今昔夜物語

lager

銀の星は夜空に瞬く

第1話

 生暖かな、石の道であった。

 人が二人、辛うじてすれ違うことが出来るかどうかという幅の道の横を、ゆるゆると黒い水が流れている。

 地下水道だ。


 空気が、臭っている。

 生き物の腐れた甘い匂いと、糞尿の匂い。

 それを、雨水の通り道や所々に設けられた通風孔から僅かに流れる空気が運び、地下道全体を、何か巨大な生物の胎の中であるかのような匂いで満たしている。


 その地下道を、五人の人間が縦一列になって歩いていた。

 背格好も性別もばらばらの隊列であったが、全員、武装していた。

 前から二番目を歩く細身の男が松明を掲げ、淀みのない足取りで生臭い地下の道を進んでいく。

 数人分のブーツが石道を踏み歩く音と、それぞれの備えた太刀やら槍やら弓やらの、歩みの度に揺れ擦れる音が重なり合い、緩やかな水の流れに溶けて消えていく。


 歩みに合わせて上下に揺れる松明の光が、不意に動きを止めた。

 水道の大きな曲がりの手前で、先頭を歩く小柄な体躯の男が、片手を挙げて一隊を制したのだ。

 全員が、それぞれの得物に手をかける。


 やがて、先頭の男が察知した微小な足音の群が、その場の全員の耳にも聞こえるほど大きくなった。

 安っぽい革のくつが石の道を踏み鳴らす音と共に、曲がりの向こうが徐々に明るさを増していく。


 そして。


「んっだ、てめぇらがぼっ!」

 松明を手に現れた薄汚れた男を、白刃が襲った。


 隊列の半ばから飛び出した小柄な影が、長く揺れる銀色の髪を翻し、逆袈裟に太刀を振るったのだ。

 鮮血が舞い、水の流れに朱い飛沫が混じる。

 

「野郎!」

「殺せ!」


 その後ろから、同じように薄汚れた格好のむくつけき男たちが次々と現れ、石の道に転がった松明によって暗闇に浮かび上がった小柄な人物――鋭い目つきをした少女に刀を向ける。

 少女の背筋がゆらりと揺れ、一番手前にいた男の足元に滑り込んだ。


「んぐぉ」

 一瞬で、二輪目の血花が咲く。

 

「くそがぁ!!」

 その身に押し寄せる幾本もの刃を見て、少女はさらに前へ踏み込んだ。

 銀髪が虚空に揺れ、円を描く太刀の閃きが男の一人の胴を割る。


 別の男が、その一振りの僅かな隙に少女の脇をすり抜け、後ろを取った。

 すかさず少女の前後から挟み撃ちの攻撃が迫る。

 それを典雅な舞の如き足捌きで躱してのけた少女の脚が、目の前の男の股間を蹴り上げる。


 少女の背後を取った男が追撃を加える前に、その側頭部を槍の石突が打ち据え、水道の壁にめり込ませた。

 それを握る禿頭の大男――少女が飛び出した隊列にいた男が、轟くような声で叫ぶ。

「突っ走るな、瓜坊・・!!」

 その声に僅かに顔を顰めた少女は、それでも足を止めることなく、混乱する男たちの中へ果敢に斬り込んでいく。


 禿頭の大男は舌打ちを零し、背後の仲間たちと共にその乱戦に加わった。

 剣戟。

 地摺り。

 怒号。

 悲鳴。

 水音。

 その全てが混じり合った混沌の戦場に、一際大きな轟音が響き渡った。


 周囲の壁に跳ね返って残響を引くその音の主は、薄汚い男たちの中で一際大柄な男が叩きつけた大槌。

 石の道が砕かれ、砂煙が舞っている。

 その一撃を避けた銀髪の少女とは、頭三つ分は差のある上背を十分に活かし、大槌を握る男は少女を威圧する。その隙に少女の横の逃げ場を塞ぐように別の男が刀を構え、少女の足を止めさせた。


 下卑た笑みを浮かべる男――少女の横手を塞いだ男の顔に白刃が奔り、その隙に振り下ろされた大槌が、野太い金属音と共に、少女の後ろから現れた禿頭の大男の槍に阻まれた。


 少女の姿が煙るようにかき消える。

 たん、と、壁を蹴る音と共に、銀髪が宙に踊り、大槌を握る男の頭上に翻る。


「星辰流――『怒星いかりぼし』」


 ぐるりと、巻き付くような動きで大男の頭上を少女の体が回転し、大男の頭が胴体から離れた。

「ぶっ……おい!」

 噴き出した鮮血をまともに浴びた禿頭の男には目もくれず、少女はその得物の閃きを写し取ったかのような鋭利な眼光を通路の奥に向けた。


 そこには、既に大半が物言わぬ体と化した薄汚い男たちの最後の一人が、尻餅をついて後ずさっていた。

「て、てめぇら……一体、な、なにもんだ……!」


 歯の根の噛み合わぬ口からそんな言葉が吐き出される。

 禿頭の男は、唇を歪めてそれを見下ろした。

「はっ。チンピラ程度に名乗る名なんざ持ち合わせちゃ――」


「傭兵団『夜明けの酒樽』だ。観念しろ、悪党!!」


 猛々しく吠えた銀髪の少女の後ろで、禿頭の男が肩を落とす。

「…………いや、あの、今俺が……」

 そのさらに後ろから、仲間たちの忍び笑いが漏れ聞こえる。


 その全てをさらりと無視して、少女は駆け出していた。


「ひぃ」

 薄汚い男は立ち上がって踵を返し、脱兎の如くに水道の奥へと逃げた。

「待て!!」

 少女がそれを追い、松明も持たずに駆け出していく。


「あ、こら瓜坊!」

 慌ててそれを仲間の男たちが追いかける。


 どたどたと、地下水道に足音が響く。

 凡そ一分程もそれが続いただろうか。

 やがて一番前を走る薄汚い男の姿が横道に消え、当然のように少女がそれを追った。


 その先は、本来ならば・・・・・開けた空間であった。

 

 しかし、今は。


 じゅる。

 うじゅる。


 そんな湿った音が聞こえる。

 足を止めた少女の真下に、骨ばった男の腕が投げ出される。

 その上にあるのは、肉色の壁だった。


 ぬらりと光る体表。

 所々に横縞模様。

 揺れ動く四本の触手。

 その背中に、飴色の貝殻。


 人の背丈を優に超える大きさの、それは、蝸牛の怪物だった。


「き――」


 そのあまりにグロテスクな外見に、少女の顔が引き攣り――


「きゃぁぁあああ!!!!」


 悲鳴と共に白刃が振るわれた。


 そして……。


 …………。



 大陸に六つある国家のうちの一つ、フソウ帝国。

 その北部に位置する広大な湖に、その町はあった。

 水上都市イナシキ。

 水面の光を写して表情を変える石造りの古都。


 その街の片隅に、一棟の廃屋があった。

 人が住まなくなって久しく、あちらこちらに苔が生え、草ぐさの根によって隙間を開けられた壁面は見るからに寒々しい。


 その古ぼけた二階建ての廃屋の中に、くるくると働く一人の少年がいた。

 艶のない黒髪を肩まで伸ばした、痩せっぽちの子供。歳の頃は十歳前後だろうか。

 彼はあかぎれた手で壁面の隙間を補修し、埃に塗れた屋内に丁寧に雑巾をかけ、床を掃いていく。


「とりあえず、こんなとこかな」

 何とか人が出入りできる程度には片付いた一階の中を見渡し、その青白い顔に浮いた汗を拭った少年に、部屋の片隅に置かれた木造りの長机で、広げられた無数の書類と睨み合っていた女性が声をかけた。

「ごめんねぇ。まさかここまでとは思っていなくって」

「いえ。しょうがないですよ」

「今どき組合のない街なんて……」

「まあ、古い街ですからね…………お、帰ってきた」

「え?」


 少年は掃除道具を片付けていた手を止め、先程自分がぴかぴかに磨き上げた玄関に走り寄った。

「あ、ああ。足音。耳が良いのねぇ」

 戸惑いの声を漏らした女性に苦笑した少年は、木造りのドアに手をかけ――。



「うえぇぇぇぇん。ヨルくぅぅぅうん」

「セイカさん!?!?」



 黄緑色の粘液で体中どろどろになった銀髪の少女に、正面から抱き着かれた。


 ……。

 …………。

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