五章 あばかれる魔術 3—1

 3



 蘭さんに噴霧された泡は、あらかた消えている。だけど、まだ顔の判別はできない。ぼうしやマスクもつけたままだしね。


 猛は言う。


「この人が、おれたちの知る、もう一人の八波だよ」


 ああ、もう。もう一人の蘭さんとか、もう一人の八波とか。なんなんだ。


「もう一人?」

「八波は二人いたんだ」


 八波は二人。最初から二人いたってことか?

 一人は、園山さん。で、もう一人が、この人。

 僕のゴチャゴチャした頭でも、なんとなく、ぼんやり、わかってきた気がする。八波の使ったマジックのタネが。


「この事件、いろいろ、普通じゃ起こりえないことがあったのは、そのせい?」

「瞬間移動。未来予知。鉄のアリバイ。これらのトリックは、八波が二人いるってことさえ知れば、解ける」


 前置きして、猛は謎解きを始める。


「まず清水寺の事件をおさらいしてみよう。墓参りのあと、桜井さんが蘭を昼飯にさそった。二人は『正雲』へ行き、三村が店の前で張りこむ。おれと、かーくんは近くの土産物屋で待機。

 三村から電話が入り、蘭が料亭を出たと知らされる。じっさいに出たのは、蘭じゃない。八波だ。この間、蘭は座敷に一人でいたため、アリバイがない。桜井さんが電話のために中座したんだよな。

 おれと薫は出てきた八波を蘭だと思い、あとを追った。しかし、清水寺の拝観受付で見失う。ふたたび、見つけたのは、地主神社。そのとき、八波は阿弥陀堂から奥の院に向かっていた。

 そこで、おれと薫は二手にわかれた。おれは八波と同じルートで、やつを追った。薫は先まわりして、音羽の滝へ。このあいだに、殺人はおこなわれた。おれと、かーくんは合流したが、八波は消えてしまった。

 で、ここでまた三村から電話だ。蘭が帰ってきたという。八波が境内からワープして、正雲に現れたとしか思えない状況だった」


 猛の説明を聞きながら、僕は、あの日の情景を思いうかべる。


「たしかに、そうだった。うーん、でも、ほんとは八波は二人いるんだから……」


 どうやれば、八波を境内からワープさせられるのか、僕は思案した。けど、熟考のいとまをあたえず、猛が解説を始める。


 もしかして、これが僕の頭から思考力をうばっていく原因なんじゃ?


「おれたちが追ってたのは、園山だ。園山は、おれたちの注意をひきつけて、時間かせぎするのが役割だった。おれたちが園山にふりまわされて、本殿をうろついてたころ。じつは、もう一人の『八波』が、下の参道を通って、殺人現場に直行してた。

 かーくん、話してたろ。山崎笑璃に茶屋で会ったって。山崎は蘭の名前に反応したんだよな。蘭の名前で呼びだされたんじゃないかって、おまえ自身が言ってたよ」


「うん。そうだった」


「茶屋で山崎をひろって、歩きながら話しましょうかなんか言って、境内を歩くのは不自然じゃない。現場になったトイレまで来ると、山崎を殺し、『八波』は正雲に向かう。もちろん、かーくんが音羽の滝に到着するより前だ。

 そして、おれたちが追ってたほうの八波は、逃走の途中、フェードアウト。清閑寺あたりへ行く道にでも入ってさ。だから、現場からいなくなった八波が、とつぜん、ワープして正雲へ帰るという魔法が起こせた。トリックはカンタン。正雲から出ていった八波と、帰ってきた『八波』は別人なんだ」


 うーん、なるほど。


「証拠もある。三村が店前でスケッチしてた。たまたま帰ってきたときの『八波』を描きこんでる。なんか変だと思ったら、おれたちが追ってた八波とは、ネクタイの色が違うんだよな。なんで、そんなことになったのか。前日、蘭が買ったネクタイ、店に在庫が二本しかなかったからだ。蘭が一本、園山が一本、買ったら、同じものはない。二人めの『八波』は、色違いで代用するしかなかった」


 へえ、そうなんだ。


「まあ、服は前日に蘭さんをつけてれば、同じもの、買えたよね。でも、なんで、そんな、まどろっこしいことしたの? ワープの魔法とかしなくても、ひとけない場所で、こっそり殺したほうが、ばれにくいのに」


「決まってるじゃないか。八波が殺人犯だってことを、おれたちに印象づけるためだよ。八波って男が目的のためなら殺人も辞さない危ないやつだと思わせたかった。そうすることで、第二の日記が成功するように、おれたちの心理を誘導していった。

 それに、蘭に似た八波を使うことで、しばらくのあいだでも、蘭を容疑者にしてやろうって魂胆があったのかもな。

 桜井さんが電話で出ていったのは、ぐうぜんじゃない。あの電話、もちろん、蘭のアリバイをなくすために、犯人がかけたものなんだ。『内密の話だけど、まわりに人がいないか?』とかなんとか言って、桜井さんが部屋から出るよう仕向けることはできた」


『八波』は、あいかわらず、だまっている。


「第一の殺人は成功した。事後は変装をといて、正雲を出ていけば、三村の目には止まらない」


 それはそうなんだけど、僕は疑問に思った。


「でも、変じゃない? 蘭さんが正雲で食事することになったのは、その日になって決まったんだよ。いったい、どうやって、それを知ったの? なんか、それがポイントだって、猛、言ってなかった?」


「そう。それは、すごく大事なポイント。八波の予知能力のトリックは、それさ。誰も知らないはずの未来のことが、なぜ、八波にはわかるのか? でも、ほんとに誰も知らなかったっけ? 桜井さんは、あの料亭に予約を入れてたんだよな?」


 僕は、ハッとした。

 そうか。犯人は桜井さんだったのか。あの人しか、それを事前に知ってる人はいない。


「じゃあ、猛。二番めの事件は? あの北野天満宮での事件。あの日も八波はワープしたよね。ワープっていうより、分身? うちの前で張りこんでた八波が、岡崎公園まで僕らを追ってきた。その時間には、もう『八波』は殺人現場付近にいたんだ。公園の八波が園山さんだったとして……」


 変だぞ。桜井さんは、その時間、ずっと蘭さんと洋食店にいたはずなのに。


 すると、猛が笑いだした。


「なんだ。まだ気づいてなかったのか。あのとき、うちの前から、おれたちをつけてきたのは、真島だよ。真島がプチストーキングしてたのは、さっき話したろ」


 なんと、あの電柱男は、真島さんか。

 そういえば、真島さんの『八波』は、なんか八波っぽくなかった。体格なんか、妙に、ごつくて。コートも八波と違ってたし。


「そうか。猛の技、きれいに返してたのは、真島さんだったからか! 真島さん、柔道部の主将だったもんね」


「あれで真島だって気づいた。というか、近くで見れば、八波とは別人って、ひとめでわかるけどな。『八波』は正確に言うと、二人じゃなかった。二人ときどき三人だったんだよな」


「なんだあ。それじゃ、あの日は、とんでもない魔法が使われたわけじゃなかったんだね。たまたま真島さんが乱入したせいで、スゴイこと起こったみたいになっちゃっただけか」


 でも、一番の難関は、ここからだ。


「鉄壁のアリバイっていうのは?」

「うん。おれは、ちょくせつ、桜井さんに聞きに行ったんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る