腐った教会
久しぶりの故郷の空気を吸い込んでも、俺には何の感慨も沸き上がらない。俺は、そもそも孤児だったし、幼い頃から勇者としての厳しい訓練や教育を受けていたためか、ここには何の楽しい思い出もない。浮かぶのは、せいぜいが、勇者としての責務を果たしきれていないことへの罪悪感ぐらいのものだ。
「ほっほっほ、久しいのう勇者様。帰ってきたということは、遂に魔王を打ち取ったか? 」
俺を出迎えたのは、女神正教の司教。かつて、俺に勇者としてのありよう、教会の戒律をしこたま教え込んでくれた人だ。
「申し訳ありません司教様。残念ながら、行き詰って助けを求めに帰って参りました」
司教とは、特に親しいわけではない。だが、教会でも有数の情報通であると言われる彼なら、俺の抱える問題に一筋の光を差し込んでくれるかもしれない。俺は、差しさわりのない程度に俺の置かれている状況について説明をした。
「……ふぅむ、酒に酔うことが条件のテレポート。そのように面妖な魔法があったとは」
「国が定める法を犯していることは重々承知しております。しかし、魔王を見つけ出すにはこの魔法が有用であると私は考えたのです」
正直なところ、俺は魔王を探すという建前だけでなく酒を楽しんでいたのだが、そこまで言う必要はあるまい。魔王をそっちのけで、遊び人を追っているという点も内緒だ。いい年をして、この老いた男に教鞭で叩かれるのはごめんだ。
「まぁ待て、酒が禁じられている世であるが、そのことを咎めるつもりはない。それよりも、耐性の力の話じゃったな……」
「はい。私が女神さまより授かったこの力を、どうにか抑えることはできないでしょうか」
司教は顎に手をあて「ふむ」と呟いた。
「かつて、お主と同じように女神から力を授かった勇者はたくさんおる。不死の力、莫大な魔力、全てを見通す目、まあ力は様々じゃが、共通している点がひとつ……」
「そ、それは……」
ごくりと唾を飲み込む。
「魔王を打ち倒した後は、力を失い平穏な日常を享受したということじゃ」
「魔王を……」
本末転倒ではないか。建前上でも魔王を追うために、耐性の力を抑えたいというのに。そのためには、魔王を打ち倒さなくてはならないとは。見つけられないのに、どうやって魔王を倒せと言うのだ。
「ほ、他に手段はないんですかね……司教様」
「残念じゃが……」
思わず、ため息がこぼれた。藁にもすがる思いだったが、どうにも事はうまくいかないようだ。諦めて、各地の酒場で地道に聞き込みを続けるしかないようだ。
しかし、わざわざ王都まで出張ってきたのだ、手ぶらで帰るというのは何となく味気ない。そんな気持ちが、ふと口をついて出ていた。
「そういえば、ここにもワインはあるんですよね?」
司教の目が、先ほどまでとは打って変わって鋭い物へと変わる。まずい、なにか地雷を踏んだか?
「……あるが、どうするのじゃ?」
「いえ、酔えなくはなったのですが、せっかくですからここのワインの味ぐらいは確かめて帰ろうかと……」
もし、俺の言葉が司教の怒りに触れたのなら、その時は素直に鞭を受けよう。どうせ、耐性の力のおかげで、たいして痛くはないのだから。そう思った俺は、正直に本音をそのまま司教へと伝えた。
司教は、目をつむり手を顎にあて「うんうん」と唸りだした。
「耐性の力を抑える方法はないが。魔王を見つける手段なら……実のところ……ある」
「実はな、魔王軍と思しき連中の拠点を一つ見つけての」
「あやつら、遂にこの王都にまで、その魔の手を伸ばしてきおったのだ。最近、ワインの売り上げが芳しくないと思って調べたらこれじゃ……まったくゴキブリのような連中じゃ」
唐突に、俗的な口調で話し出した司教に、俺は言葉を失っていた。かつて、この俺に教会の戒律を叩きこんだ厳しい神父様と
、いま俺の目の前で、汚い言葉で魔王軍を罵る男が同じものだとは到底思えなかったからだ。
しかし、司教の話はとても聞き流せる内容ではなかった。司教の変貌ぶりは重要なことではないと、頭を振って、司教へと向き直す。
「ちょっとお待ちください。どういうことですか?」
「じゃから、魔王軍の連中がこの王都に潜んでいるということじゃ」
「やつら、いまや我ら教会の最も強大な商売仇じゃからな。ちょっと行って、ぶっ潰してきてくれないか?」
「そこには魔王も?」
そうだ、魔王さえ倒してしまえば、俺は耐性の力を失うのだ。そうすれば、また千鳥足テレポートを使えるようになり、遊び人を探しに行くとができる。しかも今度は、勇者としての責務も消え、罪悪感に悩まされることなどもない。大手をふって、彼女の尻を追いかけることができる。
「少なくとも、幹部級がいるとのことじゃ」
「なぜ、そのような情報をお持ちであったのに、もっと早く知らせていただけなかったのですか!?」
俺の怒りの乗った言葉に、司教には一切悪びれる様子がない。それどころか、口をとがらせて口笛を吹く素振りまで見せている。
「儂が知っている勇者は、戒律どころか法律にも雁字搦めにしばられた男じゃった。そんな男に、こんな俗的な話を聞かせたら、逆に儂を鞭で叩きかねんかったからな。それどころか怒り狂って大聖堂内で綱紀粛正を叫びかねん」
「では、なぜその情報を伝える気になられたのですか?」
「お主が、ワインを所望したからの」
ワイン……?
「おや、数多の酒場で既に経験済みかと思っておったが……知らなんだか」
「酒場では、素面の男は信用されんのじゃぞ?」
この狸親父め、教会のことを酒場と宣いやがった。俺は、呆れながらも、かつて恐怖におののいた目の前の男に僅かながらの親近感を覚えていた。
しかし、参ったものだ。
司教の様子を見るに、この国で一番の教会内部は拝金主義に目覚め、だいぶ腐りきっているようだ。しかし、なに。腐ることは何も悪いことだけじゃないさ。だって、彼女の愛した教会のワイン。ワインとて、ブドウが腐ったおかげで生まれたものなのだから。
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