第56話 祭りの後
学校に帰ってきたのは、後夜祭が終わる少し前だった。
ありがちなフォークダンスのイベントだけど、以前は相手がいなくて苦痛だったのが、今は楽しげな光景に見えるのだから現金なものだ。
「よ、お帰り」
「どうだった?」
クラスメートが俺達に気付き、声を掛けてくれる。
佐倉が例の縫いぐるみを得意げに出して見せる。
何でそんなもので得意げになれるんだ……。
「あれ、これ何か望月っぽい」
くそっ、気付かれた。
「でもこの子、望月君に無いものを持ってない?」
「これならいいよね」
これならいいって何だよ。
というか、縫いぐるみに対して敗北感を抱く自分が嫌だ。
「佐倉さん、それ、どこで売ってるの!?」
石田もそんなものに食い付くな。
「これは一体限定なの。私専用よ」
佐倉もさらっと嘘を吐くんじゃねー。
しかも私専用とか言われると、縫いぐるみ相手に嫉妬心すら芽生える。
「残り時間も僅かだから、せっかくだしお前らも踊っていけよ」
そう言われて、デートだけじゃなく、文化祭の思い出も作らなきゃと思い、俺は佐倉に手を差し出した。
佐倉も握り返す。
ぎこちなく、面映ゆく、でも楽しい。
「よっ、美女と野獣」
「誰が野獣だ! ブサメンと言え!」
親しげなヤジも飛んで来るから、親しげに返す。
「佐倉さん、後で俺とも踊ってください!」
当然、佐倉には誘いの声もかかる。
「ごめんなさい。私、彼専用だから」
当然、佐倉は断る──って、彼専用という言葉に男はどれほどときめくことか!
今の返答で、男子の俺への敵意が増幅したのは間違いない。
もっとも、言った本人は全く判ってないようだが。
佐倉と踊れたのは5分ほどだった。
今はもう、音楽も鳴り止んで、校庭はどこか気怠い余韻のような賑わいが残るのみ。
『佐倉さんのお母さんの車、到着したよ』
校門前で待機していた女子からメッセージが入る。
後夜祭の予定終了時間である19時は過ぎた。
片付けなどを始め出す生徒達。
佐倉が電話を取り出し、どこかへかけようとするのを制止する。
「少し片付けで遅れるって母に電話しないと」
「頼むから、10分ほど、どこへも連絡しないでくれ」
佐倉の母親は、たぶん時間にうるさいタイプだ。
このまましばらくすれば、娘の様子を見に動き出すはず。
「何かあるの?」
「大事な話がある」
俺は校門の方が気になる。
「余所見しながらそんなこと言われても」
「あ、すまん。大事な話があるのは本当なんだ」
メッセージが入る。
『対象者、車から出ました』
よし!
「人に電話を使うなと言っておいて、あなたは使うの?」
少し気を悪くした風な佐倉の向こうに、その母親らしき姿が近付いてくるのが見えた。
さすがに、周りにクラスメート達がいる状況で、いきなり娘のところまで来るつもりは無いのか、やや離れたところで立ち止まり、こちらの様子を窺っている。
「美由紀」
俺は、声を少し大きくして話し掛ける。
「何よ?」
周りのみんなもさりげなく聞き耳立てているかと思うと緊張する。
「生徒会室でお前の気持ちを知ったあの日から、大袈裟じゃなく、俺の人生が変わったと思う」
「ちょっと、みんないるのにそんな大きな声で」
美由紀は戸惑うが、俺は続ける。
「そこから更に、お前と付き合うことが出来て、本当に夢みたいだった。制約は多かったけど、付き合うのは楽しかった。いや、幸せだった」
周りは、もうさりげなさを装うことなく、二人を注視していた。
美由紀は恥ずかしがって俯いていた。
「でも、その制約は更に厳しくなった」
はっと顔を上げる美由紀。
その向こうで、美由紀の母親の視線が強くなった気がした。
「だから今日、俺はデートを決行した。二人のために、何か変わるきっかけを作ろうと思った」
デートは楽しかったはずだ。
でも美由紀は、現状を変えられるなんて思っていない。
今日のデートは、ほんのひとときの逃避行。
そんな風に考えているだろう。
だから、俺が何を変えようとしているのか美由紀には判らず、表情に不安を滲ませた。
「さっきまでのデートがその一つ。そして、もう一つ……毎朝の絆創膏の儀式、あれを止める」
「どうして!? 変わるきっかけって、もう終わりってこと!?」
あれ? 何言ってんだコイツ。
「……今日のデートも、最後のプレゼントだったの?」
いやいや、あなた成績いいのに、理解力ダメ過ぎやしませんか?
「ごめんね……私、つまらない彼女だったよね? 大切にしてくれたのに、最後まで甘えてばかりでごめんね……」
「おいブサメン、美女を泣かすな!」
「佐倉さん可哀想」
おいおい、お前ら、この先の展開知ってるくせに何故俺を責め立てる。
佐倉の母親がこちらに向かって動き出し、それを美旗と石田が制止するのが見えた。
そんな役は決めてなかったはずなので、臨機応変に対応する二人に感謝する。
ただ厳しいだけじゃなくて、やっぱり娘が大切なんだろう、娘の涙を見て、駆け寄ろうとした姿に俺は安心した。
「美由紀」
「……うぅ、ぐすっ……はい」
涙でボロボロ、鼻水を隠そうともしない。
痛いほどに愛おしくなる。
「絆創膏の代わりに」
俺はポケットから、バイトの給料で買った指輪を出して、美由紀のいつもの指に嵌めた。
以前、粘着力を失って美由紀の指から抜け落ちた絆創膏があって、俺はそれを密かに保存していた。
指輪を買うとき、サイズはそれを店員さんに見てもらったから、ほぼピッタリだった。
「……」
美由紀は、泣き明かした童女みたいな顔でポカンと口を開けたまま、自分の指に納まった指輪を見ていた。
「交換しなくても、ずっとそこにあって、会えなくても、ずっとそこにいる」
こんなセリフ、俺には似合わないって判ってるけど、理解力の無いおバカさんには、これくらい言った方がいい。
「ま……」
「何だ?」
俺の気持ちと言いたいことを理解したおバカさんの行動は──
「ぐほっ」
まさにタックルだった。
「誠君! 誠君誠君誠君!」
美由紀の語彙力は崩壊したらしい。
ぐりぐりと顔を擦り付けられた俺の制服は、涙と鼻水まみれだ。
才女でも美女でもない、だけど、ただ可愛らしい女の子がそこにいた。
誰からともなく拍手が沸き上がる。
勿論、これも演出で、最初から打ち合わせ済みだ。
「いいぞ、ブサメンの星!」
「奇蹟のブサメン!」
セリフは打ち合わせと違うぞコンチクショウ!
「佐倉さん、お幸せに!」
「俺の美由紀ちゃん!」
誰だ!? ドサクサに紛れて所有権を主張する奴は!
「美由紀、帰るわよ」
お前もか! お持ち帰りは許さん! って、美由紀の母親がいつの間にか傍に来ていた。
表情は……無表情だ。
ここまでの流れを、どういう思いで見つめていたのかは判らない。
判らないけれど、美由紀はもう今までとは違う。
母親にも、何らかの変化が生まれると思う。
そもそもの作戦が、クラスメートに祝福されながら付き合う二人、というものを演じて、それを美由紀の母親に見せるのが目的だ。
多数が肯定する状況を見れば、自分一人が否定派ではいにくいものだし、美由紀の方も、母親を説得しやすくなるだろう。
肯定派にすることは出来なくても、妥協案が出てくれればありがたい、くらいの効果を狙った作戦だ。
まあ、何故か逆鱗に触れて、即刻別れなさい、と言い出す可能性がゼロとは言えなかったが。
「早く、行くわよ!」
美由紀の母親は、俺やクラスのみんなには目もくれず、美由紀の腕を引っ張る。
俺は、いや、他のみんなもだが、何か言おうとした。
美由紀の母親に対して、あるいは美由紀に向かって。
批判や説得、慰めや激励、それぞれが言おうとしたことがあっただろう。
でもその時、美由紀が振り返って言ったんだ。
「私、もう負けないから」
その視線と言葉は、引き留めようとしたみんなの言葉や腕を、引っ込めさせてしまうほどの力強さに満ちていた。
そうだ、それでいい。
作戦の一番の目的は、お前が強くあるように、なのだから。
だから俺は、車の窓から手を振るお前に、心からの笑顔を返せたんだ。
祭りは、終わった。
美由紀、頑張れ。
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