俺は勇者を辞めてビールになります



「そんなに彼女に会いたいなら会わせてやる」



「はぁ?」



 目の前の赤ら顔の男が何を言っているのか、わからなかった。会わせてやる? 彼女に? 彼女とはいったい誰のことだ? いや、いやいやいや、今この場において俺が会いたいと思う女性なんて一人しかいない。炎魔将軍は言っているのだ、俺が会いたいのなら遊び人に会わせてやると。それ以外に解釈のしようがないではないか。だが何故だ。何故、こいつが俺が遊び人のことを追っていることを知っている。



「あの娘は無事なんですか?」



「ええああ、先代の目的も彼女だったのですね。引退した貴方が、我々に接触を図ってきたのはビールではなく彼女にあったわけですか……」



「私に、二度同じ質問をさせる気ですか?」



 マスターから、本日二度目の本気オーラが立ち上る。炎魔将軍の額から、汗がしたたり落ちた。



「……元気にしています」



「まさか監禁しているわけではありませんよね?」



「彼女は、自分の意思で帰ってきました。今は、魔物たちの為に自ら率先して働いています……」



「おいおいおい、その言いぶりだとまさか」



「なんだ、一緒に旅をしていて気づかなかったのか? 彼女は魔族だ」



 頭にドンガラガッシャーンと雷が落ちたがごとし衝撃が走る。変身魔法が解けた魔物たちの姿が思い起こされる。彼女が魔族だとすれば、彼女の正体はいったい……ミノタウロスやオーク、ゴブリン、ま、まさかスライム!? 粘着質で半透明な液体が人の姿に変わり彼女の姿をかたどっていく想像がよぎる。


 俺は、頭上に浮かんでいた想像の雲を頭を横にぶんぶん振り回すことで打ち消した。問題は、彼女の正体ではない。彼女がどのような姿であったとしても、俺は彼女に会いたい。ただそれだけが、俺の望みなのだ。



「……彼女に会わせてくれ」



「ただし、条件がある」



「聞こう」



 どんな条件だろうが、俺は飲むだろうさ。



「魔王様に、二度と手を出さないと誓え」



「誓う」



 検討の余地などない。魔王が人々に害をなさないというのであれば、俺が勇者として奴を打ち倒す必要もない。それに、耐性の力を失うことなく、千鳥足テレポートが使えないままでも彼女に会えるというのなら、それこそ魔王を打ち倒す理由が無くなる。



「俺は、二度と魔王に危害を加えない」



 宣言をした瞬間、俺は何かから解放されたような、繋がれていた鎖から解き放たれたような錯覚に陥った。長年、魔王を取り逃がしたことを悔いてきたのだ、そのうえそんな魔王を放って彼女を探し続けていたことへの後ろめたさ、俺を苦しめてきた勇者としての責任感から解放されたのだからさもあろう。もう何も余計なことを考えなくていい、ただ彼女に会いたいという意思だけで俺は前に進めるのだ。


 あまりに、同時にいろいろな事が起きすぎたためか、俺は少し眩暈を覚えていた。俺は、気付けとばかりにジョッキの中のビールを飲み干した。



「ふむ、勇者様。大変申し訳ありませんが、同盟はこれまでということでいかがでしょうか?」



「どうした? マスターも彼女を探していたのではないのか。会いに行かなくていいのか?」



「まあそうですが、あの娘が自分の意思で戻ったというのなら仕方ありません。勇者様から、あの娘にたまには店に顔を出すように伝えておいてください」



「わかった」



 マスターは立ち上がり、俺に歩み寄る。



「勇者様、最後に一つだけ確認をさせてください。貴方は、勇者の使命を捨てる。そういうことでいいですね?」



 俺は、改めて自分がやろうとしていること、やりたいことを考え、そこに一片たりとも迷いはないと頷いてみせた。



「どうやら、俺は勇者失格なようだ……かつて身に宿していた使命感は既に腐りきってしまった。もはや、自身のことを《勇者》だなどと名乗ることも憚られる」



「そうですね……それでしたら貴方は《ビール》とでも名乗ったらいかがです?」



「はぁ?」



「だってかつて《勇者》であった貴方は、《甘くなり》そして《腐って》しまったのでしょう。まるでビールではありませんか」



「ま、まぁ、そうかもな。そうだな、じゃあ今後は《ビール》と名乗るとするか……」



 マスターは少し酔っているのだろうか、もしくは彼女の無事が知れて気が緩んだのか。よくわからないことを提案してきた。酔っ払いのたわごとであろうが、楽しく酔っている人間に水を差すのも気が引ける。俺は、マスターの提案を受け入れることにした。炎魔将軍が、そいつはいいなと高らかに笑っている。憎々しい酔っ払いめ。張り手の一発でも食らわせてやりたい気分だ。



「さて、私は店の準備がありますのでそろそろ失礼します。《ビール》様、どんな困難が待ち受けているかはわかりませんが、必ず乗り越えて、また二人で私の店にお越しください。ツケもたまっているのですし」



「ツケ?」



「貴方が空けてしまったウイスキーは、銀貨二枚じゃ到底足りませんよ」



 マスターはそう言うと、千鳥足テレポートを使って飛んで行ってしまった。



 俺は、呆けている炎魔将軍に張り手を一発かまし「連れていけ」と促す。炎魔将軍は、機嫌悪そうに頬をさすり歩き出し、俺はそのあとを黙ってついていく。


 中二階を降り、大樽の間を進んでいくと地下に続く階段が姿を現した。周りには樽が敷き詰められており、近づかなければ全く気づきようがない。つまるところ、秘密基地の更なる秘密通路という奴だ。魔王城の玉座の後ろにある階段みたいなものだ。


 地下へ降り、少しだけ通路を進むと開けた場所に出た。四方には蝋燭が立ててあり、中央には不気味な魔法陣が描かれている。まるで悪しき儀式でも始まりそうな雰囲気だ。



「ゲートを起動する。お前は、魔法陣の中央に立て」



 俺は、警戒しながら魔法陣の中央に立つ。横目に魔法陣を読み取るが、どうやらテレポートゲートであることに間違いはないらしい。



「いまさら罠などしかけん」



 部屋の隅の蝋燭が、その灯を強めていく。魔法陣もそれに応じて、幽かに光を放ちだした。



「最後に、一つだけ教えてくれ。何故、俺を彼女に会わせてくれるんだ?」



「そうすれば、お前に魔王様を殺す理由がなくなると思ったからだ……それに」



「それに……?」



「いや何でもない」



 俺はおもむろに、懐から髪束を出す。この秘密酒造を襲撃するにあたって、司教から渡された地図だ。



「炎魔将軍、お前に借りは作りたくない」



 丸められた地図を炎魔将軍へと投げつける。



「教会の精鋭が、この酒造の襲撃を予定している。俺は、その先駆けだ」



「な!? 今更かよ!? もっと早く言え!」



「これで貸し借りなしだな」



 俺が、してやったりとニタリと笑うと同時に魔法陣が発動した。光の中に消えゆく俺に向かって、炎魔将軍がその怒りを隠すことなく喚き散らした。



「くそが! お前を、彼女に合わせる本当の理由を教えてやる!」





「彼女なら、おまえを縊り殺してくれるだろうからだ!」




 その言葉が、炎魔将軍の苦し紛れの最後っ屁なのか、はたまた真実なのかはわからなかった。

 だから俺は、「望むところだ」そう言い返し。炎魔将軍に、あかんべーと舌を出して見せた。



――――――


4杯目 ブリューな気持ち


おわり


――――――


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