トワイライトパレス
闇世ケルネ
第1話
カツン、カツンと靴音が響く。
長く伸びた鉄の
回廊を行く女の表情は、硬い。
(我が喜びが狼によって飲み干される時、二度目の悲哀が私を襲う……)
女の頭に独白が響く。
(月と太陽が
口元をきゅっと引き結び、女は歩く足を徐々に速める。やがて、回廊は行き止まりに差し掛かり、薄い青に輝く巨大な鋼の門が姿を現した。女が門扉に手の平を押し当てると同時、門は表面に青白いラインを駆け巡らせて左右に開く。
女がゆっくりと開く扉の隙間に滑り込んで抜けた先、そこは巨大な円筒形の空間であった。壁には無数の
女は靴音を鳴らしながらオブジェの足元に歩み寄り、玉座を見上げた。強張った表情のまま、女が告げる。
「あなた。月と太陽が消えました」
「知っている」
老人は答え、さらに続けた。
「そして、次は星々が失せる。地上の一切が
「その軍勢とは大いなる人どもであり、狼と蛇が戦列に加わっている。爪の船、炎の剣を持つ者どももやってくる」
「その通りだ」
機械の大兜がひとりでに持ち上がり、老人の顔が露わになった。片目は潰れており、隻眼。残った瞳が女を見下ろす。
「我が喜びよ、
女は硬い表情のまま、問うた。
「あなた。自らの結末を見ましたか」
「…………なるほど」
老人は
「そういうことか、我が喜びよ。お前もまた、星の行く末を見る目を持つ者。見たのだな? 我の死を」
女は無言で
「
「……すみません。ですがあなた」
女が下唇を噛みしめる。
「やはり行かれるのですか。わかっていても」
「
老人は言った。
「征かざるを得ぬ。我らが同胞、我らが世界の名の下に。例え無惨に果てる定めであろうと、無様を
老人が指先で肘掛けをつつく。彼の頭上で大兜が形を変えて球状になり、四方八方に光を放った。空間内に砂嵐めいた光が渦巻き、次の瞬間一面の銀世界を映し出す。しんしんと降り積もる雪。そこをうろつくのは両腕に大きな刃を備えた機械人形の集団。しばらくして空気が震え、巨大な狼型の機械が現れた。
機械の巨狼は前足で雪に穴を掘り、口を突っ込む。引きずり出したのは人型の肉塊。首を振り上げ、宙に放った肉を食う狼を眺めて老人が呟いた。
「冬が来た。風が吹き、剣が人の身を裂き、
女は黙って雪景色の幻影を見つめていたが、ややあって老人の方を振り向いた。
「王よ、非礼を承知で申し上げます。あなたが
老人は答えず、ただ目を閉じた。その時、空間の遥か上空から二重螺旋を描いて落下する鳥影が二つ。空より来た二体の
「……そうか」
老人は立ち上がる。羽織っていたマントを剥ぎ取り、鋼鉄の肉体が
『同胞達よ、
耳鳴りめいた音。女が眉をひそめて耐える間、玉座を囲む影の一人が老人の足元に片膝をついた。
『父上、遂に戦いですか』
『ようやくか。待ちわびたぜ!』
別の一人が両の拳を打ち合わせる。
『あの
『
老人が拳を打ち合わせた影をなだめた。また
『我が王。私は首の泉に向かいます。角笛を吹かねば』
『では、私は軍備を進めます。戦乙女達を指揮する権利を』
『わかった。私もすぐ泉へ向かう。担保を戻さねば』
口々に役目を語る影の者達。女は口を動かさず、思考のみで問いかける。
『戦に出るのですか、王よ』
『うむ。……すまぬな。これが、我らの
老人は両手を広げ、遥か高みにある天井を
『陽はまた昇る。我らアースに無くなろうとも、日輪は再度世界を照らすだろう。お前は、その後の世を夢に抱いて眠るがいい。我が喜びたるフリッグよ。
ガゴンと音を立て、壁を埋め尽くす脳が吸い出されるように消えていく。響く女の電子音声。英霊受肉、戦闘義体との同調開始。玉座を囲う影達が、女を見やった。
『母上、ご安心ください。このヴィーザル、全霊を以って勝利を掲げて見せましょう。偉大なりし父上と共に』
『ハン! 心配しなくても、奴自身が作ってくれたこの
『心配には及ばぬよ、トール殿。鹿の角があれば十分だ』
『そうかい。せいぜい、死なねえようにな』
『そちらもな。油断、慢心の末、あの
『抜かせ!』
老人は軽口を叩き合う影たちを見回す。空気を察し、静まり返る彼らの前で、老人の足元の床が開いて一本の機械槍が
「征くぞ! アースの民に栄光あれ!」
影達は一斉に背筋を伸ばし、右拳を胸元にあてがった。彼らの姿は一瞬にして消え失せ、老人の背中からケーブルが外れる。老人はマントを羽織ってオブジェの階段を降り、女の隣をすれ違った。
「行ってくる。黄昏のあと、我らが息子達を頼む」
静かに告げて立ち去る老人の背を、女はゆっくり振り返る。彼女は祈るように両手を合わせ、静かに顔を
「行ってらっしゃいませ、我が喜びたるオーディン王。黄昏に、光あれ」
トワイライトパレス 闇世ケルネ @seeker02
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