第4話 夫の想い人

 部屋を与えてからすぐにカメリアは作業へと移った。真っ白なエプロンを身につけ、マスクを着用し、近くの葬儀屋とともに夫ウィリアム・ゼフィランサスが身につけていた寝間着を脱がしはじめた。着せてほしい服は、元から用意していたのだろう。あの憎たらしい弁護士が新品の箱をカメリアに渡していた。

 扉の隙間から、生前は妻しか直視することを許されなかった夫の肌がいとも簡単に暴かれる様子に、オリヴィエは耐えられず、己の部屋へと逃げる。

 オリヴィエのために設えた部屋には、夫と二人だけ並んで撮影した写真が一枚だけ飾り棚の上に置かれている。

 真っ白なウェディングドレスを着て微笑む自分に対し、夫ウィリアムは仏頂面にカメラに向かって睨んでいる。ゼフィランサス家特有の真っ赤な髪をしたウィリアムは、とてもハンサムで異国の金持ち令嬢であったオリヴィエには王子様に見えた。

 親同士の決めた結婚で相手がウィリアムだと知った時、あまりにも嬉しくてはしゃいで母に怒られたものだ。


 でも、彼はどうだったのだろう?


「……あなたは私を愛してなかったわ」


 写真のなかのウィリアムの顔を撫でる。愛しげになぞっても、彼の仏頂面が甘く微笑むことはないと何度も知っている。自嘲して写真を伏せ、オリヴィエは瞼を閉じた。押し出された透明な真珠が頬を流れ、潤いを失った頰を一筋だけ濡らした。

 オリヴィエには確信があった。自身の想いが一方通行の恋であることを。


 夫には想い人がいる。それも自分よりも美しい女性。


 結婚して四年後、待望の息子が産まれた。夫は忙しいのか、二人で夜を過ごしたことなど両手で数えきれるほどしかなかったので子ができたのは、奇跡に近かった。泣いて何度も我が子の温もりを確かめたものだ。

 しかし浮かれたいたのは自分だけであったことを思い知ったのは、寝台から出て歩けるようになった頃。夜中寝付きが悪くなっていたオリヴィエはなんとなく部屋を出た。少し動けば眠くなるかもしれないと思った。


「……旦那さま?」


 ウィリアムの書斎から溢れる灯りに気づいてオリヴィエは声をかけようと近づいた。一歩踏み出して、耳に届いた声に二歩目が出なかった。

 夫が泣いていた。いつも無表情で無口な夫が、肩を震わせ、嗚咽を零していた。こちらに背を向けていたので表情を詳しくは見えなかったが、泣いているのは確かだった。


「……レイチェル」


 嗚咽混じりに呟かれた言葉は、オリヴィエの知らない女の名前だった。


「すまない、レイチェル」


 何度も謝る夫が手にしているのは一枚の写真。目を凝らして見れば、とても美しい女性がソファにうたた寝をしている姿が写っていた。

 オリヴィエの心はひどく傷を負った。


 夫にはいたのだ。愛する人が。

 それなのに。


 それなのに、私は!


 オリヴィエは確かめる勇気もなく、ただ己の寝台へ逃げて泣きじゃくった。

 結婚してからずっと無表情なのは、己に愛のない証。

 夜を常にともにしようとしないのは、他所に愛がある証。

 一目見た時から愛していた。けれどもその時すでに彼には心のなかに決めていた相手がいたのだ。家の都合でオリヴィエと結婚し、子どもができたことに写真を通して謝罪している。


 しかし、オリヴィエはウィリアムを愛している。だから離婚など考えられなかったし、考えたくなかった。次男、長女、次女、三女ができたとき、オリヴィエは無感動だった。貴族の妻としての義務であり、作業になりつつあった。ウィリアムが抱いているのは自分ではなく、レイチェルという女なのだ。


 子どもだけが、自分の味方だった。

 妻という立場だけが、唯一の武器であり、心の拠り所だった。


 夫の遺言の内容を知り、オリヴィエは今までの報復なのだろうと悟った。故人写真を撮ったあと、レイチェルに渡すように書き、オリヴィエに破られないように意地悪な弁護士を雇ったのだ。


 これはウィリアムを解放しなかった自分への罰なのだ──。



 夜になってもカメリアはウィリアムの部屋から出ることはなかった。衣装を着させたのち、撮る位置の調整、カメラの設置に随分と時間を費やしているらしい。食事はいらないと断られた、と使用人が眉をひそめて伝えに来た。

 寝る時間になっても、彼女の姿を見る者はいない。オリヴィエは不安になった。しかし部屋に入ることは葬儀屋以外はカメリアに禁止されてしまった。怒らせるといけないと本能が告げているので諦める。


「お義母さま」


 結局寝ることにしたオリヴィエのもとに大きなお腹を抱えた嫁が、首を傾げながら訪れた。


「どうしたの、もうそろそろ寝る時間でしょうに」


 肩にかけたストールを嫁の肩にそっとかける。女が体を冷やしてはいけないと姑から口すっぱく言われて、何度も上着をかけられた。今はそれをオリヴィエが引き継いでいる。


「いえ、ちょっと気になることがありまして」

「気になること?」

「はい。……あの、お義母さまは」


 嫁は少し緊張気味に、いや、唇が綻んでいるので喜んでいるのかもしれない。そんな様子にオリヴィエは気になって言葉の続きを待った。



「白い猫を飼っていらっしゃいますか?」

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カメリア・モリスの写真は色がない 本条凛子 @honzyo-1201

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