甘くなった男

 炎魔将軍が先頭に立ち、そのあとにマスター、そして俺が続く。階段を降り、大樽の間を進んでいくと背の高い円筒状の構造物が見えてきた。円筒状の先は円錐となっており、倉庫の天井を突き破りそうな勢いだ。



「ビールが何でできているかは知っているな?」



 炎魔将軍が前を向いたまま、唐突に声を発した。その口ぶりから察するに、マスターではなく俺に問いかけているのだろう。



「麦だ」



「まあ、その通りだ。正面向かって右手のサイロには大麦が、左手のサイロには麦芽が入っている」



 目の前に並ぶ円筒状の構造物は、サイロと言うらしい。たしか農村とかにある、穀物を貯蔵するための設備だったはずだ。



「なんで、建物の中にサイロなんか建てたんだ?」



「馬鹿かお前。外に建てたら目立つだろ」



 確かにその通りだった。ここは、禁酒法が定められているこの国にとって違法な設備以外の何物でもない。その程度のことにすら考えが及ばないとは、どうやら俺の思考はまだだいぶ鈍っているらしい。



「麦芽もここで作っているのですか?」



「いえ、ここでは手狭ですので。麦芽は、よその業者に任せてます」



 先ほどのやり取りからも伺い知れたが、炎魔将軍はマスターに頭が上がらないらしい。まあ、マスターは先代の魔王であるのだし当然と言えば当然か。



「ところで……麦芽ってなんだ?麦とは違うのか?」



 俺の質問に、炎魔将軍がため息をついた。



「麦芽は、麦に水を与えて芽を出させたものだ。そうすることで、麦の中の糖分が増すんだ」



「糖分を増やす?つまり、ここでは甘いビールを作るってことか?」



「そうじゃない、その糖分を原料に酵素がアルコールを作るんだ」



「酵素?」



「お前は、何だったら知っているんだ……要は菌のことだ」



 飲む専門で酒が如何に造られているかなど知る由もなかった俺としては、炎魔将軍の話は悔しくも興味をそそられるものだった。ついつい、敵地のど真ん中であることも忘れて話に聞き入ってしまう。



「次はこちらです」


 

 炎魔将軍につきしたがい、俺たちは再び大樽の間を抜け階段を上り中二階の通路を進む。物に溢れ死角だらけの一階も、上から見回せば、倉庫の最奥まで見渡せた。一階を覗いてみると、素足の人間たちがセカセカと働いている。その体つきは一様に大きく、力にみなぎっている。おそらく、俺が気を失っている間に魔物たちが再び人の姿に化けなおしたのだろう。



「ちょうど真下にある釜で、熱湯を沸かし麦と麦芽を加えた麦芽ジュースを作っています」



「甘い匂いがするな」



「さっき言った麦の中の糖分を取り出しているんだ、当然麦芽ジュースは甘い」



 大釜の横を、木箱を抱えて大男たちが通っていく。木箱の中には、緑色をした植物の芽のようなものが詰まっていた。 



「麦芽ジュースができたら、隣の釜に移してホップを加えます」



 なるほど、大男たちが運ぶ木箱の中身。あれがホップなのか。



「このご時世で、よくホップを入手できますね」



 マスターが感心そうに木箱に視線を送っている。



「まあ主に生薬として栽培されている物です。見てみますか?」



 炎魔将軍が片手をあげ、一階の大男たちに「おおぃ」と声をかけ身振りでそれを寄越せと伝えた。大男の一人が木箱の中からホップをつかみ、放り上げたものを、炎魔将軍は造作もなくキャッチする。マスターは、その様にパチパチと拍手を送っている。



「お前も見てみろ勇者。これがホップ、ビールの要の一つだ」



 炎魔将軍の掌の上に乗せられたホップをマスターと一緒に覗き込む。ホップは、淡い緑色の葉が折り重なるようにその形を作っていて、まるで花のつぼみみたいだった。


 その一つを手に取って、まじまじと眺めていると炎魔将軍が「食ってみろ」と促してきた。まあ、何事も挑戦と口に放り込んでみる。


 そのあまりの強烈さに、目から涙が零れ落ちた。口内に広がる青臭さが、ひたすらに嗚咽を誘う。慌てて口の外に吐き出しても、その強烈な香りと苦みは残ったままだ。俺が後悔の念を胸に、炎魔将軍をにらみつけると奴はケラケラと笑っていた。その隣では、マスターも笑いをこらえるように肩を揺らしている。



「くそ、いつかこの借りは返すからな」



 俺のもがき苦しむさまを、二人は一頻り笑ったのち、再び通路を歩きだした。しばらく進むと、倉庫の入り口付近、パイプの伸びた大樽のあたりにたどり着いた。



「この大樽の中には、先ほどの麦芽ジュースに酵母を加えたものが入っています」



「ほほう。つまり、この大樽の中で今まさにビールが作られているということですね」



「なんだ、大樽の中で魔物が作業しているのか? 酷い作業環境だ」



「いえいえ勇者様、働いているのは酵母。すなわち、菌達です。かれらが糖分をアルコールへと変えることでビールが出来上がるというわけです」



「菌が……?」



 俺は、素直に感心していた。目に見えないほど小さい細菌が、糖分をアルコールに変える? その実、マクロな話なのだろうに俺の理解を大きく超えるそれは、とても雄大で力強く感じられた。いままで、何も考えずに酒を飲んでいたのが少し恥ずかしく思えてきたほどだ。遊び人は、酒は語らずに飲めと宣っていたが、知っていて語らないのと、ただ知らないだけで語ることができないのとでは大違いだと今更に気づく。



「飲んでみるか?」



 俺は、寸秒もおかずにうなづく。マスターも、目を輝かせて「是非」と声をあげた。



「では、どうぞこちらへ。先ほどの応接室に出来上がったビールを用意させますので」



 ビールを飲めると聞くと、どうにも浮足立ってしまったのか俺たちは足早に応接室へと戻った。炎魔将軍に促され俺はソファに腰を下ろす、だがマスターはそれを固辞し、窓際で倉庫で働く男たちへ熱いまなざしを向けていた。



「勇者と命がけのやり取りをしたばかりだというのに、みなよく働くものですね」



「……幸い、身体だけは丈夫な連中ですので」



 俺は、フンと鼻を鳴らす。別に、俺が悪いことをしたとは思っていない。魔物と勇者が出会えば、剣を交えるのはごく自然なことなのだ。だが、ここでせっせと真面目に働いている連中を見た後だと、そんな連中をコテンパンに伸してしまったことに、僅かにではあるが罪悪感が浮かんできてしまう。



「しかし、勇者よ。腕が鈍ったのではないか?」



 俺は、顔をあげ正面の男に目を向けた。炎魔将軍の物言いに、罪悪感が薄れ、変わりに怒りが込みあがってくる。



「でなければ、甘くなったな」



「……もう一度、地面に這いつくばってみるか?」



 なるべく重く、そして冷たく声を出す。しかし、炎魔将軍に怯む様子はない。



「今日、この倉庫に死体が一つも転がっていないのはどういうわけだ。どうして、最後まで剣を抜かなかった? 」



「……それは」



 別に、不殺主義に目覚めたわけでも、魔物に情けをかけたつもりもなかった。そもそも、手を抜けるような余裕なんてものも今の俺にはない。だが、確かに今日の俺は剣を抜けなかった。いや、幾度となく抜こうとはしたのだ。しかし、その度に、まるで誰かに柄を抑えられているかのような不思議な感覚に陥り力が抜けてしまうのだ。


 そんな俺を、炎魔将軍は「甘くなった」と評した。その言葉は、かつて俺が遊び人に対して使ったものと同じものであった。



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