第9話

 午前十一時三十分。

 休日の駅前。

 人混みの中、椎はロータリーの一角に立つ優香の姿を見つけて思わず駆けだした。

 優香も椎の存在に気付いて、柔らかい笑みを浮かべる。

「おはよう、椎君。人のこと言えないけど、早いね」

 優香が声を弾ませて言う。

 白のブラウスに黒のアウター、淡色のフレアスカートといった服装が夏らしい清涼感を振りまいていて、初めて見る優香の私服姿に椎は目を奪われた。

「おはよう。待たせちゃってごめん。いつから待ってたの?」

「今来たとこだよ。なんてね」

 冗談っぽく笑いながら、優香は肩を竦める。

「本当は十五分前くらいからかな。家にいても落ちつかなくって、早めに出てきちゃった」

「ボクと同じだね」

 椎は苦笑して、困ったように優香を見つめた。

「それで、どうする? ちょっと早いけど、お昼にする?」

「そうだね。並ばなくて良さそうだし。椎くんは今からでも大丈夫?」

 優香が上目遣いで椎を覗き込むように首を傾げる。そうした小さい仕草の一つ一つが彼女の愛らしい容姿に良く似合っていた。

 思わず見惚れながら、大丈夫だよ、と頷く。それだけで彼女はにこっと笑った。

「じゃ、行こうか」

「あ、うん」

 優香から視線を外し、ゆっくりと歩き出す。

 立ち止まっていると、気まずい沈黙が落ちそうで嫌だった。

「あ、待ってよ。椎君、意外とせっかちなのかな?」

 優香がわざとらしく不満そうな顔を浮かべ、腕に手を絡ませてくる。

 突然の柔らかい感触に、全身の筋肉が不自然に硬直するのがわかった。

 椎は諦めたように笑って、優香に向き直った。

「せっかちというか、緊張してるんだよ。正直に言うと、女の子と二人っきりで遊ぶの初めてだから、落ちつかなくって」

「へえ……初めてなんだ」

 椎の言葉を聞いた途端、優香の口端が吊りあがった。

「頼りなくて、ごめんね」

「ううん。私、逆に嬉しいよ。だって、他の女の子と比べられたりするの、嫌だもん。それに私、きっと嫉妬しちゃう。デートしたり、手を繋いだり、私以外ともそういうことしてたってわかったら、我慢できないもん」

 優香は一気にそう言って、にこりと笑った。

「私、結構嫉妬するタイプだから、他の子と隠れてデートなんてしたら駄目だよ」

 それから思い出したように言葉を続ける。

「あ、でもその代わり結構尽くすタイプだから! 怖いだけじゃないよ!」

「覚えておくよ」

 次々と目まぐるしく表情を変える優香を見ていると、自然と笑みが溢れた。

「それで、お勧めのお店って?」

「もうちょっと歩いたら見えてくるよ」

 優香が前方に目を向ける。釣られて、椎もそちらに視線をやった。

「ほら、あの茶色の看板」

 通りの向こうにそれらしい店が見えた。個人経営の喫茶店のようだった。ちょっとしたお城のような綺麗な外装をしている。

 店の前に辿りつくと、大きな窓から見える店内で空席が目立っていた。

 優香が慣れた様子で自動ドアをくぐり、店の奥に向かって歩いていく。

「椎くん、こっちこっち」

 そう言って、優香は空いている奥の席に座る。

 すぐそばには中庭があり、小さな泉があった。わざわざ奥まで案内した事に納得し、優香の対面に腰を下ろす。

 すぐに店員がメニューを持ってやってきた。

「私、たまごサンドとコーヒー、ホットでお願いします」

 優香がメニュー見ずに注文する。椎は慌ててメニューを開き、結局優香と同じものを頼んだ。

 店員が去っていくのを見ながら、優香が申し訳なさそうに笑う。

「ごめんね。ちょっと急かしちゃった?」

 ちょっとだけ、と椎は苦笑して、すぐに話を変えた。

「優香ちゃんは良くここに来るの?」

「うん。週一回は来るかな。私、こういう所で何も考えずぼーっとするのが好きなの」

 優香は水の入ったコップに口をつけて、それに、と言葉を続ける。

「それに、こういうところにいると、寂しくないしね」

 そう言う優香の顔にはどこか陰があり、椎は言葉に迷った後、結局何も言わずにコップに口をつけた。

 嫌になるほど、よく冷えていた。


◇◆◇


 昼食を済ませ、店を出た時には一時を回っていた。

「この時間だと、ちょっと混んでるかな?」

 優香が携帯で時刻を確認しながら呟く。

「うん、でも、満室になってるところ見たことないから大丈夫だと思うよ」

 椎はそう言って、優香とともにすぐ近くのカラオケ店に入った。

 床も壁も黒く、照明が抑えられてる為に全体的に暗い印象を受けるロビーで受付を済ませ、指定された個室へ向かう。

「カラオケ、ちょっと久しぶりかも」

 部屋に入るなり、優香が弾んだ声で言ってソファに倒れ込む。その際、スカートが捲れて椎は咄嗟に視線を外した。

「あの、スカート、気を付けた方がいいと思うよ」

 遠慮気味に指摘すると、優香は特に気にした風もなく笑う。

「椎君しかいないから、大丈夫だよ」

 そう言って、選曲用の端末を手に入力を始める。

「あ、前のお客さん、親子連れだったのかな。子供向けの歌がいっぱい。ほらほら、懐かしい!」

 優香が楽しそうに端末を椎に見せてくる。画面には選曲履歴が映っていて、有名な子供向けアニメのオープニングソングが並んでいた。

「その前は……わ、ちょっとアダルトな歌が並んでる。これ、歌詞凄いよね」

 学校ではあまり見る事のない姿だった。はしゃいだ様子の優香に椎は頬を緩ませて、身を寄せて端末を覗きこんだ。

「あ、ごめんね。そろそろ歌う? でも、その前にドリンク取りに行こっか」

「うん。そうだね」

 同時に立ち上がって、部屋を出る。

 その際、自然と優香の手が椎の手に絡みついてきた。

「せっかくのデートだしね」

 椎が何か言う前に、優香が顔を真っ赤にしながら冗談っぽく言う。

 暗闇で優香の顔が赤くなっていることに気付かなかった振りをして、椎は彼女の手を握り返した。

 何となく、上手くやっていけそうだと思った。

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