第35話 乙女

「朝から疲れた顔してるわね」

二番手登校だった佐倉が話し掛けてくる。

「んー、ああ、明梨と登校すると疲れるんだよ」

明梨は朝は苦手な方なので、一緒に登校するのが毎日じゃないのが救いだが。

「そうみたいね。同じ車両に乗ってたから、目に余る行為に殺意が芽生えたわ」

俺は寒気を覚えた。

今朝の明梨は絶好調で、密着度合いがいつも以上に酷かった。

「冤罪って、晴らすの大変そうよね」

「な、何の話だ」

「例えば電車の中、私があなたの傍に立って……ふふ」

笑顔がこえーよ!

「それはそうと、試験の結果がもう貼り出されてるわよ」

「マジで? ちょっと行ってくる」

「6位よ」

「え?」

「頑張ったわね」

今度は優しい笑みだ。

「佐倉は?」

「前回と同じ」

ということは2位か。

6位から2位って、手が届きそうではあるけれど、ほぼ限界まで勉強してこれだから、果てしなく遠いようにも思える。

「前にも言ったけど、私はあなたが1位を取ろうがスポーツで好成績を残そうが、付き合うつもりは無いのよ?」

「うん、判ってる。ただ俺が頑張りたいだけだ」

「どうして?」

「お前が好きになった男が、少しでも立派な方がいいと思うから」

「うっ!」

「どうした?」

「ちょっとお手洗いに」

また鼻血か……。


「モッチー、おはよー」

入れ替わりに美旗が登校してくる。

「今さくっちが茹でダコみたいな赤い顔して鼻血垂らしながらトイレ行ったけど何かあった?」

薔薇色に頬を染めて、高貴な鮮血を流していたと言ってやれよ。

「まあ、大したことじゃない。それよりも」

俺は試験前、佐倉のことを美旗に相談しようとしていたことを思い出した。

佐倉は鼻にティッシュを詰めて戻ってくるなんてことはしないから、完全に鼻血が止まるまで、それなりに時間がかかるだろう。

「美旗、聞いてくれ」

俺は佐倉との、生徒会室でのやり取りから始まり、今に至るまでの経緯を美旗に話した。


「モッチーさぁ」

聞き終わってからしばらく黙っていた美旗が、ちょっと呆れたように口を開く。

何か悪いことでも言っただろうか。

「いくら私がモッチーに対して尊敬の方が強いって言っても、多少は嫉妬するよ?」

「え? あ、いや、すまん……」

「まあそういう女心が判らないっていうのが、原因の一つかなぁ」

「ぐ、具体的には?」

「私にそれを訊く? 茜ちゃんは怒ってるんだよ、プンプン」

何それ可愛い、と思いつつ、反省しなきゃならんとも思う。

俺は随分と、今まで美旗の好意に甘えてきたような気もするし。

「さくっちの家が厳しいのは確かだろうし、付き合えないけど他の誰かと付き合ってほしくない、ってことで今のモッチーの立ち位置があるんだろうけどさ」

結局アドバイスをくれるのだろうか?

「それって、さくっちの我儘に違いないんだけど、付き合いたくないわけ無いじゃん」

「え?」

「まさかモッチー、さくっちの言ったこと本気にしてる?」

成績と運動神経はまずまず、顔と経済力はダメダメ。

簡単に言えば、そういうことだったはずだ。

「まあ家がお金持ちで厳しければ、特に経済力とかは理由として大きくなるにしても、それは先の話で……結局は、男女交際に理解が無い親ってことでしょ?」

「うん、そうなんだろうな」

「だからこそ付き合うためには、困難に立ち向かう勇気をくれたり、支えてくれて頼れる相手でないと」

あれ? 俺は今まで、何を頑張ってきただろう?

あいつの気持ちに応えるためにしてきたことって何だ?

「さくっち、モッチーが思ってる以上に乙女だよ?」

それは、判ってる。

佐倉が乙女だっていうのは、理解してるつもりだ。

あいつはしっかりした見た目よりずっと初心うぶだし、我儘で焼き餅やきで誰よりも俺のことに詳しくて、それに、何より乙女じゃなきゃ俺のことなんか好きにならんだろ。

現実を冷静に見るような奴だったら、俺なんか好きになるわけがない。

とは言え、白馬の王子を夢見る乙女とも違うのだろうが。

「さくっち、中間テストが始まる少し前に、左手を怪我したよね?」

「ああ」

「あれって、薬指だったんだね」

「そうだけど……」

何が言いたいんだ?

それが乙女と関係あるのか?

「絆創膏、まだ貼ってるよ?」

「っ!?」

「モッチーが貼ってあげたんでしょ?」

「そうだけど!」

俺は腰を浮かし掛けた。

何だか、居ても立っても居られないような衝動が突き上げて来たんだ。

「きっと、嬉しかったんだよね。それで、たぶん、そこに指輪を思い重ねたりしたんだよ、きっと」

「何だよそれ。乙女かよ!」

「だから言ってるじゃん」

「衛生的にも問題あるだろ」

「野暮なこと言うなぁ。そこは毎日換えてるかも知れないし、あの時のままかも知れないけど、好きなんだから仕方ないんだよ」

「俺、行ってくる!」

「さくっち、女子トイレだよ?」

「構わん!」

俺は、教室を飛び出した。

自分が何をしたいのか、何を言いたいのか判らないけれど、とにかく今、この瞬間に佐倉に会いたかった。

走りながら、わけもなく叫び出したいような、抑え切れないものが込み上げてくる。

くそっ、くそっ、くそっ!!

何に腹を立てているのか判らないまま一人で罵って、結局自分に対して腹を立てているのだと気付いたとき、俺は女子トイレの前に立っていた。

俺は、躊躇わずに中へと入った。

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