第10話 ちさと、国籍を取得する。

―――母親と面会後、数日が過ぎた。

司は家庭裁判所で何度か面談した後、ようやく後見人としての資格を得る事ができた。


「パパ、ありがとうね」

「まぁ、この歳で流浪るろうしてるような人間だけど、いろいろな書類をきちんと持ってて助かったぜ。ただの無職男性だったら、多分断られていたかも知れん…。」

「でも…大丈夫なの?私にそこまでお金使って…」


そう言うちさとの頭を、司は優しく撫でる。


「俺には、一応それなりの収入があるし、それ以上に蓄えもあるから、ちさ一人育てるのに全く問題ないよ。」

「う~本当にすいません…」


ちさとは、司の表情が少し暗くなっている事に気付く。


「と言うか…使わせてくれ…。俺の資産は…な。優希が死んでから得たものだから…。もっと前にこれくらいあったなら…優希に辛い思いをさせずに済んだものを…」

【みーちゃん。もういいって…】


優希の声は、ちさとにしか聞こえない。司の悔しさが滲むその言葉に優希は、何度も何度もそう返していた。


「それって…優希さんを助けられなかった…から?」


司がちさとの方に振り向くと、ちさとの目から涙が溢れてきていた。


「…このお金は…な。宝くじの当選で得たものだ。」

「宝くじ?」

「ああ。俺はその当時、優希にガンが見つかり、治療のために借金を抱えて苦しんでいる時期だった。仕事を頑張ろうと、毎月の支払いが家計を苦しめていく。しかも治療が進むにつれて、徐々に痩せていく優希を、俺は黙って見ているしかなかった。発見から半年後…治療の甲斐無く、優希は死んだ。残ったのは治療のために背負った借金のみ。しかし、優希の遺産を整理している時に買った宝くじで、俺は1等を当てた…。だがもう…それは『後悔』でしかなかった。」


ちさとは辺りを見回すが、まだ日中だったこともあり、優希の姿は見えなかったが、微かにすすり泣く声が聞こえていた。


(優希さん…泣いているんだね…。)


ちさとは胸が締め付けられるような想いになる。


「もっと早くに当たっていたら…俺は優希を助けられたんだ…。今でもそう思う。借金を返済し、更に様々なところへ投資し、このキャンピングカーを買った。昔買った小さなキャンピングカーよりも大きい、このキャンピングカーを…ね。」


そう聞いて、ちさとはがあった。


「あ…パパの家にあったあの車って…」

「そうだ。あの軽自動車は、元々はキャンピングカーとして使ってたものだ。二人で旅をするのに、あのくらいで丁度よかったんだ。」


(そういえば…優希さん。子育てが終わったあと、いろいろな事にチャレンジしたって…。)

「私には…良く分からないけど…。このキャンピングカーは、パパの夢だったの?」


いきなりの質問に、少し驚きながらも司は続ける。


「ああ…そうさ。いつか大きなキャンピングカーに乗って、優希と二人きりで日本中を旅するのが、俺の夢の一つだった…。その夢は、叶えられなかったけどな」

【みーちゃん…私は死んでるけど、叶っているよ。いつも一緒だよ。】


すると、優希の言葉が聞こえているちさとは、感情が爆発し急に泣き出した。


「お…おい。ちさ…?何で急に泣き出すんだよ」

「だ…だって…だってぇ~うあーーーん」

(悔しいよ。優希さん。これじゃ全然勝てないじゃない。愛されてるじゃない。)


司は、ちさとをぎゅっと抱きしめる。そして、落ち着くまでそのまましばらく待つのでした。


「落ち着いたかい…?」

「う…うん。」

「急に泣き出すんだから、こっちがビックリするじゃあないか。」

「う…うん。」

「ま…まぁ…ちさとがほら…、優希のアレ(位牌)を持って行きたいって言ったから、多分、優希も一緒にいるんだと思う。あ…これファンタジーの話な。俺は、実際に見えたりはしないから」


「そう…だね。」

(本当に憑いてきちゃってるけどね)

【はい。その通りです。】


ちさと自身は、そんなファンタジーな事が起きてしまっている事を、言えず仕舞いでした。


「さて…後見人の資格も得られた事だし、ちさとの国籍取得を本格的に始められるな」


国籍の再取得や、名前の変更等については、15歳以上の本人か親族、後見人に限られている。必要な書類は警察との連携で、ある程度まとまっていたので、残るは証明写真のでした。


「緊張してる?」

「う…うん」


証明写真機に入ったちさと。司に教えられながら恐る恐る操作する。


―――撮影ヲ、開始シマス。ピー、ガシャン。


「そういえば…ちさ。」

「ん?」

「歯…1本抜けてた…よな。どうする?」


出来上がった写真を見つめるちさとに、司が問いかける。


「ん~もう生えてこないんだし…諦めてる」

「いやいや、女の子なんだし。そこは諦めるな。さすがにインプラントってまでにいかなくとも、差し歯なら歯医者でちょこちょこっとやれば何とかなるさ」

「うん…。パパ。ありがとう。大好き♪」

(いんぷらんとって何だろう?)


証明写真は口を閉じているので、見た目は何ともないが、口を開けた時に見えるは、司もずっと気にかけていたのです。


「ようやっと、一連の流れが終わるから、そしたら診てもらおう。」

「うん。」


二人は、申請書類を持って、役所へと向かった。そして、用意した書類を提出すると、しばらくの時間を要したものの、無事にちさとの国籍を得る事ができた。


「長かったなー。」

「うん…。」


ちさとは自分の『戸籍謄本』を見ながら、ホッとしている様子でした。そこには勿論、ちさとの母親の名前と、新しい自分の名前が記載されている。更にもう1枚、それは住所の転出届。新たな人生を、司の街で過ごす事にしたのです。


「パパのお陰で私、もっと色んな事が出来る気がする。」

「出来るさ。ちさの人生は、ここから始まるんだからな」


二人は帰郷を前に、お世話になった警察署へ向かった。


「そうか、無事に国籍を取得できたんですね。おめでとう。」

「安藤さん、ありがとうございます。」

「私から君達に送れる情報はささやかだが、君のお母さんは今後、控訴せずに一審での結審を望まれているようだ。これも、ちさとさんのおかげだと、私は思っている。」

「いえ…母の罪は…とても重いものです。私は…母の顔をもう見る事ができないかもしれませんが、新しい家族の元で幸せに暮らす事が、母が最期に言いかけた言葉だったと…思っています。」

「そうか…、君の人生はまだこれからだし、また辛い事もあるかもしれない。けど、今を乗り切れた君なら、きっと越えられると私は信じている。」

「はい。お世話になりました。」


二人はお世話になった方々に礼をし、キャンピングカーへ乗り込んだ。


「さて…、一応息子夫婦にも、この事は連絡済みだが、いつも通りゆっくりと帰るぞ。安全運転第一。咲良ちゃんも心配してたみたいだしな」

「はい。お姉さんにも良い報告ができます。」

「でも…ちさにはもう一つ、試練が待ってるぞ?」

「えー!?」


ちさとは飴と鞭とでちょっとだけ嫌な顔をする。


「それは…『学校』だ。」

「がっこう…そっか…私、学校って行った事無い…。」

「いいか?ちさ、学校には12歳までの小学校と、15歳までの中学校、18歳までの高等学校の3つがあるんだ。」

「そんなにあるの!?」

「まぁ…大学ってのもあるが…そこまでは今は説明しない。」

「大学…」

「小学校は、ちさの歳ではもう行けない…。が、中学校ならぎりぎりあと1年。『義務教育』と言って、在籍さえすれば卒業は何とかなる。これが間に合わないと、高等学校や大学も難しいからな。」


ちさとはその時点で、既に頭がパニックになっていた。


「でもでも、私…勉強だって中途半端だし、文字を書く事だって最近やっとできるようになったのに…無理だよぉ…」

「まぁ…中学校に入る事に関しては、俺も何とか役所に掛け合ってみる。勉強も、高校受験を中心に、専門の塾に行けば、もしかしたら…って感じかな。何にせよ、時間が限られているから、忙しくなると思う」

「う~。そのままパパの"お嫁さん"でいいじゃん…」


ちさとは、司の腕を掴んで上目使いしてみる。その姿に司は一瞬戸惑いを見せる。


「い…いや…だとしても、ちさはまだ14歳…。籍を入れるにしても年齢が今は足りないから…その…JK(女子校生)が嫁だったら、それはそれで『萌え』と言うか…。ははは」

「むーー。それはパパが好きなヤツ?お部屋にあったお人形みたいなことでしょ。」

「いや~それ言われると…。何とも・・・」


たどたどしく説明する司に、ちさとは頬を膨らます。


「どーせ、私のおっぱいは小さいもん。お人形さんのようにおっきくないもん」

「こらこら…まてまて…、そこはわきまえている。現実リアルはそう甘くない事くらい、俺も結婚してたんだから分かるって…」


不満気な顔をするちさとを、司は必死に説得する。


「と言うか…これ言うと、どう思うか分からんが…、いや、正直に言う」

「何さ。」

「ちさ、ちょっとだけ胸・・・大きくなってる…。自分で気づかないのは、多分…下着のせいだと…思う。」


ちさとは、初めて司に出会って以来、買ってもらった下着は、子供用のブラをずっと着用していたため、自身に起こっているに、薄々は気づいていたが、恥ずかしくてなかなか言い出せずにいた。それを母親、そして司に気付かれた事で、急に恥ずかしくなり、ちさとの顔は赤くなっていた。


「…正直言うと…、下着…ちょっと…キツイなって…どうして…わかったの?お母さんも…分かってたみたい…だけど…」


ちさとは、顔を赤らめながら言う。


「ちさくらいの思春期ってのは思いの外、いきなり成長したりするんだよ。俺も、15歳くらいのとき150センチしか無かった身長が、1年で10センチ伸びたりしてたくらいだからな」


女性のバストは、思春期が一番発達すると言われ、年齢的には平均で10~15歳までが多く。女性ホルモンの分泌のピークとなる20歳までなら、発達の可能性があるそうで、初潮の遅かったちさとは、数日ではあっても体に大きな変化が出てきていた。


「あと…あれだな…」

「ん?な…に…ん~」


司は恥ずかしがるちさとの唇に、軽くキスをする。


「俺が…好きなんだろ?恋愛感情も、女性ホルモンがいっぱい出るそうだから、胸が大きくなったのかも…な」

「た…たしかに…こ…こんなの初めて…です」


ちさとに軽くウィンクする司。ちさとの顔は真っ赤に火照っていた。


「あの…どうしたら良いでしょうか…」

「ん~この車内でサイズを測っても良いけど…。お店で店員にやってもらった方が早いかもな…さすがに俺も、理屈は分かっても当事者でないから、よくわからないんだよな」

「さ…サイズってどう測るんですか?」

「え?ちさ、前に下着買った時、測ってもらったんじゃないのか?」

「いえ、いつも着てる下着に…その書いてあったのを…選んだだけです。」


(マジか)


「わ…わかった。じゃあ…今日は帰るにしては遅いから、下着を買って1泊しようか」

「はい!」


二人はそのまま近くの衣料品店へ向かった。


「店員さん、すいません。」

「はい。只今。」


司は中へ入ると、店員に事情を説明して、ちさとと共に選んでもらうことにした。


「では、こちらで計測いたしますね」


店内の試着室へと入る。1~2分もしないうちに測り終えて出てくる。


「お…どうだった?」

「えっと…は…はちじゅう…は、あるって…」

「ふむふむ…」

(ってか数字だけじゃ分からんが、ヒンヌーでは無い…だと?)


そのあと、ちさとは店員といくつかの下着を試着し、替えの分を含めて何枚かをまとめて購入する事になった。


「うふふ。」

「ご機嫌だな。ちさ。」

「はい。なんか…すっきりした…感じです。」

「そりゃよかった。」


新しい下着を着けたちさとの胸は、今までの締め付けから開放されたかのようにたわわと揺れていた。


(これでまだ発達途中とか…。母親も見た感じ結構感じだったけど…遺伝ってのがあるかもしれんな)


そう思った司は、よもやちさとの母親が、ちさとに対して『胸にしか興味が無い』と言った事を知る由も無かった。そこはやはり、司も"男"であった証拠である。


その日の夜は、ちさとが夕飯の当番を任されていた。


【ねぇねぇちさとちゃん。】

「あ…優希さん。どうしたんですか?」


スーパーで食材の買い出し中のちさとに、優希が話しかけてくる。ちさとは、周囲の人にバレないように小声で答える。


【ちさとちゃんに作って欲しい料理があるんだけど…いいかな?】

「…?。いいけど…」

【ありがとう。食材とレシピは、私が教えるから、よろしくね。】


ちさとは、優希の言われるがままに、食材を買っていくのでした。

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