笑わない癒しの姫は、その想いを海に恋う。

在原小与

第1話 笑わない姫君

「――私は、あなたを正妃にと望みました。あなたの国の伝承は、とても興味深い……。そして、シラーの力も解き明かしたいのです」


 目の前で優雅に座っている男は、初めて会ったのにもかかわらず、私がもっとも嫌う力の話を持ちだした。


 母国、シラーに伝わる神秘の力の話を。しかも、嘘くさい満面の笑みを浮かべて。

 男の言葉に無言を貫く。

 ここで口を開いても周りは敵だらけ。味方は一人もいない。


 心を落ち着かせようと、目の前に置かれていた茶器を手に取った。

 男や控えている側近、侍女達に気付かれないように飴色の液体の香りを嗅ぐ。すると、常人ではわからないくらいの、わずかな刺激臭が鼻についく。


(エリカ……。毒草が混じっています。飲まないで下さい)


 目の前に座っている男とは違う声が、頭に直接響き警鐘を鳴らす。それは、私にしか聞こえず、室内にいる誰もが私の手元を注視していた。

 その声を無視して一気に飲み干す。


(エリカ!)


 頭に響く声は酷く焦っている。

 男の後ろで控えていた若い侍女達が、お互いに目で合図を送ったことを確認すると、茶器を置いた。


「もう一杯下さる?」


 男を無視して侍女にそう言うと、何人かがビクリと身体を揺らした。

 わずかに動揺を見せる若い侍女達とは違い、動き出したのは私よりも年上に見える、黒い瞳に黒い髪。乱れなくきっちりと結い上げた長身の侍女。


 表情も動かさず、淡々と私の茶器に飴色の液体を淹れると、一礼をして静かに下がった。 

 立ち振る舞いは洗礼されている。もしかすると、高位貴族の令嬢なのかも知れない。

 注がれた飴色の液体の正体を知らないのか、それとも知っていて冷静でいるのか、その黒い瞳からは何も伺えなかった。


「……それと、あなたを愛することはないでしょう。私には心に決めた人がいます。ですので何も求めないで下さい。あなたと私は利害が一致した政略結婚。あなたの国、シラーは他国から侵略されないための庇護を。私の国、ハイブリーは治癒技術を」


 これから伴侶となり、長く一緒に暮らす相手とは思えない非情な宣告にも、私の表情は変わらない。

 昔から、一国の王女としての役割を理解している。

 国のためだけに生きるようにと、父王に言われ始めた幼き頃から、感情は表に出さなくなった。


「……問題ございません。シラーとハイブリーが繁栄し潤えば良いのです。私は両国にとって、ただの駒であることは理解しております。ですので、私を愛する必要はございません」


 すると、私の返事が意外だったらしく、少し驚いたあと彼は困ったように笑った。


「……あなたは、噂通り表情一つ変えないのですね――――彫刻の姫君」


『彫刻の姫君』それは、私を揶揄する呼び名。


 他国や自国の夜会に出席する度に囁かられ、定着してしまった不本意な愛称。

 社交の場では常に無表情。


 一切、喜怒哀楽を出さない冷たい姫君。可愛げがなく何を考えているのかわからない。

 何があっても顔色一つ変えず近寄りがたい。そんな、私の態度が気に入らなかった令嬢達が流した呼び名が、そのまま広まった。

 それを結婚相手に言われるとは思わなかったが、その程度の嫌味には慣れている。


「……そんな俗世な呼び名を知っているとは思いませんでしたわ、ファルシア皇帝陛下」


 私の目の前に座っている男は、正真正銘ハイブリーの若き皇帝。

 最高級の絹糸のように美しい金の髪は、肩につくほどの長さ。それを碧色の紐で緩く束ねている。整った顔立ちと、新緑を思わせる深い緑の瞳は人々を魅了することだろう。


 ――私を除いて。


 前皇帝が流行り病で急逝後、若干、二十一歳の若さで即位し七年が経った。七年間、国を治めることに全てを捧げた男は、ようやく他国から姫を受け入れた。


 発明大国と名高いハイブリーは独自の文化を取り入れ進化している。三百六十度、全てが海で囲まれている国は、海に浮かぶ要塞と言われるほど。

 ハイブリーへ行くには、船と一日二回起こる干潮の時だけ。

 そんな皇帝が正妃へと望んだのは、感情を殺している私だ。

 治癒と不思議な伝承によって、他国からの侵略を防いでいる小国シラー。大陸の中央に位置しながら、他国から一目置かれているのには理由がある。


『シラーに手を出すと災いが起こる』


 その伝承の通り、過去に侵略を目論んだ国があったが、尽く滅んでいった。天災や飢餓、疫病によってあっさりと。

 そして、この若き皇帝が欲しているのは、シラーの王族、しかも女性にだけ受け継がれる不思議な力。


「名前でなく、その愛称で呼んで頂いてもけっこうですわ、陛下」


 皮肉を込めて返事を返した。

 だが、ピリリと感じてきた舌の痺れに焦り出す。


……舌が痺れてきた。どうやら、痺れ薬のようね。でも、これくらいなら大丈夫。問題は毒を盛ったのが誰なのか。……何が目的なのか判断がつかない。怪しい動きをした侍女の可能性も高いけど、目の前にいる皇帝自身の命令かもしれない。


 不自然にならないように、室内にいる全員を見渡した後、陛下に視線を戻した。すると、にっこりと微笑んだ陛下は口を開く。


「まさか、あなたにそのような無礼な態度は取れませんよ、シラーの姫君」


 嘘くさい笑みには見覚えがあった。社交界で常に貴族達が纏っている仮面だ。

 本音を隠し弱みを見せない。

 物腰も柔らかく、話し方も丁寧なうえ、ゆっくりと親しみを込めた巧みな話術。だが、他人を信じず、寄せ付けない空気が漂っている。

 しかも、随所に棘が感じられるのは気のせいだろうか? 内容は勿論のこと、たまに見せる厳しい瞳は私を責めているように感じた。

 理由はわからないが、どうやら私は嫌われているらしい……。毒を盛られるほどに。


「それにしても、その髪は切らないのですか? 邪魔だと思うのですが……。それに、その髪飾りは、あなたには似合いませんよ」


 見つめられたのは、肩や腰を通り越して膝まであるブロンドの髪。いつもは、邪魔にならないように結い上げるのだが、今日は何もせずに流している。

 そして、陛下が困ったように見ているのは、髪飾り。

 女性なら身に付けるどころか、見るのも嫌う形をしている。ブロンドに映えるそれは、黒地に赤い斑点が入っている八本足の蜘蛛の形。


「邪魔ではありません。髪の長さはお気になさらないで下さい。それに、これはお気に入りの髪飾りですの。姉や妹達がくれた大切な品です」


 髪飾りに触れながら、やんわりと拒否をする。

 陛下は笑みを絶やさないが、いささか不満そうだ。


「しかし、夜会の時にその長さでは都合が悪いですよ。蜘蛛の飾りも正妃が身に着けるにしては、いささか問題があるかと……」


 陛下はどうしても、この髪と蜘蛛が気に入らないらしい。

 私から言わせれば、陛下の髪も切ったらいいと思うし、その嘘くさい笑顔も止めて貰いたい。

 だが、妥協は必要だ。これから一生、この国で暮らすことになるのだから。


「……わかりました。陛下の前では今後、髪は必ず結い上げます。それでお許し下さいませ」


 あえて、蜘蛛の髪飾りには触れず頭を下げる。

 それに、髪は絶対に切れない理由があった。

 頭を下げると、自分の手が小刻みに震えているのが見えた。わずかな震えだが、バレたら面倒だ。


 ここで騒ぎを起こすと、監視も兼ねて四六時中、誰かが傍にいることになるだろう。そうなると……相談出来なくなってしまう。それは避けたい。この国に味方は誰もいないのだから。

 誰にも、弱みを見せてはいけない。


「――わかりました。頭を上げて下さい。しばらくは、この国を見て知って下さい。何かありましたら侍女達になんなりと」


 顔を上げると同時に、小刻みに震える両手をさりげなくドレスの生地の下へと隠す。


「お心遣い感謝致します」


 陛下は、これで話は終わりとばかりに立ち上がった。

 見送らなければと足に力を入れるが、痺れているせいか上手く立ち上がれない。


「どうかしましたか?」


 よろめきながらも何とか立ち上がった私に、陛下が不思議そうに聞いてくる。


「いえ、何でもありませんわ」


 言葉とは裏腹に、一歩踏み出せば確実に倒れ込んでしまうだろう。

 このあと、どう取り繕えば良いのかと迷っていたら、陛下の声が聞こえた。


「ああ、そのままで。見送りは結構ですよ。それと顔色が悪いようだ。長旅の疲れが出たのでしょう」


 陛下が茶を注いでくれた黒髪の侍女へと合図を送ると、侍女が無駄のない動きで一礼する。すると、なぜか隣の続き間へと向かって行く。


「ゆっくり休んで下さい」

「……はい。ありがとうございます」


 微妙な空気が漂う中、何と答えたら言いのかわからず、ぎこちなく頷いた。すると、陛下が側近達と部屋から出て行く。

 ほっと胸を撫で下ろすと、見計らったように背後から声をかけられた。


「エリカ様。お休みの支度が整っております。湯浴みも出来ますのでお手伝い致します」


 振り返ると、黒髪の侍女が観察するように私を見ていた。


「いいえ。結構よ。一人で出来るから皆、下がって頂戴」


 そんなにも強い口調で言った訳でもないのに、壁際に控えていた侍女達が、怯えたように肩を竦めるのが視界に入る。

 いつもそうだ。私の話し方は冷たく、そして、きついらしい。自分でも気を付けているつもりだけど努力は実らない。


「ですが……。それでは、私共が陛下からお叱りを受けてしまいます」

「これは命令よ。陛下から何か言われたら、『私がいらない』と言っていたと伝えて」


 これ以上は本当に倒れてしまう。

 背中を流れる嫌な汗に不快さを覚えた。そろそろ限界だ。

 さっさと出て行くことを願っていると、黒髪の侍女が丁寧に頭を下げる。


「……何かありましたら、お呼び下さいませ」


 そう言うと、壁際に控えていた侍女達と一緒に部屋を出て行った。

 誰もいなくなると、緊張が解け長椅子へと倒れ込んだ。

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