四章 偽装する殺人 3—2

 *


 器具をとった蘭を見て、兄の武臣が病室を出ていく。

 猛は武臣を追った。武臣とは一度、二人で話してみたいと思っていたのだ。ろうかのつきあたりの窓から、武臣は鴨川の流れをながめていた。


「九重さん。話をさせてもらっていいですか?」


 声をかけると、ちらりと猛をかえりみる。が、すぐにまた窓の外に視線をもどす。


「蘭に声はかけてやらないんですか?」

「いや、状態がわかったから、もう帰りますよ。あなたから、よろしゅう伝えてください」


 立ち去ろうとするので、呼びとめる。


「待ってください。そんなに、蘭が憎いですか? あんな姿の蘭を見ても、何も感じないほどに?」


 武臣の足が、ぴたりと止まる。

 父親似の武臣。母親似の蘭。

 顔立ちは、まったく違う。

 が、こうして見ると、やはり兄弟だ。体形はとても似ている。細身で手足が長い。


 武臣はふりかえり、皮肉な笑みを見せた。


「どこの家庭だって、あるだろ? 兄弟のあいだの相克くらい」

「うちは、そういうの、ないんで」

「ああ、そう? 長男とか長女っていうのは、少なからず弟妹が、うらやましいもんやと思ってた」

「まあ、ふつう、そうなんでしょうね。とくに同性の兄弟姉妹は競いあうものだし」

「おれは蘭と競ったことなんてないよ。あいつを泣かせると、おふくろが叱るのは、おれやったからね。『お兄ちゃんなんやから、ガマンしよし』の一点張り。勝負になんて、なれへんよ」

「だから、蘭をきらってるんですか?」

「よそのうちの人に、うちの特殊性はわからないさ。蘭みたいな弟が、どこのうちにもいるわけじゃない」

「まあね」


 武臣は思い出にふけるような口調で語る。

「おれと蘭は二つしか違えへんから、物心ついたときには、もう蘭がいた。おれの記憶にあるかぎり、両親は蘭にベッタリやった。とくに、おふくろは、朝から晩まで、『蘭ちゃん。蘭ちゃん』。

 そりゃ、おれは金の苦労はしたことない。だけど、精神的には孤児と同じだと思ってる。親の愛情なんて受けたことがない。競うも何も、おれには最初から、そんなもんなかった。

 参観日に来てもらったこと一度もない。体操服に名札ぬいつけてくれたのは、お手伝いさん。学校帰りに母から『おかえり』言われた覚えもない。母は専業主婦なのに。そんなうち、普通ないだろ? ずっと、蘭につきっきりだからさ。

 あげくのはてに、次々、事件おこして。マスコミに追いまわされ、裁判ざたになり、迷惑かけられる一方だ。蘭なんて死んでしまえばいいと思ったことも、一度や二度じゃない」


「でも、蘭はあの性格だ。あなたにだって甘えたでしょ?」


 問うと、武臣は、とがった声で笑った。


「君は知ってるかな。あいつ、小一のとき、変質者にさらわれそうになった。そのあと、おふくろに軟禁されてたんだ。学校以外は、どこにも行けない。その学校も自家用車での送迎。友達と遊ぶなんで言語道断。

 おれが学校から帰ると、あいつが、あの大きな目で、まつげをバサバサさせながら、見るんだよ。遊んでほしそうな顔してね。

 でも、おれに嫌われとる自覚はあったんやな。なんも言わんと、まわりをうろついて。おれから声かけるの待っとった。

 せやから、おれは毎日、友達のうちに遊びに行った。友達と約束ないときでも、約束あるふりして。御所あたりで、ぼんやりしてたよ。

 おれが出ていくときの、あいつの悲しそうな顔が、また憎らしいほど、かわいいんや。胸の奥が、ぐっと差しこむような心地になって。そういうときは、ほんまは、おれ、こいつのこと好きなんちゃうかと思ったもんさ」


「好きじゃないんですか?」

「うん。好きじゃないな。東京の高校行って、いなくなってくれたとき、清々した。あのときの解放感は、ちょっと他とくらべられない」


「お父さんが、よく、蘭を一人で東京に行かせましたね」

「東京には叔母夫婦がいるし、それに、あいつの友達が同じ学校に行ってくれたからな。けっきょく、その友達も自殺させた。ほんま、罪作りな弟だよ」


 高校のとき、蘭にふられて自殺した友人だ。ちなみに、この友人は男。


「その話は、おれも蘭から聞いたことがある。思春期にあの顔で甘えられたら、堕ちないやつはいないでしょうね」

「まあ、そうやろな。瑛二くんも、かわいそうに」


「でも、九重さん。蘭は今でも、あなたのこと、好きですよ。あいつ、やたらと、おれと腕くみたがるんだが、なんでだかわかりますか? おれの名前が猛だからだ。おれのこと、『タケ兄ちゃんって呼んでいいですか?』って、言いやがったんです。ほんとは、あなたに、そうしたいんだろうけど」


「おれはゴメンだね。あいつを否定することが、おれの人格形成の主要部分だ。今さら生きかたを変えることなんてできない」


「了解。まあ、あいつは一人くらい、思いどおりにならない相手がいても、いいかもしれない。でないと、もっと傲慢な人格になってただろうから」

「今だって傲慢やろ?」

「負けず嫌いなとこだけ見たら、そう見えるのかも」


 武臣は時計を見た。

「仕事に行かないと」

 会話はおしまいと宣言したあと、

「君にあげよう」

 革製のアタッシュケースから、うすい冊子をとりだした。


「なんですか? これ」

「蘭の部屋から持ってきた。あいつの中学のときの学校名簿」


 なぜ、そんなものをと思ったが、ありがたく受けとっておく。わざわざ渡してくるのだ。そこに意味がないわけがない。


「武臣さん。やっぱり、あなた、好きなんですよ。蘭のこと」


 武臣は鼻で笑った。

「市民の義務さ」


 立ち去る武臣の背中を見送る。

 猛は名簿をめくってみた。


 蘭は二年一組だ。そのクラスの頭から見てみる。いくつか、猛の知った名前があった。川西や、自殺した桜井沙姫。井上若菜。さっき話に出た瑛二。さらに、山崎笑璃。須永カンナ。殺された女たちの名前もあった。


 しかし、なんだろうか。

 猛はこの名簿を見て、なぜか、妙に聞きおぼえのある名前を発見した。蘭から聞いたのは、前述の五人のはずだが。


 なんとなく記憶に残る名前を、猛は見つめた。

 橋田華音。八木愛花。渡辺星来。全員、女だ。


(最後の渡辺は星が来るで、セイラか。完全に当て字だよな)


 それで思いだした。

 そうだ。ニュースだ。三人とも、以前、ニュースで見た名前だ。星来の読みで、薫と話したから間違いない。


「女なのに、セイキか。変わってるな」

「違うよ。兄ちゃん。さっき、アナウンサーが、セイラって言ってた」

「ふうん。世の中、ハデな名前が、はんらんしてるなあ」

「そこ行くと、うちなんか、いさぎいいよね。猛。薫。昔ながらで、読みやすい」

「じいさんの趣味だろ。漢字一文字」

「父さんは、望だったしね」

「おやじは、たまに『のぞみ』と間違われて、いやだったらしいぞ」

「じゃあ、息子に『かおる』は、やめてほしかったな……」

「かーくんはピッタリ。名は体を表してるよ」


 なんて、話した。


(あれ、殺人事件のニュースだった。夏からこっち、何人か女が殺されて。その被害者だ)


 なんてことだ。

 ということは、蘭の中学時代のクラスメートが、すでに六人も殺されている。


(こんなの、ぐうぜんなわけがない。ニュースになった三人と、山崎、須永、井上を殺した犯人は同一人物だ)


 となると、動機はなんだろう?

 彼らが中学時代のクラスメートであることが、当然、関係しているはず。


 井上は沙姫をいじめていたらしい。

 山崎や須永も、そうだったんじゃないだろうか。

 つまり、井上をおどして、イジメに加わらせていた張本人。

 あるいは、ほかの三人も……。


 この事実を伝えるため、猛は公衆電話から畑中刑事を呼びだす。すぐに、つながった。


「畑中さん。じつは、こんなことがわかった。このこと、警察はもう知ってたんだろうか?」


 話して聞かせると、うーんと、うなり声が返ってくる。


「いや、前の三件は担当とちゃうんやが。被害者の卒業校はバラバラやったはずや。同い年ってとこは、気にはなっとったが」


「やっぱり、そうか。彼女たちは、この名簿が作られたあと、転校したってことだな。転校しなきゃいけない理由があった。

 畑中さん。殺された六人は、桜井沙姫さんのイジメに関与した人物なんだと思う。洛北清心は名家のボンボンやお嬢さまが行く私立の名門校だ。イジメの件で、さわがれて、世間体を気にしたんですね。みんな、転校して逃げだした。だから、卒業校は全員、違う。外聞が悪いから、洛北清心にいたことじたい、本人や家族が、かくしてるんでしょうね」


「そうなると、いっきに話、変わってくるなあ。八波は沙姫さんのことで恨んどったんと、ちゃいますか? 九重さんのことも、沙姫さんの自殺の一因と考えたんかも。東堂さん。こりゃ、事件が大きく動きまっせ。おおきに」


 畑中に感謝されつつ、電話を切った。


 しかし、猛は落ちつかない。警察よりも、さきに八波をつかまえないと、こまったことになる。


(殺された六人がクラスメートってことは、もしかしたら、八波もか?)


 八波は、あきらかに偽名だ。でも、この名簿に本名が、のってるかもしれない。


 そのとき、ふと思いだした。



 ——僕ね。思いだしたんですよ。タイトルは『夢』なのに、まっしろなカマキリで。すごく変わった絵だなって……。



 たしかに、蘭は、そう言っていた。


(カマキリ。白い……そうだ。あれだ。あの写真。八波と最初に、ファミレスで会ったとき——)


 いますぐ、たしかめなければならない。

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