好きなものを増やす

 「小説」を書くとき、ある程度は書いていることが好きだから、という側面はあると思う。

 自分の場合なら、「ドラゴンや魔法がある世界が好き」という側面があって、そういう世界を書きたい。それで、ちょっと哲学とか、社会学みたいな話が好きだから、というわけで、今の小説を書くということになっている。


 当然、テーマは科学史なのだから、科学の歴史について調べるわけだ。

 しかし、科学の歴史というのは複雑な問題を秘めている。


 例えば、石を投げたらアーチの形をして飛んでいく。いまは前に飛ぶ力と、下に落ちていく力を合算して求める、というのが一般的だったが、実は中世ヨーロッパでは当たり前ではなかった。

 ではどう考えていたか、というと「モノを動くためには、それを動かしている何かが存在している」と考えていたわけだ。具体的には、「空気が石を押しのけて、それで前に飛んでいる」ということだ。

 この説明は、今聞くと無茶苦茶ではあるんだけど、でも、僕の小説では大切なことである。

 で、これを理解するためには、当時の主流であった(自然科学ではなく!)を理解しなくてはならない。当時主流だったのはアリストテレス哲学だった。


 また、物語の進展上、グーデンベルクが印刷を発明したときのことを調べていて、グーデンベルクの印刷で有名になったのはルソーがドイツ語訳聖書、というものを書いたからなのだが、ではこの『ドイツ語訳聖書』が書かれたのは、ルソーが天才だったからというとそうではない。


 このあたり、なぜ現代知識を持つことがチートになるのか、ということと絡んできて、その時代状況を考えて、「こうだったからこうだ」というのは難しく、その主人公が思いついた、ということにすれば非常に書きやすいというのがある。


 閑話休題。

 じゃあルソーが『ドイツ語訳聖書』を書いた社会的背景を想像するに、どうもその前時代に、いわゆる正当な教会とは別に、「キリスト教的実践」をするために、いろんな宗派が立ち上がっていた、ということがある。

 つまり、上から教わるのではなく、下から学ぶということが実践されつつあった、ざっくりといってしまえば、そういう社会背景があるという風にまとめることができる。だから下から学ぶという欲求に答える一つとして、ルソーはドイツ語訳聖書を書き、そしてそれが印刷されたのではないか、という仮説を立てることができる。

 そして、そのような「上から教わる」ということと、「下から学ぶ」ということが対立するからこそ、異端という問題が出てくるとまで考えられる。

 これはあくまで、独学による推測、詳しい人からすれば、「間違っている」と言われるかもしれないが……。


 問題は、その知識が正しいかではなく、あるテーマを書いていると、別のテーマがやってきて、それを知らないといけないという状況になる。そして、それを調べていくという形になる。

 そういう連鎖が生まれたときに、ただ「書いている小説のテーマ」に沿ったものではく、それに近いけど、自分に入ってこないもの、まで意識できて、そこを掴もうとすると、自分が拡張されていいのではないか、と思うのだ。

 そういう過程の中で、自分が拡張されて、好きなものが見つかったりすれば、たとえその小説が結局のところ、駄作だったとしても、書いていた意味があるんじゃないか。


 そういうことを考えながら、誰にも読まれない小説を書く自分を慰めている。

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