一章 予知される未来 1—3


 僕は兄を見た。

 猛は川西さんの肩に手をかけた。

「やっぱり、のっとりだよ。たちの悪いイタズラだろ。それより、なあ、川西。飲みたりなくないか? うちに来いよ。今夜、泊まればいいんだし」


 いいぞ。猛。そのちょうしだ。


「おっ、ほな、おれも行こかな」

 三村くんが言ったおかげで、しぜんに話が流れる。


「ああ。みんなで二次会だ。蘭、おまえも来るだろ?」


 蘭さんの住居は近所のマンションなんだけど、ほぼ毎日、うちで寝泊まりしている。


「もちろんです。こんな、ほろ酔いかげんで、一人で町、歩けませんよ。おそってくれって言ってるようなものじゃないですか」


 それで、僕らは五条堀川に近い、わが家に帰ることになったんだけど……。


 その前に居酒屋で、もうひとつ、ちょっとしたことがあった。

 代金を清算する猛を店先で待ってるあいだだ。

 ちょうど帰っていく別の客の集団と、はちあわせした。

 ぞろぞろとよける僕らの前を通る集団も、友人どうしの忘年会みたいだ。

「来年もよろしゅうな」とか、「じゃ、奥瀬、さき帰るわ」とか言って去っていく。


 その集団のなかで、最後に出てきた一人が、僕らを見て、ギョッとした。

 年れいは三十さい前後。眉間に立てじわよせて、ちょっと暗い感じのする人だ。


 すると、蘭さんのマスクの下からも、くぐもった声がした。

 まさか、また昔のストーカーとか言わないでよね。

 と思ってたら、なんと蘭さんみずからマスクをはずした。


「その節は申しわけありませんでした。桜井さん。当時は僕も未熟で、ご遺族には腹立たしい面もあったことでしょう」


 相手は、ひきつったおもてを、少し、ゆるめた。


「いや……君が悪いわけじゃない。君も被害者だったわけだし……」

「そう言っていただけると安心します。あの事件は僕にとっても悲しいことでした。もっと早くに僕が気づいていればと……」

「それは家族も同じだ。いっしょに暮らしてて、なぜ気づかなかったのか。親父が君に言ったことは申しわけなく思ってる。ほんまは親父かて、わかってたはずなんや。ただ、とつぜん娘を亡くして、誰かに当たらなければ、やってられなかったんやと思う。すまなかった」

「いえ、こちらこそ」

 重苦しい会話が続く。


 やっと猛が、のれんをくぐって出てきた。

「お待たせ」


 蘭さんは男の人に頭をさげた。

「沙姫さんのご冥福を祈ってます」


 立ち去ろうとする蘭さんを、男が呼びとめる。

「九重くん。よければ、沙姫の墓前に手をあわせてくれないか。君に来てもらえば、あいつは、きっも喜ぶと思うんだ」


 蘭さんは気重そうに承諾した。

「いつがいいですか?」

「今度の日曜で、どうだろう?」

「わかりました」

「朝十時に、京阪五条駅前で待ってる」

 そう言うと、男の人は去っていった。


「桜井さん。例の中二のときの彼女のお兄さんですよ。昔はあの人にも、ずいぶん、ののしられたけど……まあ、向こうも謝罪してるし、断れないよね」


 話の内容から、そうかな、とは思ってたけど、それは、たしかに気が重いよね。


「すみません。いやな気持ちにさせてしまいましたか? 今日は変なぐうぜんが多いですね。早く帰って、飲みなおしましょう」


 蘭さんのほうが、つらいだろうに、ほほえんでみせる。


「あさって、僕もついていこうか?」

「ああ、いえ。それは猛さんに、お願いしたいかな」


 うっ。どうせ、ボディーガードにはならないですよー。


 蘭さんは僕の顔を見て、ふきだした。

「ごめん。ごめん。気持ちは嬉しいですよ。さ、帰りましょう。ミャーコも待ってるし」


 僕らは通りかかったタクシーで帰宅した。

 僕らの自宅は、じいちゃんが遺してくれた、京町家。

 居間のコタツをかこんで飲みなおしてるとき、テレビのニュースを見た。


「また、この話題か。やだねえ。物騒で」


 ニュースで、さわがれてるのは、近ごろ京都市内で続けて起こってる殺人事件だ。若い女の人が三人も殺されてる。金品はとられず、暴行も受けてない。人を殺すことじたいに快楽をおぼえる愉快犯ではないかと、ニュースキャスターは言っていた。


「まあ、ねらわれるの女の人ばっかりみたいだから、僕らは心配ないだろうけど」

「わからんで。おまえと九重は、気ィつけたほうがええって」

「ええッ、そんな!」

「そうだぞ。かーくんは気をつけたほうがいい」って、兄ちゃんまで。

「いくらなんでも間違われないよね。蘭さん」

「夜道なら顔は見えないはずだし、体形だけなら男に見える……と思いますよ」


 蘭さんは、わが家の愛猫ミャーコをひざにのせて言う。ミャーコは僕や猛より、蘭さんが好きなのだ。蘭さんは、お高いお肉くれるしねえ。それとも、やっぱり顔か?


 一晩がすぎた。


 翌朝、帰っていく川西さんを送りだすとき、猛は再度、念写した。

 いつものポラロイドカメラから吐きだされてきた写真には、お花見してる川西さんが写っていた。

 危機は去ったらしい。


「もう大丈夫みたいだな」

「きっと、あのあと一人で帰したら、酔っ払いとかに、からまれてたんだ」

「ああ……」


 僕と話す猛の顔が冴えないのは、なんなのか。二日酔いか?

 それとも兄は、このさき起こることを、なんとなく感じていたんだろうか。


 僕らが、あの奇妙な依頼人に相対したのは、その直後だ。

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