3杯目 カクタル思い

絶対に魔物に勝つ方法は、トイレ強襲が最適解


母さん、俺、今日こそ男になります。



俺と遊び人との旅がはじまり、どれだけの年月が流れただろうか。

初めての出会いは既に、悠久のかなたのように思えるが、今日という記念すべき一日までの出来事は遍く脳内に書き記してある。


いや、懺悔しよう。全て覚えているとは言ったが、本当に全てを覚えているわけではない。

だが安心してほしい。時に男は、忘れる生き物だと聞くし。人は、失うことで前に進めることもある。俺の記憶の喪失も、そういった何かしらの尤もらしい理由に則ったものだ。

もっと具体的に言えば、さすがの勇者といえど酩酊した際の記憶は明確ではないということだ。勇者から記憶を奪うとは、酒の力は実に恐ろしい。


ふと目が覚めたら、教会の地下で身ぐるみはがされていたこともあった。

街のゴミ捨て場で、汚い麻袋を枕としていたこともあった。

身に覚えのない、痛みを感じることもあった。

だが、安心してほしい。全ての恥は、その記憶とともに嘗てありし夜に置いてきた。俺に恥じることは何もない。


かつての俺は、溢れんばかりの道徳意識と、王より譲り受けた宝剣を共に腰に携えていた。

だが、いまやこの体たらく。夜になれば彼女とともに酒を飲み、道端に戻した胃袋の中身よろしく、記憶と強き道徳意識を土に還してしまう。

勇者として、俺は多くの物を失ってしまった。


もう一度、声高らかに宣言しよう。人は失うことで前に進めることもあるのだ。

そういうことだから、みんな安心してくれ。



ゴーレムとの一戦以来、俺と遊び人は魔王に関する大した情報を得ることが出来ずにいた。

別に、俺たちに落ち度があったわけではないと思う。

俺と遊び人によって、立て続けに拠点を強襲されている魔王軍としても情報の秘匿に力を入れているのだろう。


だがしかし、いくら魔王軍が影に潜み隠れようとも。こちらには「千鳥足テレポート」がある。

俺と遊び人は、魔王捜索に行き詰まると酒を飲み、そして千鳥足テレポートで飛んだ。もちろん飛んだ先々では、魔物たちと剣を交え魔王の居場所を問い詰める。

そして情報が得られなければ、また日を改めて酒を飲み千鳥足テレポートだ。


そんなこんなを、俺たちは半年ほど続けてきたが魔王軍の拠点をいくら潰しても魔王の居場所に関する情報は一切得られなかった。

だが、他に術はない。こちらには「千鳥足テレポート」がある……いや、それしかないのである。

テレポートで飛び続ければ、いつか必ず魔王のもとへとたどり着ける。俺は、そう信じ今日もエールを流し込む。



「勇者さん勇者さん、そろそろご都合はいかがでしょうか」



遊び人の妙に仰々しい物言いから、彼女の酔いの具合が察せられる。

残念ながら勇者たる俺はまだちっとも酔っていないのであるが。

興の乗った酔っ払いに付き合ってやるのもまた一興であろう。



「おやおや、遊び人さん。俺が、もうそんなに酔っぱらっているよおに見えるのですかな」



「見えますとも、見えますとも。いまの勇者様は、まるで地獄の赤鬼のような赤ら顔ですぜ」



「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」



「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」



「いや、なんとなく旨い事言おうとして失敗しただけだから深堀しないで」



「……ならもっと可愛いものに例えなさいよ」



ふむ、サルの尻より可愛いものときた。さて、そんなものが現実に存在しうるのだろうか……。

いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。星の数よりあるわ。

ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。



「はよしろ。あほう勇者」



焦らすなよ。

そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。

例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。

あ、これはだめだ。

これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。



「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」



狭く薄暗く、街の酔いどれ達で溢れかえっていた秘密酒場中に、彼女のその澄んだ声が響き渡った。



目を開けると、鼻先には地獄の赤鬼。であったらどれだけ良かったであろうか。

少し皺が寄り黒く太い毛が大量に茂っているそれは、地獄のサルの「赤尻」。

でもなく、誰とも知れぬ汚い生尻であった。

その様相からして間違いなく、彼女の尻ではないことだけはわかる。彼女の尻が、こんなにオゾマシイものであるはずがない。



「きゃあああああああああああああああああああああああ!」



尻の持ち主が、まるで女みたいな悲鳴をあげる。あくまで「女みたいな」悲鳴である。その実、尻の雄々しさに違わぬ、酷く低いしわがれた声だ。

しかし無理もない。勇者たる俺であろうとも、突然尻の先に見知らぬ男が現れたら恥も外聞もなく黄色い声を上げるであろう。


というか、むしろ叫びたいのは俺のほうである。こちらからしてみれば、鼻先に突然見知らぬ尻が現れたのだ。

見知らぬ男と、見知らぬ尻なら間違いなく見知らぬ尻のほうが恐ろしいではないか。

かろうじて俺が声を上げずにいられるのは、この汚い尻を前にして口を開けることが至極恐ろしかったからである。


尻から距離を取るべく、足に力を入れるが徒労に終わる。

身動きがとれない。重力を頭上に感じる。どうやら俺は、ひっくり返っているらしい。



「あ、こいつ魔王軍幹部だ!捕まえろ勇者!」



どこからか、遊び人の声が聞こえてきた。

声の反響具合から、この部屋の大きさがおおよそに知れた。


狭い個室、尻を丸出しにした男、察するにここは厠だ。

できれば、察しないままでいたかったが。



「拘束魔法 フリーズ!」



「さ、させるか!反射魔法マジックミラー!」



「詠唱封印 サイレント!」



「効かぬわ!獄炎魔法 ヘルファイア!」



遊び人の詠唱を皮切りに、俺たちと魔王軍幹部との戦闘が始まった。



――――――



「魔王はどこにいる!?」



体術の使えない狭い厠で二対一での魔法の打ち合いともなれば、結果は語らずとも明らかであろう。


縄で後ろ手に縛られた魔王軍幹部が、神妙に首を垂れている。

あまりに可哀そうだったので、ズボンだけは俺が手ずから上げてやった。



「……」



俺の問いかけに、魔王軍幹部はその面を上げる。

赤みがかった肌に、額に生えた日本の角からは東の国で語られる地獄の獄卒を彷彿とさせられる。

赤鬼の目がギョロっとこちらを向いた。その漆黒の瞳には俺に対する強い敵意がこもっている。


排泄中を急襲されたのだ、怒髪天になるのも無理もない。だがしかし、誰が好んでおっさんの排泄シーンを急襲するであろうか。

不可抗力である。責任の所在は、少なくとも俺のところにはない。



「勇者。こいつは、魔王軍四天王がひとり炎魔将軍。魔王の側近中の側近だよ。」



「こいつがそうなのか?」



再び鬼の顔を見る。なるほど、魔王軍残党の中でも極めて高い戦闘力を誇ると言われる炎魔将軍、別名『黒き炎』の人相書きにそっくりだ。



「お前の二つ名が『赤尻の男』なら、もっと早く正体が割れていたんだがな」



部屋の中が、冬の澄み切った朝のような静寂に包まれる。

幾分か、赤尻の男の殺気が増したように感じる。

どうやら、冗談の通じる相手では無いようであった。





「私が話すから勇者は少し離れていてくれないか」


遊び人の声は、いつになく冷ややかなうえに更には冷たい視線まで俺に送ってきている。

その原因に一切の見当もつかないものの、母親に叱られる子供のように俺はつい「はい」と答えてしまっていた。


彼女と炎魔将軍から幾分か離れたところで俺は振り返った。

声は届かない。だが、会話の内容を読み取る方法なんていくらでもある。

俺は、目を凝らし彼女たちの唇を読む。


「ねえ魔王がどこにいるのか教えてよ」


「知っていれば教えているさ。本当に知らないんだ」


「うそね」


「本当さ」


二人の問答は、街角で出会った友人同士が交わすあいさつのように淀みないものだ。

一見すると日常にあふれるような様相であるが、その日常的なことが問題だ。その日常性そのものが、まったくもって異常なのだ。


これまでも、遊び人は魔物たちから巧みに情報を引き出してきた(情報の有益性は別としてではあるが)。

彼女の問いかけに、彼ら魔物たちは常に誠実に答える。少なくともはた目からはそのように見える。


俺が問いかけても無視をするか、罵詈雑言を浴びせてくる連中が彼女の前では尻尾を振る犬の如しである。


当然、彼女のことを疑った。

「魔王軍と何らかの関りがある」まではいかなくとも、禁じられた拷問魔法や自白剤の類を魔物たちに使用している可能性は十分にある。

できれば、そのような真似を彼女にはしてほしくない。


というわけで俺は、彼女の疑いを晴らすべく彼女と魔物たちとの会話を盗み聞くのが習慣となっていた。

残念なことに、もしくは喜ばしいことにその成果は一切にあがっていない。

彼女と魔物たちとの関係性は謎のままであるし、彼女が何らかの非倫理的な手法を用いている証拠も見つかっていないのだ。

いまのところは彼女はとてつもない聞き上手である。と自分に言い聞かせ無理やり納得するしかない。


「しかし、胸もなかなかに膨らんでてしっかり大人の女の子だねえ」


魔王軍の黒き炎改め、赤尻エロ将軍の唐突なセクハラ発言に右腕が反応する。

気が付くと、俺の手は既に鞘から剣を抜きかけていた。


「……話をそらさないで」


俺は二人の間に割り込んでエロ親父を成敗してやりたい衝動に襲われる。





遊び人の厳しい目が、炎魔将軍に突き刺さる。

まるでその眼差しに耐えられなかったかのように、炎魔将軍がぽつりとこぼした。



「なあ、見逃してはもらえぬか?」



「魔王の居場所を教えてくれたらね」



「それはできん。殺せ」



炎魔将軍の表情は真に迫っている。ブラフではない、本当に死を覚悟している者の顔だ。

すると今度は、遊び人の表情に困惑が浮かんだ。



「そんな物騒なこと言わないでよ。だいたい、私のナイフは全部貴方に燃やし尽くされちゃったのよ」



炎魔将軍の目がギラリと妖しく光る。



「それに、魔力だってほとんど残っていないんだから」



そこからは一瞬だった。

炎魔将軍の輪郭が揺らいだかと思ったら、彼を縛り上げていた縄が燃え上がり彼の手には炎によって作り上げられた刀が握られていた。



「遊び人、離れろ!」



叫ぶと同時に俺は体当たりで、遊び人を吹き飛ばす。

つい数瞬前まで彼女の首があったところを、炎の刃が通り過ぎた。



「あ、ありがとう、勇者」



彼女の言葉には答えず、炎魔将軍の攻撃に備えて抜刀する。

しかし、黒き炎の影は既に消え去っていた。



「怪我はないか?」



彼女の顔を見た瞬間、俺の血が沸騰した。

右頬に一筋の黒い線。間に合わなかったのだ、黒き炎の刃は確実に彼女の右頬を切り裂いていた。


頬の傷からは血が流れていない。炎の刃故なのだろう。

切り裂かれたと同時に炎に焼かれ血が止まっているのだ。


彼女の顔から眼をそらす。彼女の事を見ていられない。

怒りが湧いてくる。



「―――いつか必ず報いを受けさせる」



「落ち着いて。勇者」



遊び人が、俺の口元に手を寄せる。

何事かと思えば、彼女は自身の袖口で俺の口を拭った。


どうやら、怒りのあまりに唇を噛んでしまっていたらしい。

俺の血で彼女の袖口を汚してしまっていた。



「逃げられたか」



「ありがとう、勇者。君の助けが無かったら、喉を切り裂かれてた」



再び、彼女の顔をみる。



「俺たちが相手しているのは、魔族だということを忘れたのか?迂闊にもほどがあるぞ」



「もう戦意はないと」



「君は魔族に優しすぎる。その結果がこれだ、見てみろ」



いや、見れるわけがない。見れるわけがないのだ。

俺としたことが冷静さに欠けている。



「来てくれ……回復魔法をかけるから」



「ありがとう」



彼女に、回復魔法をかける。頬の傷がみるみるうちに塞がっていく。

そう、傷は塞がるのだ。塞がっていくだけ。



「次に会ったら、絶対に殺す。」



思わず出た言葉に、自身が思っている以上に怒りに囚われていることにハッとする。


俺の口からつい出てしまった言葉が、遊び人に恐怖の表情を浮かばせていた。


これはいけない、かなり感情的になりすぎだ。



「ひとまず、宿でも取ろう」



部屋の小窓から差し込んでいる赤い夕陽が、俺たち二人の影を長く伸ばしていた。



千鳥足テレポートの帰還術式で酒場に戻った俺たちは、村のはずれにある宿屋へと向かった。



おそらく元は酒場だったものを改装したのだろう、扉を入ると机がいくつか並べてあり宿泊客らしき人達が食事をとっていた。

広間の奥には、カウンターがあるが本来酒が置いてあるはずの棚には代わりに部屋の鍵らしきものが並べてある。



机の隙間を抜け、カウンターの中にいる禿頭の大男へと話しかける。



「宿をとりたい」



禿頭の大男改め宿屋の主人がチラリと俺たちの様子を見る。

見慣れない旅人、飛び込みの宿泊客を見定めているのであろう。



「一部屋でいいな。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」



そういう仲ではないと主人を制すると、遊び人が抗議の意思がこもった視線を飛ばしてくる。



「私は一部屋でも構わないけど」



「いや、できれば二部屋とりたい」



確かにこれまでの旅路の中、ほぼ毎日床を共にしている。

勘違いしないでほしいが、床を共にしたというのは至極直接的な意味であって。

残念なことに何か過ちが起こった夜など一夜としてない。


ではなぜ、俺たちが恋仲にあるでもなく部屋を一つしかとらなかったかといえば答えは単純で金欠であったからである。


俺たちは立ち寄った村々で剣の腕をつかい路銀を稼いできたが、そういった仕事も毎度あるわけではない。

そして何より俺と彼女の旅はその性質上、資金のほぼ全ては酒代へと消えていくのだ。


おのずと酒代以外の費用は節約するという習慣が俺たちには備わっていた。



「俺に少し時間をくれ遊び人。主人、二部屋で頼む」



しかし、今の俺には正直なところ彼女と同じ部屋で過ごす余裕がなかったのだ。

炎魔将軍を止められなかったという後悔の念、つい口走ってしまった言葉で歪んでしまった彼女の表情。

彼女の頬に振るわれた炎の刃が脳裏から一向に離れる気配がない。


様々な思考が、脳内を駆けずり回っている。

経験上、こういうときは一度冷静にならないと非常に危険だということを俺は知っている。

魔王討伐の旅は一歩間違えれば、簡単に命を落としてしまう辛い旅だ。一瞬の迷いが、死に直結してしまう。


悩みや後悔の種は、育つ前に摘み取らなくてはならない。

だからこそ、俺には一人で冷静になれるだけの時間が必要だったのだ。




大男が唸りながら宿帳をとりだした。



「うーん、実は今晩来る予定だった御者がまだ来ていないんだ。日を跨いでも、そいつが来なかったら一部屋空くかな」



「じゃあ、部屋が空いたら教えてくれそうしてくれ。だめなら諦める」



遊び人のほうを振り返ると、何がそんなに気に食わないのか彼女の眉間にしわが幾重にも寄っていた。

路銀を節約するのも大事だが、時には俺に一人になる時間をくれたっていいじゃないか。


それに路銀のことを言うなら、千鳥足テレポートを使わない日は休肝日にでもすればいいじゃないか。

魔王を探し出すための必要経費と言うならともかく、君は普段から酒を飲みすぎている。


とは口を避けても言わない、いや言えない俺がいる。

酒が、俺の不眠症への特効薬となっているということもあるが、なにより彼女と酒を酌み交わす時間がとても好きだからだ。

その楽しいひと時を失うことは是が非でも避けたい。



「ひとまず、荷物を部屋に置こう。それから夕食にしようじゃないか」



「だったら、私の荷物も置いてきてよ」



どこか険のある言い方だった。



「どうした、何が気に食わないんだ?」



「おじさん、ここの宿屋にある中で一番強いお酒を頂戴」



店主が困った表情で告げる。



「おいおい、こんな所で喧嘩は止めてくれよ。それにうちは真っ当な宿屋なんだ酒なんてあるわけないだろう」



彼からすれば、俺たちのやり取りは単なる痴話げんかに見えているのであろう。

遊び人が店主をにらみつけると、店主はたいした酒は置いてねえぞと呟きながらいそいそと店の奥へと引っ込んだ。



「おい、店主に八つ当たりすることは無いだろう」



「早く、荷物を置いてきてよ」



言葉を荒げているわけではない。

むしろ、とても静かで落ち着いたトーンであるがしかし。そこには一切の反論を許さない遊び人の強い意志がこもっていた。


かつて幼き日に母がヒステリーを起こした時をふと思い出す。

こういう時の女には逆らってはいけない、それは火に油を注ぐような愚かな行為である。


俺、いそいそと彼女の荷物を背負い宿屋の主人から告げられた二階の部屋へと上がった。



部屋に荷物を置き、階段を降りると遊び人が既に机の一角に陣取っている。

他の宿泊客は先ほどのやり取りを聞いていたのだろう、まるで演劇の一幕を楽しむがごとく奇異の目を向けている。


中身はともかく外見は平凡な俺と、ただでさえ可愛らしさに満ち溢れているのに更には白と黒の派手な服を着た美少女のカップルだ。

人目を引いてしまうのは致し方のないことだ。



「話がしたいの」



「それは、こちらも望むところだ。だが、道化師の傍らを演じるつもりはないぞ」



彼女が何に怒っていて、俺に対して何を伝えたいのかはわからない。

だが、いい加減に聞いておかないといけないことが山ほどある。


彼女にだけやけに正直になる魔物たち、それに彼女が魔王を追っている目的。


これは、ただの興味本位ではない。

二度と同じ過ちを犯さないためにも、俺は彼女について知っておかなければならない。



「じゃあ、これ飲んで」



「なんだこれ」



「さあ、店主の自家製らしいわ。いいから、飲んで」



グラスを傾け謎の酒を喉に通すと、喉がやけたような刺激に襲われる。なんだこれ、まっず。



「そうね貴方の言う通り、衆目にさらされるのは本意じゃないわ」



「そうだな」



「だから、静かに話の出来る場所に行きましょ」



彼女が、俺に手を差しのべる。

なんだ、なんだかんだ言いながら仲直りの握手というわけだ。


ならば、そのまま二人仲良く手を繋いで静かなスピークイージーへと繰り出すのも悪くないではないか。

なにより、この宿屋においてある酒は碌なものではない。まともな酒が飲めるなら、どこだっていい。



ウキウキと浮足立った俺は、何も疑問に思わず彼女の手を取った。



「千鳥足テレポート!」



「え!?」



俺と遊び人の体から光の粒子が立ち上っていく。

あぁ……俺の浅はかな勘違いは、まるでこの立ち上る光の粒みたいだ。

楽し気に舞い上がったのち儚く消える。


できることなら、この勘違いが遊び人に気づかれていませんように。

光の粒を星に見立て、俺は切に願った。



目を開けると、そこには俺の胸の高さほどのカウンターがあった。

そして、そのカウンター越しには壮年の男が一人。



「みぃぃぃつぅぅぅうぅけぇぇぇぇたぁぁあぁあ」



思わず歓喜の声が出てしまっていた。

それだけか、顔中の表情筋が全てにおいて緩んでいるのがわかる。

まさか俺がここまで表情豊かな男であったとは自分でも驚きだ。


目の前の男は、褐色の肌に銀色の髪を持ち。額からは二本の角が生えている。

その姿は、かつて剣を交えた魔王その人であった。


しかし、逃亡生活の疲れのせいか大分やつれてしまっている。

哀れには思わんぞ、今度こそトドメを刺してくれる。

俺はゆっくりと剣の鞘に手をかける。



「剣を離して」



遊び人が声をかけてきた。

珍しく声が震えている、きっと彼女も緊張しているのだろう。


……なんだって?遊び人は何と言った。

『剣を離して』だと?



「マスター、貴方もよ」



マスター……?目の前の男、魔王が『マスター』。すなわち『ご主人』であると言うのか?

ならば、彼女の正体は……魔物!?


俺の意識が、魔王から遊び人へ移ったその一瞬。

魔王の右腕が尋常ならざる速さで動く。

その手に逆手で握られているのは針状の武器。暗殺等に用いられる暗器だ。



「……っ!?」



なんとか反応し剣を引き抜こうとするが、剣は抜けなかった。

剣の柄を握った俺の手に、遊び人が手を重ね押さえつけてきたからだった。


俺は、死を覚悟した。



しかし、暗器が俺に向けられることはなかった。

魔王は満足そうにニンマリと笑うと、何処から取り出したのか左手の上に氷をのせ、その暗器で砕きだした。


かっかっかっと刻みよく氷が削られていく。

呆然として魔王を眺めていると、見る見るうちに綺麗な球体がその手の上に作り上げられていった。


魔王ができあがった氷の球体を、透明なグラスへと放る。

氷がグラスを叩く乾いた音がカランカランと鳴った。その音を福音とし、俺は正気を取り戻した。



「ど、どういうことだ?」



遊び人に問いかけるが、彼女は答えずにカウンターに並べられた椅子へと俺を促した。

魔王はひとまずのところ、俺を殺しにかかってくる様子はない。ならばと、俺は椅子に腰を下ろす。



「ここは?」



再び遊び人に問いかけるが、答えは正面から返ってきた。



「いらっしゃいませ。ここは、バー『ゾクジン』でございます」



独特の低さを持ちながらも透き通った力強く優しい声。



違う……姿かたちはよく似ているが、声が違う。

あいつの、魔王の声はもっと威圧感に溢れ。まるで自らの力を誇示するかのようなものだった。


ならば目の前の、魔王によく似た男は魔王と同族。もしくは、近しい親類といったところだろうか。



「お前は何者だ……?」



「マンハッタン」



俺を無視して、遊び人が謎の呪文を呟いた。

隣を見ると、彼女は気だるそうに頬杖をつき指を一本立てている。



「『いつもの』ですね、畏まりました。それで、そちらは?」



こいつら、俺の質問に全然答える気がないんじゃないかという怒りもあるが、状況を理解していないのはどうやら俺一人であることを考えるに。

今は、状況に流されるのが正解への近道だろう。

というか、『マスター』って店の主人のほうかよ……!


勘違いからくる若干の恥ずかしさに頬を染めながらも、俺は男の言葉を無視して部屋をぐるりと見渡す。俺たちがいる部屋は、それほど広くなくカウンターに席が6つほど。俺の後ろには、小さな丸机と椅子が二つ。

席が埋まったとしても8名しか客が入らない。どうやら、かなり狭い店らしい。

足元すら怪しい暗さであるが、僅かな光によって作り出される影が妖しく室内を飾っているのを見るに意図的に照明の数を減らしているのであろう。


カウンターの向こう、魔王によく似た男の背には見たこともない多種多様な酒瓶が並んでいる。

そのほとんどは、見たことのない未知の言語で書かれたラベルが張り付けてある。


今まで、さまざまなスピークイージーを見てきたがこんな奇妙な店は初めてだった。



「彼、バーに来るのは初めてなの」



「おや、もしかして彼が……?」



「そう、例のお友達」



察するに、遊び人はここの常連らしい。

時折、魔王探索とは別に一人で千鳥足テレポートで飛んでいくことがあったが、ここに来ていたのだろう。


店の主人との親し気な具合が実に腹立たしいが、年齢的には爺さんと孫ぐらいだろうか。

実際のところ、そう言う関係とは到底思えない。


だが、それでも俺の知らない彼女を『マスター』が知っている様子にどうも嫉妬を禁じ得ない。



「そうでしたか。それでしたら、何か飲みやすいものでも如何でしょうか」



「俺を舐めるなよ。何か強い奴をくれ」



妬みからくる敵意むき出しな俺に、遊び人からの抗議の視線が届く。

が、俺は気づいていないふりをする。



「それでは、スクリュードライバーでもお作りしましょう。少し強めに致しますね」


「二杯目からは、さらにお好みに沿うようにお作りできるかと思います」



マスターの『作る』という言葉に、俺の頭上に再び疑問符が浮かび上がった。

酒を『出す』ではなく『作る』とマスターは言った。ここは、酷く狭い店に見えるが裏に醸造所でも兼ね備えているのだろうか。



「遊び人、ここは醸造所なのか?スピークイージーかとも思ったが、店主は酒を造ると言ったぞ?」



「ああ、ごめんね。説明不足だったわね。ここはカクテルバー」



「酒や果汁なんかを混ぜてつくる、カクテルを飲ませる店よ」



いい加減、俺の問いかけに一つにくらい答えてくれないだろうかという淡い願いを込めた質問に。


彼女は素っ気なくも、ようやく一つ答えを返してくれた。


―――――


「カクテルってのはねえ、組み合わせによって無限の広がりをもつものなの」



逆三角形のグラスには、店のランプのせいだろうか少し赤みがかった琥珀色の液体で満たされている。

魔法薬だと言われれば信じてしまいそうな色彩だ。

酒の中でプカプカ浮いたり沈んだりを繰り返しているチェリーも、見ようによってはホルマリン漬けされた実験体みたいだ。



「まあ、論より証拠よ。飲んでみたら」



気づくと、俺の前にもすでにグラスが置かれている。

パッと見たところ、ただのオレンジジュースに見えるが、これが本当に酒なのだろうか。

幸いなことに、その疑いはたったの一口で晴らされた。


強いアルコールがガツンと脳を揺らす。これをジュースと呼ぶ奴がいたら、そいつは間違いなく素面ではないだろう。

オレンジジュースと何かしらの蒸留酒が混ぜてあるのだろう。慣れ親しんだ酸味が、その飲みやすさを助長している。



「うまい」



なにより飲みやすい。俺は、初めて酒を飲んだ日の事を思い出す。

ビールも、ワインもどちらの初めても最初の一口は、まるで異物を体内に取り込んだかのような拒絶反応が起きた。

胃が逆流してくるような強烈な嫌悪感に襲われた。


しかし、この飲み物はすんなりと喉を通る。体が何の拒絶を起こすことなく受け入れている。

起きるものといえば、せいぜいが清涼感ぐらいのものだ。

気づけば俺のグラスは既に空になってしまっていた。



「お気に召しましたか?」



答えは聞くまでもないという表情でマスターがニヤニヤ笑っている。



「ああ、えっと何だ。スクリュードライバーをくれ」



「かしこまりました」



まるで、必殺技みたいな名前だな。



「わたしも、初めての時そう思った」



遊び人は、謎の『マンハッタン』をちびちび飲んでいる。

どこか表情は緩んでいて、機嫌もよさそうだ。


さて、状況を察するに俺と仲直りをし仲良く飲みなおそうというのはあながち勘違いではなかったらしい。

そもそも、やらかした彼女に俺が怒るならともかく彼女が俺に怒るというのはお門違いであるし。

納得がいかない部分は大いにあるが、まあ彼女が機嫌がいいならそれに越したことは無い。



ふと遊び人と目が合う。



「なに?これが飲みたいの?」



遊び人が俺をおちょくるようにグラスをクランクランとまわして見せる。



「それは、どんな酒なんだ?」



「論より証拠」



遊び人が差し出したグラスを一口もらう。

そういえば、間接キス程度でドギマギしていたこともあったな。

それが、いまやこの程度じゃ動揺すらせんぞ。俺も、成長したものだ。


そんなことをツラツラと思いながら、マンハッタンに口をつける。



「なんだこれは」



なんだこれは。

スクリュードライバーとはまた違った衝撃だった。



「すごいでしょ?」



香ばしく濃厚な香りに、少しだけ果物特有の甘い香り。

それぞれが特色を持ちながら、もともとは一つとして生まれたかのような完璧な一体感。



「なるほどな。カクテルとは、例えるなら酒を使って酒をつくる料理というわけか」



「いいこと言うじゃない」


「私もねかつてこう思ったのよ。もうこの世には新しい酒なんて生まれてこないんじゃないかって」


「だってそうでしょう?ワインだってビールだって起源を辿れば何千年も前にできてたわけだし」


「最近の工業化で蒸留酒が出回るようになったときは、久々の新しい酒だってそりゃもう歓喜したものよ」


「技術革新による新製法なんてものは、そうそう考え出されるものじゃないしね」



遊び人の言葉が止まらない。酒の話になるといつもこれだ。



「そんな時に、このカクテルを私は知ったのよ。工業的な技術によらない、文化的革新」


「組み合わせ方によって、無限に広がっていく味・香り・風味!」


「酒の行きつく先、それこそがこのカクテルなのよ!」



ぱちぱちぱち。

思わず拍手してしまっていた。



「ちなみに、この世界にカクテルバーはここしかないわ」



さらっと新情報。



「じゃあ、ここが酒の文化的最前線というわけか」



「いえ、実はそういうわけではありません」



マスターが、新たにグラス注がれたスクリュードライバーを俺の下へと静かに寄越す。

俺は、魔王によく似た男をじっと見つめる。奴は、にこにことするだけで口を開く様子がない。

まるで、俺からの催促を待っているようだ。



「……遊び人、そろそろこの店とこの男のことを教えてくれ」



誰がお前に催促何かするものか。



「では、マスター。ご指名ですので」



遊び人がおどけて畏まると同時にマスターがしたり顔を寄越してきた。

ぶん殴ってやろうか。



「お客様、いえ勇者様と呼ばせていただいてもよろしいですか?」



俺は言葉を発さずに頷く。



「では勇者様、先ほど貴方がおっしゃったことですが半分は正しいです」

「ここは、この世界においては酒の最前線と呼べるでしょう。しかし、更なる先が存在するのです」



どこに?



「異世界です」



話を聞き終えた俺の頬を一雫の涙が流れ落ちた。

悔しくても認めなくてはならない。

この酒場の主人はただものではないということを。

彼が語る物語は、実に雄大かつ繊細で聞く者を皆惹きつけてしまう魅力をもった物だった。

あまりの面白さに、小便を我慢しすぎて漏れてしまう寸前だったほどである。あるいはこの頬を伝った涙は心の小便なのかもしれん。

あぁ、自らの表現力の乏しさを皆さまに暴露してしまうのが実に恥ずかしいが彼の話を俺なりに要約しよう。


マスターは名門戦士家の嫡男として生を受けたが、その興味は剣や魔法だけではなく酒へも向けられた。

しかし、その家柄から若き日々はその鍛錬へと費やされマスターの酒への欲求は日々積もるばかりであった。

マスターは長き日を耐え続けた。そうして遂に、妻をとり子をなし自身の息子が成人を迎える日に至ってその欲望が爆発した。


成人したばかりの息子に、即座に当主の座を譲り自らは未だ出会わぬ酒を求めて旅に出たのだ。

マスターの旅は、この世界の隅から隅までを探索しつくし遂には異世界へと足を延ばすこととなる。

煌びやかな鉄の車が走り、地上に星が生えたかのよう明るさを持った街にたどり着いたマスターは遂にカクテルと出会う。


しかし、いつからかマスターは酒を飲むだけでは満足できなくなってしまっていた。

彼に沸いた新たな欲求は、故郷の酒飲み友達とともにカクテルを酌み交わしたいというものであった。

そうして一念発起したマスターは、異世界でカクテルの技術を修めこの世界へと舞い戻り店を開くに至ったのであった。



「おやおや、つい長話を……失礼いたしました」



マスターが手持無沙汰にグラスを磨く。

グラスからは、乾いた音がした。



「さて、仕事に戻りましょうか。お次は何にいたしますか」



「マスターに任せる」



「それでは、勇者様はお酒に強そうですので少し強めの物をご用意いたしましょう」



マスターの話を聞いたからだろうか、俺はマスターの仕事に少し興味が湧いたようだ。

俺は、カクテルが作られる様子を観察することにした。


マスターは少し大きめのグラスを用意し、その中に氷を敷き詰める。

その氷は、先ほど刻んでいた球形のものとは違い荒く大きく削られたものだった。

ふと、そこでマスターの手が止まる。

訝し気に、マスターに目を向けるとうっかり目が合ってしまった。

マスターはにっこりと笑顔を返してくる。



「しかし、こんなにうまい酒を出す店ならもっと大きくすればいいのに」



壮年の男と見つめあうことに耐えきれなくなった俺は、適当に話を持ち出した。



「でなくても、弟子をとって店を増やすとか」



「ええまあ……」



マスターの返事はどうにも歯切れが悪いものだった。

しかし、その言葉とは裏腹にマスターの手はよく動いている。

流れるような手つきで、棚から大小入り混じった酒瓶を取り上げてカウンターにならべる。

それらを少量ずつグラスへと放り込み、5寸ほどある金属の棒でかき回す。



「それね、私も言ってるのよ。この店って来るのが大変だから、ほかにもカクテルが飲める店が欲しいって」

「禁酒法下にあるこのご時世に酒の文化を一歩前進させるなんて反社会的で格好いいじゃない」



「まあ、これだけ画期的な酒なんだ。他には漏らしたくないという気持ちもわかる」



「いえ、カクテルを独り占めしたいというわけでは無いんです」



できあがったカクテルを静かにグラスへと移していく。

グラスにはオリーブの実が沈められている、美しい緑色がマンハッタンのチェリーとはまた違う雰囲気を醸し出している。

グラスの淵に盛り上がるほどカクテルが注がれていく。あんなに並々に注がれていては、持ち上げて飲むことなんてできないんじゃないだろうか。

ましてや、酔ったこの身ではなおさらだ。


溢れんばかりのグラスは、マスターによって一滴も零されることなく俺の手元へと運ばれてくる。

その手際からは、少しでも動かせば零れるのではないかという危惧を一切感じさせない。



「ドライマティーニです」



案の定、持ち上げようとして少しだけこぼしてしまった。

こういうところでスマートにこなせない自分が嫌になる。


マティーニを口に含むと、強く、しかし爽やかなアルコールがそんな嫌気を払ってくれるようだった。

この青臭さはオリーブだろうか?いや、それだけではない。僅かではあるが、何か他の香りが混じっている。



「ドライですので、ほとんどストレートに近いですよ。如何でしょうか?」



「うまい」



率直な感想しか出てこない。

酒を零してしまったことといい、どうも俺は気取った動きというのが苦手なようだ。

まあ、隣に座っている女はそんなこと一切気にしないのであろうが。



「私は、普通のマティーニがいいな」



「かしこまりました」



「そういえば、この店はどこにあるんだ?」



ふと浮かんだ疑問を遊び人にぶつけてみる。



「知らない」



「知らないってことは無いだろう。君はよくこの店に来るんだろう?」



「マスターに聞いてみたら」



なるほど、遊び人の言うとおりだった。

マスターを伺うと、忙しそうに遊び人のマティーニを作っている。



「残念ですが場所はお教えできません」



おやおや?なぜ店の場所を隠す必要があるのだろうか。

カクテルのあまりのおいしさに酔い沈んでいた勇者的直観がひょっこりと顔を出してくる。


いや、もちろん禁酒法下にある現在おおっぴらに営業することはできないのだろう。

故に、場所を明らかにしないというのは、まあわかる。

しかし、なぜ既に店にたどり着きカクテルを味わっている俺や遊び人にすら場所を隠すのだろうか。


その徹底的な秘匿主義に、マスターが魔王そっくりの男であることも加えて急に危機感が沸いて来た。

何をやっているのだ俺は、ついうっかりカクテルのうまさに流されていたぞ。


ここのところそればかりだ。

酒がらみになると、すぐに油断してしまう。


そもそもの話、ここは酒場なのだ。

ならば、酒の卸元である魔王一味とも何らかの関りがあるはずではないか。



「なぜ、場所を隠すんですか?」



俺の緊張を知ってか知らずか、マスターは眉一つ動かさず口を開いた。



「先ほどの話ともつながるのですが、わたくしは異世界でカクテルを学びました」


「それはいわばズルです。この世界の人々も日々研鑽し、進化し続けている。しかし、私はその過程をすっとばし進んだ異世界からカクテルを持ち込んだ」



声のトーンが少しだけ沈んでいる。

まるで懺悔を聞いているようだ。



「わたくしは、この世界が自らカクテルにたどり着くまで店の存在を公にするつもりはないのです」


「『Bar ゾクジン』は世界が進化するまでの繋ぎ、わたくしのズルに付き合って頂けるほんの僅かなお客様だけにカクテルを提供しています」



遊び人のほうを見ると「初耳」と声に出さず返してきた。



「じゃあ、俺はこの店に来たい時どうすれば―――」


いや、そもそも俺はどうやってこの店に来たんだったか……

そうか、この店は。



「そう、ここは千鳥足テレポートでのみ来店が可能な店なのです」



かつて、遊び人から千鳥足テレポートの仕組みを聞いたことがあった。

「この魔法は酔っ払いが二件目を探すための魔法」「遊び人御用達の魔法」「とあるバーのマスターが作った」



「もしかして、千鳥足テレポートを作った大賢者って」



「大賢者だなどと恥ずかしいですが……」



酒好きここに極まれりといったところか。

こんなヘンテコな魔法を作ったやつは、相当な変わり者だろうと踏んでいたが。

酒を求めて異世界を渡り、あまつさえ自分の店を開いてしまうほどの遊び人だとは思いもしなかった。


肩から力が抜けていく。

マスターの言には嘘偽りがあるようには思えない。

少なくとも、俺が勇者として葬り去らなければならない類の者ではないはずだ。


だがしかし、新しい魔法を作り出せるほどの大賢者であり、さらには名門の戦士の家系という事実が。

俺の勇者的直観が、ある結論を導き出していた。

ならば、俺は職責を全うしなくてはならない。確かめなくてはならない。



「マスター、あなたは魔王の……」



「父親です」



やはりそうだ。マスターは現魔王の父親、すなわち先代の魔王だったのだ。

というか、魔王にそっくりな時点でその可能性をまず追うべきだったのだろう。

どうも俺のポンコツ加減に磨きがかかっている。原因は、もちろん酒と……女……つまるところ遊び人にあるのだろう。


だが堕落に甘んじているわけにはいかない、俺は自身に気合を入れなおすために剣の柄に手を触れる。

抜くつもりはない。あくまで俺が何者であり、何を求めて旅をしているのかを思い出すための所作にすぎない。

遊び人がチラリとこちらに目を向けている。



「ここの酒は息子。つまり魔王から直接仕入れているんじゃないのか?」



仕事モードに入ったためか、自然と口調が強く問い詰める形になった。



「まさか、我が不肖の息子が卸す酒はこの棚に並べられた素晴らしき酒たちとは比べ物になりません」

「ここにある酒は、すべて異世界より持ってきたものです」



「では、魔王の行方は」



「全く存じ上げません」



マスターの目をじっと見つめる。

魔族特有の、マンハッタンのように赤い瞳は、静かにだが強く輝いている。


剣の柄から手を離す。やはり、そこには嘘はないと判断したからだ。

人目をはばからず、息をふーっと吐き出す。

限りなく僅かと言えど、先代魔王と一戦交える可能性すらあったのだ無理もないだろう。

それに、カクテルの味を知ってしまった身としてマスターに剣をかけずにいられてホッとしたことも大きい。



「くだらない質問はおわった?」



遊び人からの棘のある質問が届いた。

こっちは、どこかの誰かとは違い真剣なのだと少しムッとしてしまう。



「くだらなくはない。酒場で情報を聞いて何が悪い」



「馬鹿ね、酒場は魔王を探しに行く場所じゃないわ」



さんざん、一緒に千鳥足テレポートで魔王を探してきたというのに何を言っているんだ。



「じゃあ、なんだと言うのだ」



「お待たせいたしました。マティーニです」

「割り入って恐縮ですが勇者様、酒場は酒を楽しむところですよ」



なるほど、マスターが言うと説得力がある。

ならばしかたない。



「マスター。もう一杯頼む」



夜はまだまだ終わりそうにない。


――――――



人間、酔っぱらうと本性がでるものである。


理性という名の鎧が、普段は身を潜め息を殺してきた溢れんばかりの衝動によって内からはち切れるのだ。


抑えるものが何もなければ、例え進む先が地獄だとしても迷わずに突き進んでこその酔っ払いである。


言いたいことをいい、やりたいことをやる。何を恐れるや。その姿、まさに勇者と呼ばれるにふさわしいのではないか。



では、女神からお墨付きを受けている唯一本物の勇者である俺が酔っぱらったらどうなるのであろうか。


残念なことに、みなの期待には応えられそうにはない。俺は勇者ととしての使命感からか、仮に酒に酔ったとしても何ら素面の時と変わらないのだからから。


まっこと残念なことである。まっこと。


だがしかし、それでも多少なりともほんの僅かであろうが口の滑りが良くなることはあるやもしれない。



さて、酔っ払いが二人。共に思うところあって、懐にのっぴきならぬ問題を抱えて、さらには口に酒を含んだらどうなるか。


行きつく先なんてのは、火を見るよりも明らかではなかろうか。



それは、ついつい初めての「カクテル」に興味心を引かれ昼間の険悪な雰囲気を忘れていた俺。


そして、ついついお気に入りのバーに来たことで大好きなカクテルで喉を潤すことに没頭してしまっていた彼女。


数多の酔いどれをして、「うわばみ」と称されるカップルと言えど酔いには逆らえないのが世の常。



夜も更け、俺たちはいつになく酒に酔っていた。


ワイン蔵を文字通り空けてしまったこともある俺たちをして、僅かなカクテルに酔わされるとは不思議なものである。


だがこのカクテルバーという独特の雰囲気を持つ場には、それを成す何物かが潜んでいるのだ。


つまるところ、俺と遊び人の間に何が起こったのかというと。良い雰囲気に流されて、男女がともにくんずほぐれつ汗をかく……なんてことが起こるはずもなく。


ごくごく酒場にあり触れた光景。腹を割ってのタイマンである。要は喧嘩である。




切り出したのは、彼女からだった



「ねえ勇者。キミは魔王にあったらどうするの?」



立ち上がりは静かなジャブから。


俺は、彼女の質問の意図を探るように回らない頭を回してみる。カランカランと音がする。まるで氷の入ったグラスのようだ。


結局は、回らないものは回らないと諦め、対外的にバツの悪くない答えを返す。



「魔王を倒すのが勇者の仕事だ」



「はぐらかさないでよ。倒すってのは殺すって意味?」



「場合によっては」



「じゃあ、魔王が人に無害になっていたとしたら殺さないでいてくれる?」



彼女は何を言いたいのだろうか。



「彼らは一度滅んだ。キミの手によってね。でも、今はただの酒の密売人組織じゃない」



「犯した罪は消えない。かつて魔王は世界を混乱に導いた」



「それって王国も同罪じゃない。所詮は国同士の戦争よ、魔王個人に罪を背負わせるなんて道理じゃない」



「元騎士の君がそれを言うのか」



「……少なくとも、キミに魔王を殺されるってのは許容できないかな」



「魔王を殺さないでいてくれる?」彼女は再び俺に問いかけた。それは既に質問というより懇願に近いものだった。


その問いに、俺は答えることができなかった。


なぜなら、そんなこと一度たりとも考えたことがなかったからだ。


魔王を殺さない選択だって?果たして、そんなものがありえるのだろうか。


……仮に選択肢の中にあったとしても、俺がその一つを選び取れるのだろうか。



この店に来て初めて魔王そっくりのマスターの姿を見た時。


俺の中から沸き上がったものは、遂に魔王を殺せるという喜びだった。



かつて深手を負わせたものの殺しそこなった男を。


長年にわたって追いかけてきた宿敵に、ようやくトドメを刺すことができると俺は歓喜に打ちひしがれていたのだ。


もしも、遊び人の静止がなければ俺は間違いなく剣を抜いていただろう。



全く情けないことに、あの時の俺に勇者としての使命感はほんの欠片すらなかった。


ただひたすらに、自身の感情、欲望に衝き動かされ剣の柄に手をかけたのだ。……そんなの、まるで酔っ払いではないか。


そんな俺が本物の魔王を相対して、どうなるのか。殺さないという選択を取ることができうるのか。俺にはわかりかねた。



「そう……」



沈黙する俺に、何かを察したかのように遊び人が呟いた。


何を察したのかはわからないが、おそらく何かしらの誤解が生じた気がする。



「魔王が……いえ、魔物がそんなに憎いのね?」



ほら生まれた。おんぎゃーおんぎゃー。



「そんなことはない」と、とっさに否定を試みる。



「そんなことなくはないでしょ。初めて出会ったあの夜のことを忘れたの?」



マスターの眉が片方だけピクリと動いた。


おいおい、「初めて出会ったあの夜」なんて艶めかしい言い方するから、マスターにもあらぬ誤解が生じたかもしれんぞ。



「変な言い方をするなよ。初めて、魔王残党の密造酒倉庫に忍び込んだ時の話だよな!」

「……何かあったっけ?」



「キミはミノタウロス達を躊躇なく殺そうとしたじゃない、あまつさえ拷問すらしようとした」



「そ、それは」



「それにさっきだって、私が止めてなければ君はマスターに切りかかっていたでしょ!」



「……そうだが」



ちがう、そうではない。いや、そうであるのだが事情が事情だ。



「それに関しては、何の説明もなく連れて来る遊び人が悪いじゃないか」

「突然、目の前に魔王によく似た男がいたんだぞ。俺が何年、魔王を追い続けてるか知っているのだろう?」



「一理あるわ」



一理どころか、百理も二百理もあるわ。


遊び人は、まるでそのことに考えが及ばなかったとばかりに一頻り頷いてみせた。



「もう一度だけ応えて。あなたは魔族が憎い?」



「ミノ達の件は、それが必要だったからだ。当時の俺には、魔物を殺さないでおく余裕も魔物たちから情報を引き出す術もなかった。決して魔族憎しで動いているわけじゃない」



「でも、彼らが人間だったとしたら殺さないし。拷問もしないんじゃないの?」



まあ、その通りだ。


魔族と人間の違いは、その膂力の大きさにある。


例え子供の姿をしていようが、俺を殺し得るポテンシャルをもっている。それが魔族だ。



「魔族は、人間とは違う。だから対応も違ってくるは当然だ」



「魔族は危険だってこと?だったらそれは人間だって同じじゃない」



「度合いが違うだろ」



「……」



「なあ、結局のところ何が言いたいんだ」



「私は、あなたに魔族を嫌ってほしくない」

「ごく普通に、人間とそうするように接してほしい」



譲歩はしている。


かつての勇者なら、理由がなければ出会った魔族に手心を加えるなんてなかった。


だが、遊び人が無益な殺生を嫌っている以上。そして俺が彼女に嫌われたくはない以上。


俺は彼女の意向に沿って、最大限の努力をしてきた。


そうでなければ、ここにたどり着くまでに俺たちは数多の魔族の死骸を積み上げてきたことだろう。



俺の「殺さない」努力を彼女は一切顧みていない。


これは一体どういうことだ。俺のかつての戦いぶりは、元騎士であるというのなら噂ぐらいは耳にしているはずだ。


勇者の通った後には草すら生えない。勇者のブーツは常に血の赤で濡れている。これまで散々なことを言われてきた。


そんな俺が、彼女と出会ってから今日という日まで命をひとつも奪っていないということがどれほどの事なのかをわかっていない。


惚れた弱み。そう惚れた弱みであるが、これほどまでに尽くしているというのに……。


その無関心には怒りすら覚えてしまう。



「遊び人、俺からも君に質問がある」



「なによ」



「君はなぜ魔王を追っている」



ほんのジャブ程度の質問のつもりだった。俺の努力を顧みない彼女に対してのほんの意趣返しだったのだ。


本当のところは、彼女が魔王を追っている理由などどうでもいい。


ただ、彼女がひた隠しにする目的を露わにせんとすることで少しでも彼女が嫌がる姿が見たかったのだ。



だが、俺は俺自身のことをよくは理解できていなかったらしい。


そのたった一つの質問を皮切りに、堰をきったように俺の中に溜め込まれていた疑問、いや欲望というべきものがあふれ出したのだ。



「君は、元騎士だと言っていたが何処の騎士団だ」


「なぜ、遊び人なんてやっているんだ」


「年はいくつなんだ」


「どこの出身」



今の俺には、彼女の返答を待つことすらできなかった。


こんなこと、本当なら初めて出会った夜に、初めて背中を任せられる仲間に出会たあの夜に聞いておくべきだったのだ。


だが、下心をさらしたくない一心がそれを妨げた。それでも、俺は聞くべきだった。


共有する時間が増えるにつれ、彼女のことを知らぬまま彼女への思いが募った結果がこれだ。



「一人の時は何して過ごしているんだ」


「俺のことをどう思っている」


「なぜ魔物にやさしくする」


「この店にはしょっちゅう来ているのか?」



……



彼女は黙ってそれを聞き続けた。


答える隙などなかったのだから、仕方あるまい。



「君の名は」



ようやく、俺の問いかけが尽き。しばしの沈黙が流れた。


遊び人は、最後の俺の問いかけに対してか何かを言いかけたものの息を吐きだすに留まった。



「私は、ただの遊び人よ」



彼女は、俺の心からの問いかけにそう答えた。


この期に及んで、秘密を明かすつもりは毛頭ない。そういうことなのだろう。


「いい加減にしろ」という言葉が喉まで出かかった。


だが、所在なさげに自身の頬を撫でている彼女を見てハッとした。



「痛むのか?」



「ちょっと痒いだけ」そう言って彼女は炎魔将軍にやられた傷を再びさすった。


俺は、彼女のその姿から目をそらさずにはいられなかった。



「もう終わりにしよう」



まるで恋人の会話みたいだな。



「まるで、恋人みたいな言いぶりね」



以前の俺なら、頬を染めていたに違いないであろう言葉も酒の助けもあってか今なら難なく言える。俺も成長したものだ。


……成長?本当に俺は成長したといえるのだろうか。



「千鳥足テレポートも覚えた。もう二人で飛ぶ必要はない」



そう、俺は成長した。


なんたって俺は勇者だ。誰よりも才能に溢れ、女神の加護を受けた俺は人一倍の成長力を有している。


現に見てみろ、かつて一杯のビールでふらついた足が今では浮つくことなく地面に確固としてその存在を主張している。



「魔王は俺一人で見つけ出す。そして生かしたまま君の前に引きずり出してやる。だから君は、酒でも飲んで待っていろ」



「私がそばにいるとまずいって言うの?初めて会ったときに行ったわよね、貴方は危なっかしいって。あなたを一人にするなんて無理よ」



「それは……俺ではなく魔物を気遣っての言葉だな」



隣席から、猛烈に沸き上がる怒りの波動を感じる。


ちょっとした嫌味のつもりだったが、その怒り様を見るに本当に俺のことを心配してくれているのだ。


それはそれで嬉しいし、自分の心無い言葉に猛省もする。だが、俺がそれに怯むことは無い。


彼女を如何に怒らせようと、たとえ嫌われることがあろうと、そう為さねばならない理由があるからだ。



「俺は今日見たいなことは二度とごめんだ」



「だから、それはごめんなさいって謝ったでしょ」



「謝る謝らないの問題じゃないんだ」



「そう!貴方はそんなに、炎魔将軍が大事なのね!」



彼女の怒りが頂上へと達するその瞬間、まるで「私のことを忘れていませんか」と言わんばかりにマスターがグラスを二つ差し出してきた。



「お待たせしました」



俺と彼女の前に、届けられたグラスにはそれぞれ透明の液体がなみなみと注がれていた。



「これは何だマスター?蒸留酒か?」



「中身はただの水でございます」



「誰がこんなの頼んだって言うの!ふざけないでよマスター!」



突如、全身に悪寒が走った。


手が震え、足が震え、視界が泳ぎ、歯がかみ合わずにガチガチとなりだした。


酔いではない、勇者の持つ耐性で酒に強くなった俺がこんなにわかりやすく酔うはずがない。


隣では、遊び人もまた同じ症状に襲われている。



「申し訳ありません。そろそろ店じまいしようかと」



マスターは、その笑みを崩すことなくグラスを磨き上げ続けている。


だが、言葉や表情とは裏腹に彼のオーラが「喧嘩は外でやれ」と雄弁に物語っていた。


流石、先代魔王と言ったところだ。この勇者である俺をして、ここまですくみあがらせるとは。


いや決して、決して恐れをなしたわけでは無いが俺は慌てて席を立つ。相変わらず、足がガクガク震えているがこれは酔いのせいだ。



カクテルが如何ほどするのかは知らないが、これだけあれば二人分の酒代は十分に賄えるだろう。


俺は、黙ってカウンターに銀貨を1枚おいた。


すると、それに対抗するかのように遊び人もまた自身の懐から銀貨を1枚取り出す。


あくまでも、今晩は俺に奢られるつもりはないという意思表示なのだろう。



「多すぎますよ」



マスターが困った表情で、俺と遊び人の顔を見つめる。



「マスターに」「マスターに」



期せずして、俺と彼女の言葉が被さった。


マスターはくっくっと頬を緩め、「では頂戴いたします」と銀貨を引っ込めた。



「また来るわ」



遊び人が、パンパンと手を二回たたき俺の体は再び光に包まれテレポートする。


「またお越しください」


光の中で、ただマスターの声だけが響き渡った。




――――――



「おや、兄ちゃん、どっから現れた!?」



大柄で禿頭の店主が、突然転移してきた俺を驚きの表情で出迎えてくれた。



「悪いが、部屋はやっぱり一つしか取れなかったよ」



最悪だ。


部屋が一つしか取れていないことを、俺はすっかり忘れていた。


この険悪な雰囲気のまま、彼女と一晩過ごすのはどんな強敵と戦うよりも困難を極めることだろう。



「あれ、あの可愛い姉ちゃんは一緒じゃないのかい」



店主の言葉に、俺は慌てて周囲を見回すがどこにも彼女の姿はなかった。


なに心配することはない、彼女は腕もたつし夜にふらっといなくなることはよくあることだ。


きっと、近くのスピークイージーになりへ行ったのだろう。


俺は、気まずい夜を過ごさないで済むと少しだけほっと胸をなでおろし床へ着く。


明日、どんな顔して彼女に顔をあわそうかと気に病む間もなく俺は意識を失うように夢の中へと落ちていった。



残念なことに、もしくは幸いなことにか。


翌朝、俺は気に病む必要などなかったことを思い知る。なぜなら、彼女は朝になっても戻ってこなかったからだ。



そしてその翌日も、そのまた翌日も。


彼女は帰ってこなかった。






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