トワイライトパレス

闇世ケルネ

第1話

 カツン、カツンと靴音が響く。

 長く伸びた鉄の回廊かいろう。上下左右を走る無数のラインが青白い光を灯し、歩く女の姿を照らす。女は豪奢な黄金色のドレスを着込み、大きく膨らんだスカートを引きずるようにして進む。両目を緑色のサングラスで覆い、金の前髪を上げて晒した額からは二本のケーブルが伸びていた。

 回廊を行く女の表情は、硬い。

(我が喜びが狼によって飲み干される時、二度目の悲哀が私を襲う……)

 女の頭に独白が響く。

(月と太陽がせた事と無関係であるはずはない。あれは、あの大嘘吐きの飼い犬がもたらした災いなのだから……!)

 口元をきゅっと引き結び、女は歩く足を徐々に速める。やがて、回廊は行き止まりに差し掛かり、薄い青に輝く巨大な鋼の門が姿を現した。女が門扉に手の平を押し当てると同時、門は表面に青白いラインを駆け巡らせて左右に開く。

 女がゆっくりと開く扉の隙間に滑り込んで抜けた先、そこは巨大な円筒形の空間であった。壁には無数の硝子ガラスケースが嵌め込まれ、中にはケースひとつにつき一個、人の脳が浮いている。空間の中央、小高い山めいたオブジェの上には機械式の玉座がひとつ。座っているのは、青いマントを羽織り、灰色のヒゲを蓄えた老人。目元までを覆う機械の大兜おおかぶとを被り、その表情は伺い知れない。

 女は靴音を鳴らしながらオブジェの足元に歩み寄り、玉座を見上げた。強張った表情のまま、女が告げる。

「あなた。月と太陽が消えました」

「知っている」

 老人は答え、さらに続けた。

「そして、次は星々が失せる。地上の一切が灰塵かいじんと化し、その次は我らに仇成す軍勢が来る」

「その軍勢とは大いなる人どもであり、狼と蛇が戦列に加わっている。爪の船、炎の剣を持つ者どももやってくる」

「その通りだ」

 機械の大兜がひとりでに持ち上がり、老人の顔が露わになった。片目は潰れており、隻眼。残った瞳が女を見下ろす。

「我が喜びよ、如何いかにした。何を急いてみやより出て来た」

 女は硬い表情のまま、問うた。

「あなた。自らの結末を見ましたか」

「…………なるほど」

 老人はヒゲを撫でつけ、頷く。

「そういうことか、我が喜びよ。お前もまた、星の行く末を見る目を持つ者。見たのだな? 我の死を」

 女は無言であごを引く。老人はヒゲを撫でつけて言った。

い。お前の姿をここで見た、それこそ何よりの証。お前が語らなくとも、行動は何より雄弁である。お前の宮にある時の神器しんきは、この玉座よりもすぐれたものだ」

「……すみません。ですがあなた」

 女が下唇を噛みしめる。

「やはり行かれるのですか。わかっていても」

く」

 老人は言った。

「征かざるを得ぬ。我らが同胞、我らが世界の名の下に。例え無惨に果てる定めであろうと、無様をさらして逃げるにあたわず。敵軍が我が義兄弟を将とあおぐのであれば、なおさらよ」

 老人が指先で肘掛けをつつく。彼の頭上で大兜が形を変えて球状になり、四方八方に光を放った。空間内に砂嵐めいた光が渦巻き、次の瞬間一面の銀世界を映し出す。しんしんと降り積もる雪。そこをうろつくのは両腕に大きな刃を備えた機械人形の集団。しばらくして空気が震え、巨大な狼型の機械が現れた。

 機械の巨狼は前足で雪に穴を掘り、口を突っ込む。引きずり出したのは人型の肉塊。首を振り上げ、宙に放った肉を食う狼を眺めて老人が呟いた。

「冬が来た。風が吹き、剣が人の身を裂き、大狼たいろうが死肉を食い漁る、地獄の如き季節であった。月と太陽は二匹の狼に食われ、次は星々が落ちる……。生きとし生きるもの全てが滅び、あらゆるかせが外される。奴めはその時出てくるのだろう。数千年毒にさらされた恨みを元に、息子たちと血族を率いて」

 女は黙って雪景色の幻影を見つめていたが、ややあって老人の方を振り向いた。

「王よ、非礼を承知で申し上げます。あなたがちぎりを交わしたの者は、我らに多くの災い、多くの苦難を運んできました。果てには同胞達の秘を暴露して大恥をかかせた挙句、次には軍を率いて攻め入るなどと……。元よりの者は敵対者の血を引く男。ちぎりを交わしたのは、あなたにとって最大のあやまちだったのではありませんか」

 老人は答えず、ただ目を閉じた。その時、空間の遥か上空から二重螺旋を描いて落下する鳥影が二つ。空より来た二体の機械鴉きかいからすは老人の両肩に止まり、背中から伸ばしたケーブルを老人のうなじに突き刺した。

「……そうか」

 老人は立ち上がる。羽織っていたマントを剥ぎ取り、鋼鉄の肉体があらわとなる。背骨に沿って縦一列にならんだ穴に、玉座の背もたれから伸びたケーブルが順に突き刺さっていく。空間を染め上げていた銀世界の幻影が掻き消え、代わりに玉座を取り囲む形で人型の影が出現。その上空には光り輝く甲冑かっちゅう姿の少女達。老人の発する声が女の脳裏に響き渡った。

『同胞達よ、つどうがいい。乙女達は英霊達に肉をあてがえ。戦いの時だ!』

 耳鳴りめいた音。女が眉をひそめて耐える間、玉座を囲む影の一人が老人の足元に片膝をついた。

『父上、遂に戦いですか』

『ようやくか。待ちわびたぜ!』

 別の一人が両の拳を打ち合わせる。

『あの悪戯小僧いたずらこぞうにゃ、一撃叩き込んでやりたかったんだ! 俺に先陣を切らせてくれ、王! 必ず討ち取ってやるからよ!』

くな、轟く者よ』

 老人が拳を打ち合わせた影をなだめた。またとがみみを持つ影と隻腕の影がうやうやしく頭を下げる。

『我が王。私は首の泉に向かいます。角笛を吹かねば』

『では、私は軍備を進めます。戦乙女達を指揮する権利を』

『わかった。私もすぐ泉へ向かう。担保を戻さねば』

 口々に役目を語る影の者達。女は口を動かさず、思考のみで問いかける。

『戦に出るのですか、王よ』

『うむ。……すまぬな。これが、我らの黄昏たそがれとなる。来るのは夜だ。我らにとって、永劫えいごうけぬよいが来る。だが案ずるな、我が喜びよ』

 老人は両手を広げ、遥か高みにある天井をあおいだ。

『陽はまた昇る。我らアースに無くなろうとも、日輪は再度世界を照らすだろう。お前は、その後の世を夢に抱いて眠るがいい。我が喜びたるフリッグよ。黄金こがねみやとこにつけ。明日には……全て済んでいる』

 ガゴンと音を立て、壁を埋め尽くす脳が吸い出されるように消えていく。響く女の電子音声。英霊受肉、戦闘義体との同調開始。玉座を囲う影達が、女を見やった。

『母上、ご安心ください。このヴィーザル、全霊を以って勝利を掲げて見せましょう。偉大なりし父上と共に』

『ハン! 心配しなくても、奴自身が作ってくれたこの雷槌らいついで全部まとめて叩き潰してやるぜ。お前はどうなんだ? フレイ。見合いの時に剣差し出したって言ったけどよお』

『心配には及ばぬよ、トール殿。鹿の角があれば十分だ』

『そうかい。せいぜい、死なねえようにな』

『そちらもな。油断、慢心の末、あの悪童あくどうの悪ふざけに何度もひっかかった貴殿だ。戦場では、そうならぬよう』

『抜かせ!』

 老人は軽口を叩き合う影たちを見回す。空気を察し、静まり返る彼らの前で、老人の足元の床が開いて一本の機械槍がした。老人は槍をつかんで掲げ、肉声で号令を放つ。

「征くぞ! アースの民に栄光あれ!」

 影達は一斉に背筋を伸ばし、右拳を胸元にあてがった。彼らの姿は一瞬にして消え失せ、老人の背中からケーブルが外れる。老人はマントを羽織ってオブジェの階段を降り、女の隣をすれ違った。

「行ってくる。黄昏のあと、我らが息子達を頼む」

 静かに告げて立ち去る老人の背を、女はゆっくり振り返る。彼女は祈るように両手を合わせ、静かに顔をうつむけた。

「行ってらっしゃいませ、我が喜びたるオーディン王。黄昏に、光あれ」

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