教育は新制度へと変わっている。

 しかし、それまで六・四・一・三・三制または六・五・二制だったところを、今年から六・三・三・四制といわれても、スムーズに対応できる訳がなかった。

 三世みつよ介子よしこなどは、旧制高等女学三年生だったところで去年からは中学三年生へ。さらに今年からは高校一年生。そして春に新年度を向かえたら二年生へ進級だ。

 一つ年下のゆきも同じようなもので、結局のところ名称が変わっただけともいえる。

 が、一つ年上の峰子は本来なら今年は予科生だったところ、急遽高校二年生ということで予定が変わった。

 さらに上の学年――今日でいうところの短大生や大学生は大混乱だ。……居場所がなくなったと感じて学園を去った者も少なくない。


「じゃあ、お姉さま達もお戻りに!」

「その……ほとんどの方は……新しい生活があるからって……どこへお行きになったのか分らない方も多くて……」

 勢い込む三世みつよへ、峰子みねこは悲しげに首を振る。

 女にとって学生であるということは、誰かの庇護を必要した。……苦学生という方法ですら、まだ選択が許される時代ではない。

 そもそも雛里高等女学校は私学な上に、全寮制という尚更に費用のかかるシステムでもある。

 平和な時代でも安くは済まなかったのに、時代の奔流に飲まれ擁護者を失うものが続出した。……学園の他には行き場のない娘すらいるほどだ。

 しかし、どうしても集金せねば立ち行かない。気持ち的には「お金なんていらない」といいたくとも、運営資金は絶対に必要だ。

 もちろん峰子みねこは学費や寮費の滞納を認めていたし、三世みつよたちも運営資金を掻き集めるべく奔走はしたが……その経営が苦しいのは誰の眼にも明らかだった。

 結果、自ら学を退く者もでてくる。

 しかし、それで何ができよう?

 寄る辺もない身の上で女一人、身を立てられる方法なんて限られている。幸運にでも恵まれねば、苦界へ身を沈める他なかったし……それが珍しい時勢でもなかった。


 せめて動乱の時代が終わるまで。なんとか嵐の過ぎ去るまで。どれだけ手が汚れようと、一人でも多くの学友を守る。

 ……その決意だけが三世みつよたちを支えていた。

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