もう読まれることのない恋文
日月中
あなたへ
あの時の私に会うことができるなら、思い切り背中を蹴飛ばして「あんた最低だね」と言ってやりたい。ものすごく静かで、冷たい声で、言ってやりたい。
こんなことを言えるのは、あの時の私がいるからなのだけど、どうしてもあの時の自分が許せない。思い出すたびに自己嫌悪。後悔。でもそれはもう過去。なかったことにも出来ないし、取り戻すことなんてできない。あの時の自分を思い出すと悲しい気持ちになるし、自分に苛立つ。
そしてあれが私の本物の初恋だったんだなと実感する。
『初恋は実らない』
まさにこれだ。でも私の場合は実らなかったというより、自分からその可能性を絶ってしまったのだろうな、とも思う。
あのこと初めて会ったのは部活動の見学会。その列に並んでいた。私の友人があのこと出身校が一緒で、仲良く話していたのを隣で見ていた。その時は、友人の友人、という認識でしかなかった。
でも、学年が上がって、あのこと同じクラスになった。最初の席が、あのこの隣だった。ああ、知ってる人でよかった。その時の私はそう思った。
あのこは、周りの人たちと比べると、それはそれは落ち着いたこだった。そして優しかった。誰にでも。私のことを覚えていたのかは定かでないけど、始めからよく声をかけてきてくれた。仲良く話してくれたし、悩みも相談してくれた。
接するうちに、あのこが“普通”と違うこだと気付いた。あのこしかもちえない個性をもっていることに気付いた。でも、周りの人たちはそれをなんとも思っていなかったし、茶化したりするような人はいなかった。それはあのこが本当にいいひとだったからだと言える。まだ“普通”という概念は覆せない常識だと思い込んでいる年頃だったけれど、誰もあのこを好奇の目で見ているということは感じられなかった。でも、あのこはそうは思っていなかったのかもしれない。今もなかなか、デリケートな点だなと思える。
あのこは運動部だった。私は文化部。よく話すようになってから、あのこが私に言ってきた。
「本当は、文化部に入りたかった」
じゃあおいでよと、私は言った。「ほんと?」と言ってくれた。これがあのこが私に打ち明けてくれた悩み。その時のあのこは多分結構悩んでいたのだと思う。でも結局、あのこは卒業まで運動部だった。大会でいい成績をとって、表彰もされていたことを覚えている。
私は、どちらかというと物静かで自己主張のない、端っこで本を読んだり絵を描いたりしているタイプだった。要するに自信のない子。友人は何人かいた。けれどこんな私に優しくしてくれて話しかけてくれる人は、この時はあのこしかいなかった。優しくされると、好きになる。誰でもそうだろう。自分に優しくしてくれる人は、誰であろうと好きになるはずだ。私はあのこを好きになった。けど、友達として。ずっと仲良しでいたい。そう思えた。
でも時間が経つにつれて、淡い下心は芽生えつつあった。学年が変わるとあのこと離れることになるから記念にと、2月14日はチョコレートをあげた。このとき私はそれが“友チョコ”とは言わなかった。言えなかった。3月14日にはあのこからお返しを貰った。手作りのお菓子。私はお菓子とか作れなかったので、純粋にすごいなと思った。
そして、最後の年。クラスは別れた。
私は所属している部活動で成績を残せるくらいの力はつけることができた。やっと、好きなことで自分に自信を見出せた。
でも、自信が生まれれば、傲慢にもなる。そういう年頃だからしょうがないじゃないと言われればそれで終わってしまうけれど、私にとってはこれが長い冬の始まりだった。この時の私は、それを知る由もなかった。
最後の年の文化祭。こういうイベントのあとは所謂カップルが、ぽぽぽんと増える。かくいう私もそのうちの1人だった。趣味が一致することがあり、仲良くなった男の子。気さくで明るい男の子だった。
実はこの男の子と付き合うことになる前の私は、あのことメールのやり取りをしていた。その時に私はなんとも意味のわかりづらい(今も思い出すと恥ずかしいし、かなり最低な)告白メールを送ったのだ。そしてそのメールを期に、あの子からメールは来なくなった。この時私は「ああこれはだめだろうな」と勝手に思い込んで、勝手に決めつけてしまった。そして、私によくしてくれた男の子の方に靡いた。
するとしばらくたってから、とある友人伝いに「あのこ、君のこと好きだったっぽいよ」という内容のことを聞かされた。この時初めて私は、あのこを大切にできなかったのだと気付いた。あのこに最低なことしてしまったのだと気付いた。私はかなりショックを受けた。自分がこんなにも傲慢で自分勝手な人間なのだと、現実を突きつけられた。あれこれと思い出しては、泣いていた。本当に、最低だ。そして、どこかのタイミングで、あのことのメールが一時だけ再開した時「友達でいてください」と、超がつく最低なメールを送り、ぷつりとやり取りが終わった。自業自得である。
もう、友達ではなくなった。またそう勝手に思って、勝手に泣いた。それと同時に、人との繋がりが切れることがこんなにも悲しいことなんだとはじめて実感した。
男の子と付き合った期間は短かった。あっさりと別れた。これは罰が当たったなと思えることもあった。何もなかったと言えるわけではないけれど、その期間は互いに楽しんだと思う。多分。それくらい淡泊な関係だった。私は男の子と付き合っている間、やっぱりあのこのことをたびたび思い出していた。つくづく最低である。私は周りの子に恋愛に疎い存在だと思われていたらしいが、まぁ実際そうである。周りにいた、きゃっきゃ言いながらとっかえひっかえしていた子たちの方が、恋愛について多くを学んでいたのだろうと思う。
男の子と別れて、しばらく色々と無意味に考えていた時があった。私が曖昧なことを言ってあのこを蔑ろにしてしまった時。こんなことを思っていた。
『振られるのが怖い』
当然だけど、臆病な気持ち。振られる=今までの関係がなくなる、という式が私のあたまの中で出来上がっていた。でも結局、曖昧に濁してしまった先に待っていたのはあのこと疎遠になってしまったという事実だけだった。
卒業式。
私はまたピアノを弾いた。退場する時、肩が震えるくらい、嗚咽が漏れるくらい、泣いた。なんだかとても、悲しかった。
式も終わってもう家路に着こうかとしているとき、ふと思いたった。私はあのこを探した。ありすぎる後悔をひとつだけ、ここで手放して行きたかった。
そして、あのこを見つけて、手を引いて人混みから離れた後、言った。きみのそれが欲しいと。何が、とは言えない。そうしたら、あのこは優しく笑って、私にそれをくれると言った。お互いに制服に鋏を当てて、切り合って、それを交換した。未練がましく、今でも大切にとってある。というか捨てることなんて、絶対にできないのだ。
何かあのこに伝えたわけじゃない。ごめんねと言えたわけじゃない。許されたいなんて、許して欲しいなんて、言ってはいけないのだろうと思っていた。きっとあの時、お互いに言いたいことは呑み込んで、いつかそのうち忘れる時まで、どこか端っこに追いやることに決め込んでしまったのだろうと、少なくとも私は考えている。
進学して、あのこはとある文化部に入部した。
あの時、あのこが私に言ってきたこと、
「本当は、文化部に入りたかった」
そう言われた時のことを思い出した。とても、嬉しかった。やっとあのこはやりたいことをやれるんだなと、良かったと、思った。それと同時に、あのこが進学先で選んだ学校を知って、あのこのセクシャルが私のセクシャルとは一致することはないだろうと思ってしまった。もちろんそれが本当なのかはわからないが、可能性としては十分あり得ると考えていた。それは、あのこのセクシャルを決めつけて、言い訳にしたとしか言えないけれど。
そうして、私は冬を過ごすことになった。
自由だけれど、冬は厳しい。淋しい。物静かで、真っ白い。忘れる時が来ても、きっとこの冬を、私は一生心の片隅に住まわせて生きていく。
醜い自分を知った思い出。でも、この思い出はうつくしい思い出でもある。貴方を想って、貴方と言葉を交わしていた日々。あの時はたしかに私は春のなかにいました。
とても楽しくて、暖かかった。そう思えた時、私は気付いたのです。
「ああ、あれが初恋だったんだ」と。
もう読まれることのない恋文 著/私
もう読まれることのない恋文 日月中 @atsuki_05
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