ラストチャンス…その後

川崎涼介

第1話

男は、夕焼けで紅く染まる自分の部屋で、やけ酒をあおっていた。

早朝のラストチャンスを鳥に妨害された男は、空に向かって叫んでいた。そんな姿を不審に思った通行人が、警察に通報した。その後駆け付けた警察官が、男を取り押さえ、事情を確認した後、厳重な注意を長々と男にした。ラストチャンスを逃し、警察官に絞られた男は、自分の部屋に戻った途端、とても強い睡魔に襲われ、そのまま寝入った。そして、男が目を覚ました時、陽は西側で朱く燃えていた。

男は起き上がり、普段閉じているカーテンを開け、黄昏を招き入れた。黄昏は、男がカーテンを開くと同時に、一気に部屋を自分に染め上げた。朱と黄の暖色で染まった部屋の中で、男は、棚に大事そうに飾っている一つの箱を取り出した。箱は木で作られており、高級バーボンの銘柄が書かれていた。その箱の一辺を男は、力任せに引き剥がし、中から一本の瓶を引きずり出した。そしてその栓を抉じ開けた男は、ゴクッゴクッゴクッと、らっぱ飲みを始めた。

ゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッ…

瓶の中身が6分の1程度になって、男は、瓶から口を離し、飲むのを止めた。そしてフラフラな足取りで、黄昏が射す方へ歩き始めた。その中で男は、これまで頑張ってきた過去が、陽炎のように浮かんでは消えていった。

あの光景を初めて知ったのは、偶然だった。6年前の春、別の仕事であのビルを含む街の風景を撮った写真をチェックしていた時、あのビルに朝陽が、文字通り射し込んでいたのに気づいた。それから色々調べ、半年後の秋に同じ場所で同じ写真を撮ってみたら、明らかにあのビルに朝陽が射し込み、朝陽と繋がっていた事を発見した。それを実際に確認する為、あのビルに毎朝通い詰めた。

そしてさらに半年後、男は、感動した。

涙が、止まらなかった。悲しい訳でもなく、嬉しい訳でもなく、ましてや眩しい訳でもないのに、涙は、流れ続けた。

光が、溢れていた。よく映画やテレビドラマなどで見られる爆発する瞬間に周りが白い光に包まれるシーンが、男の身にも起きた。ただ、これらのシーンは命を奪うのに対し、男の身に起きた包光は、明らかに命を育むものだった。

温もりが、心の真芯まで伝わった。春の木漏れ日も冬の小春日和も、ここまで温かくしてくれない。愛している女性の温もりさえも大した事がないと思える程に、この温もりは、とても優しかった。

そして男は、決断した。

《この瞬間を撮る!》

その年の夏から年の瀬は、1年前から約束していた海外での仕事で、その場所に行く事は出来なかった。なので挑戦は、決断から1年経った春からとなった。

それからは、中々運に恵まれなかった。

7回の挑戦の内4回は、天気に振られた。あとの1回は、巡回中の警察官に怪しまれて、尋問攻めにあい、遅刻してしまった。そしてラストチャンスとなった今回を含む2回は、鳥に邪魔された。

その時、男の思考が止まった。

《あの鳥、何だったんだ?》

鳥に邪魔された2回のうち1回は、カラスの攻撃に遭い、撮影どころではなかった。そして今回、被写体とカメラの間に割り込んできた鳥。その正体を男は、確認していなかった。その事に気づいた男は、直ぐにカメラを取り出し、現像作業の準備を始めた。

現像に使う薬品や道具を部屋中からかき集め、それらを使いやすいように設置し、そして最後にあらゆる光を閉め出した。先程まで朱色に染まっていたの部屋は、黒色よりも暗い闇に包まれた。しかし男は、それを苦ともせず、自分の体を動かすように作業を行った。

フィルムを専用の容器に移し、光に当たっても被写体が消えないように薬品漬けにし、薬品がフィルムに定着した頃を見計らって取り出し、それを軽く拭いた後、干して乾かした。時折男が、団扇を扇いで風を送っていたが、男の早く見たい気持ちが表れて、扇ぐ力が強くなったりもした。そして30分程経ち、フィルムが乾いた。

男は、赤色灯を点け、フィルムを覗き込んだ。そこには確かに、鳥の羽ばたきを思わすような影が写り込んでいた。その影を見て男は、頭に血が駆け上がって来るのを感じた。影の形が、見事な弧円を表していたからだ。しかし男は、自らの感情に耐えて、当初の目的・影の正体を探る事に意識を集中し、次の行程を始めた。

フィルムを引き伸ばし機にセットし、先にセットしていた印画紙全てに転写した。その後、印画紙に画像を定着させる為、再度順番に薬品に漬け、時間を見計らって、印画紙に着いてあった薬品を1枚1枚洗い出し、1枚1枚余分な水分を拭き取った後、順番に干していった。そして全ての印画紙を干し終えた男は、道具や薬品を片付け始めた。これは男にとっては、いつもの習慣だったが、いつもよりもテキパキと作業が捗った。

《気持ちが、逸っている?》

男は、立ち止まった。そして、深くて長い深呼吸を1回だけ行い、意識的にゆっくりと作業を続けた。それでも片付けは、いつも掛かる時間より3分の2の短さで終わった。

片付けが終わった男は、干してある写真の前に座り、写真が乾くのを見つめて待つ事にした。

《…まるで、合格発表前の受験生だな。》

男は、自分の撮影を邪魔した存在を憎んでいた。憎んでいたはずだった。しかし、現在の

男の気持ちは、憎悪よりも期待感が強くなっていた。そして男は、気づいた。

《正体を知った後、どうしたいんだ?…もし今朝の撮影が成功していれば、その写真を前に1人宴席をした後、それを励みに、これからを生きていけた。…だが、現在目の前にあるのは、失敗作だ。邪魔をした鳥の正体を知ったからって、時間が巻き戻る訳でも成功作に変わる訳でもない。なのに………。》

男は、自問した。ただ正体を知りたいだけなら、フィルムに像を定着した時点で終わっていた。しかし今、自分は、それを写真にしている。写真になった憎きあの鳥を、細切れにして、気分を貼らすためか。それとも、求めていた写真以上の価値があると、直感したのか。あるいは、何かの教訓にするために、敢えて形にするのか。

《………何か、違う………。》

いずれも当てはまらない。だが今行った現像は、自分にとって何か大事なもののように感じていた。

そして、写真は、乾いた。

男は、干していた写真を1枚手に取り、写っているモノをよく観てみた。

写真には、朝陽をバックに飛び立つ鳥ー梟が、両翼でUの字を描いている姿が、しっかりと写っていた。それはまるで、光から微笑みの口元が見えているようだった。そう思えた男は、自然と微笑み返していた。そして、ハッとした。

《そうか!これは、俺の子供だ!!》

男は、過去を振り返った。今まで数多く、撮影に失敗した写真を作ってきた。しかし、全て保管してきた。破棄する事も出来たのに、何となく全て保管してきた。そして現在、その理由が、ハッキリした。

《俺が今まで撮ってきた写真は、全て俺の子供たちだ。だから今日まで、何気なく大切に保管してきた。その理由をこの1枚は、俺に解らせてくれた!》

男は、写真を抱きしめ、お礼を言った。

《ありがとう。》

その瞬間、堰を切ったように、涙が勢い良く流れ出した。それを切っ掛けに泣き声が、咆哮のように滲み出続けた。

男のラストチャンスは、男を大きく成長させた。


ー完ー

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ラストチャンス…その後 川崎涼介 @sk-197408

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