第三話〈アクバルト②〉




 俺は妻を亡くして五年が経っていた。



 そろそろ再婚をと、親類縁者からの話がいくつもあったのに。



 なのになぜかそれまでそういった話には全く心が動かなかったのに。



 馴染みのなかったあの土地で、見ず知らずの娘のことが気になり………。



 唐突にも縁談を申し込んでしまった自分に、かなり驚いたが。



 不思議と後悔はなかった。



 本当は、何かきっかけが欲しかったのかもしれない。



 一歩を踏み出すきっかけが。



 断られたらそれまでだが、今後はもっと再婚に前向きになれるような気がした。



 そしてもし、奇跡的に俺の申し出が受け入れてもらえたなら。



……リーミア。



 おまえがこの出逢いを俺に与えてくれたんじゃないかって………。



 俺はあのとき思ったんだ。




 不躾などこの馬の骨ともわからない男の申し出た縁談話を、養父母が受け入れる可能性は低い。




 だから尚更……リーミア……。



 受け入れられたそのときは、おまえの導きだと思いたい。




 思えばそんな気持ちで、俺は養父からの返事を待っていた。



 もう一度、新しい気持ちで。



 たった一人の誰かを愛してみたいと、そんなふうに思いながら。




 そして───、



 奇跡は起こった。




 ナウラの養父はかなりの額の結納金を俺に要求してきたが、俺がその要求に快く返事をすると、まるで人が変わったように友好的な態度になり、俺とナウラの結婚を承諾した。



♢♢♢


 亡き妻リーミアは、よく笑う娘だった。



 いつもにこにこしていて、元気で明るく屈託のない、誰からも愛される娘で。


 愛しい妻だった。



 リーミアの養い親は族長と遠縁関係にあり、そこからの繋がりで俺のところにきた縁談だった。



 俺は二十一才、リーミアは今のナウラと同じ十六才で俺に嫁いだ。



 それからすぐに子供が出来たが、小さく産まれたためか三ヶ月で他界した。



 そしてリーミアも産後に病を患い、身体が弱くなっていった。



 子供のことも、家のことも、何も考えなくていいから。



 俺はただリーミアに元気になってほしかった。



 小さな身体の彼女に、あまり無理をさせたくなかった。



 だから俺は俺なりに精一杯、彼女を愛して労わろうと決めた。



 それから二年が過ぎ、リーミアの体調も回復し、二人目の子供を授かることができた。



 子供は無事に産まれた。



 けれどリーミアは出血が止まらず………。



 どんなに手を施しても、子供を産み落とした直後、再び目をあけることはなかった。



 そしてリーミアが命と引き換えに残してくれた子もまた、その年の暮れ、流行り病にかかり逝ってしまった。



 半年ほどの短い命だった。



 その年の冬に流行った病には我が子だけでなく、親戚の子供や年寄りの命も多く奪われた。



 悲しいのは俺だけじゃない。



 そう判ってはいても。



 すぐに立ち直れるほど俺は強くなかった。


 そして気付けば五年が過ぎていた。




 再婚して一ヶ月が過ぎたが、ナウラとの肉体関係はまだない。



 これは触れたくない、というわけでは決してない。



 最近はなかなか自制が効かなくなりそうなときもあるが。



 まだ早いのでは……? と、俺の中でそんな想いが大半を占めているから。



 十六歳にもなれば、嫁いで子供を産むのは普通なことだと考えるのは世間一般だが。




 幾度か知り合いの隊商に加えてもらい旅をしていると、十六歳ではまだ子供の域だという考えも多く耳にした。



 心も身体も。


 弱い子供。


 大人未満なのだ。



 妻にしたくせに何を言っているのだと言われそうだが。



 愛する者を失った悲しみは二度と経験したくない。



「怖い」という気持ちも正直ある。



 そして慎重にもなる。



 臆病なんだろうな、とも思う。



 でももっと時間をかけてもいいんじゃないか?



 そんな想いが強かった。



 もう少し、彼女が大人になるまで。



 ここでの生活に慣れるまで。



 日々の暮らしに馴染めるまで。



 そしてもっと笑うようになるまで。



 俺を見て、心から本当に楽しそうに。



 笑顔でいる日々が多くなってからでも。



 子作りはそれからでもいいかなと。



 俺はそんなふうに思いながら、ナウラとの毎日を始めた。



 そりゃあときどき、男としての本音と格闘するときもあるが。



 でも怖がらせたくはない。



 育った環境もあるのだろうが、ナウラは控えめで物静かな性格のようだ。



 リーミアとは違って……。



 違って当たり前で、彼女と比べるつもりはないが。



 結局は俺自身もまだ慣れていないのだろう。



───久しぶりな、こんな日常に。





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