遊び人の正体と虹色の雨(ゲロ)
状況を理解するまで、少しばかり時間がかかった。俺は、自分自身の力を見誤っていたのだ。その膂力は、とうに人の域を超えていた。まさか、身体から頭をちぎり取るほどに増していただなんて思いもよらなかった。なにが「魔族は危険だ」だ。本当に危険なのは俺自身ではないか。
驚きと、悔しさ、悲しさ、言葉に言い尽くせない様々な感情が俺の中でせめぎ合っている。俺は、どうすればいいのだ。俺、はどうするべきなのだ。この気持ちをどう表せばいいのか、俺にはわからなかった。そんなとき、どこからともなくすすり泣く声が聞こえてきた。
ああ、そうだ。こんな時は、泣くしかないじゃないか。愛する人を、この手で殺してしまったのに涙の一つも流さないなんて、それこそ人ではない。……ん? ところで、泣いているのは誰だ?
「うぅ……」
俺の腕に抱かれた、遊び人の頭が泣いていた。
「生きているのか……?」
「いやだよね、こんな女……身体から切り離れても喋る頭なんて……」
「キミは、デュラハンだったのか」
デュラハン。首なし騎士。人の死を予言すると言われる妖精だ。
「……いやなことあるか、こっちはキミの正体がスライムやオークの可能性だって考えていたんだ。そのうえで、それでもキミを愛すと覚悟を決めていた。首がないぐらいなんてことない」
「じゃあ」
「だから、首がないぐらいで泣くな」
俺は、彼女にまかれたマフラーで彼女の目じりを拭いてやった。ズビズビ言っていたのだ、ついでに鼻もかんでやる。まるで子供をあやしているような、自身の様にふと笑みが零れ落ちた。そんな俺を見て、彼女もまた笑顔を見せる。
「勇者! うしろ!」
遊び人の声に、反射的に身体が反応した。彼女の頭を、懐深くに抱き、前方へと一回転する。片膝をつき、後方を振り返ると先ほどまで俺がいたところに大鎌の刃が突き刺さっていた。
大鎌を振るったのは、頭を失った彼女の体であった。ああ、そういうことかと俺は一人納得する。俺を心配する素振りを見せる一方で、殺しにかかってくるという妙に言動が不一致であったのは。頭と身体で、考えが一致していないからだったのだ。
「とりあえず、身体を止めるにはどうすればいい?」
地面に突き刺さった大鎌を抜くのにてこずっている身体をよそ目に、俺は遊び人の頭に問いかける。
「頭が気を失うなりすれば、体も止まるはずだけど……」
「締め落とそうにも首が無いんだぞ……どうすれば」
「そうだ! 勇者、壁まではしって!」
「壁? どっちの?」
「3時の方向! 早く!」
遊び人に促され、俺は身をひるがえし駆け出す。
ヒュンヒュンヒュンと風を切る音に、思わず身を伏せると頭上スレスレを大鎌が通り過ぎて行った。
「ひぃ!」
思わず、叫び声が出る。早くどうにかしないと、今度は俺が首なしになってしまう。
息を切らして全力で駆けていると、部屋の一角に薄暗くもランプの灯に照らされたカウンターが見えてくる。カウンターには椅子が並べられ、奥の棚には酒瓶が並べられていた。大部屋の中に突然現れたその区画は、まるであの店。カクテルバー《ゾクジン》にそっくりだ。
「あそこにある酒で、私を酔い潰して! それで体は止まるはず!」
「足りるのか!?」
俺の財産のほとんどをワインと化し、その全てを胃袋に収めた彼女の姿が脳裏に蘇る。
「わからないけど、他に手はない!」
背後からの気配に振り向くと、彼女の体は既にその大鎌を振りかぶっていた。だが、振るわれた鎌には、大雑把でキレもなかった。どうやら、頭を失ったせいで、間合いを見誤っているらしい。幾分か躱すのは楽であるものの、一撃で俺を殺しうる破壊力をもっていることには変わりない。
俺は、カウンターを乗り越え無造作に酒瓶を手に取る。だが、右腕で彼女の頭を抱いている状態ではとても栓を開けられそうになかった。かといって、頭をカウンターに置きでもして彼女の体に取り返されることを考えると手放すわけにもいかない。
カウンター越しに再び大鎌が振るわれる。上体をそらし大鎌を躱す。大鎌の軌道を見ていると、ふとアイディアが思い浮かんだ。俺は試しに、俺の首があった位置へと酒瓶を持ち上げてみる。案の定、奴が狙っているのは俺の首だったらしい、大鎌は俺の首の代わりに酒瓶の首を斬りおとして見せた。
「ほらよ。まず一本目だ!」
彼女の小さい口に、無理やり酒瓶を押し込む。なんだか、あらゆる方面から怒られそうな扱いであるが緊急事態だ今は目をつむってくれ。彼女はもがもがと言いながら、のどを鳴らしている。
「おいおいおい。お前の大鎌は酒瓶の首を落とすのにちょうどいいじゃないか」
彼女の体に向かって、あらんかぎりの嘲りを送る。
「それともただ見えていないだけか? 俺の首は、ここだぞ」
空いた左手で手刀を作り、自分の首をチョンチョンと小突いて見せる。語る口を持たない身体であるが、立ち上るオーラで怒り狂っているのは見て取れた。
体は、息つく暇もなく大鎌を振るってきた。俺は、それを片っ端から躱しながら棚に並ぶ酒瓶の首を落とさせていくと同時に遊び人の口に代わる代わる酒瓶を差し込んでいく。
「えっぐ……えっぐ……」
彼女の頭が、涙を流していた。
いや、これはさすがに俺が悪い。いくら、彼女を酔わさなくてはならないからといって無理やり口に酒瓶を押し込むのはやりすぎだ。俺は、慌てて彼女の口から酒瓶を取り上げ、体に向かって投げつけた。
「す、すまん遊び人。大丈夫か?」
「私の秘蔵の酒がぁ……せっかく溜め込んだ酒たちが……!」
どうやら、俺の心配は杞憂であったらしい。
「言ってる場合か! さっさと酔いつぶれてしまえ!」
「大事に飲もうって思ってたのにぃ!!!」
完全に油断しているところに、再び大鎌が襲ってきた。気を逸らしてしまっていたこともあり、俺はその一撃を躱すのに大きく飛び退るしかなかった。カウンターから飛び出た俺の前には、もう酒には近づけないぞと彼女の体が立ちふさがっていた。
もう、彼女に酒を無理やり飲ますことはできそうにない。だが、俺にはまだ秘策があった。
「すまん、遊び人!」
「ふぇ?」
彼女の赤いマフラーで、彼女の頭を包み込む。マフラーから彼女の頭が零れ落ちないように、念入りに固くしばりつける。
「どおりゃあああ!」
マフラーの先を握り、彼女の頭を重しに腕をグルングルンと振り回す。
「ちょ! ちょっちょっちょとおおおおおおおおおおおお!!」
彼女の悲鳴があがるが、お構いなしだ。俺は、その速度をどんどんと上げていく。ぐるんぐるんぐるんぐるん。
彼女の身体の足元がふらつき始める。そりゃあそうだろう。たとえどんなに酒に強かろうが、酒が入った状態でこれだけ振り回されれば、彼女と言えどたまるまい。彼女の体は、諦めまいと一歩踏み出す。だが、右足と左足が交差してしまい転んでしまった。うむ、見事な千鳥足だ。
「あ、もう無理」
腕の先から、何もかもを諦めてしまい生気の抜けきった彼女の声が俺の耳へと届いた。その声と同時に、何とか立ち上がろうと四つん這いで踏みとどまっていた身体が地に伏せる。そうして、体は微動だにしなくなった。
俺は、歓喜の声をあげ腕を振るった。俺たちの勝利だ!
空からは、喉を鳴らす彼女の声と共に虹色の雨が降り始めていた。
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