第2話 浅き夢見路への招待状

ボクは毎日おおよそ決まった時間に目が覚める。

だいたい六時を少し越えたあたりか。

仕事は簡単なデスクワークと少しややこしい電話の対応である。

萌愛に逢いに行く日は、朝から煩わしく感じる仕事なんて糞喰らえと思いながらデスクに齧りつき、早く終業時間が来ないか待ち遠しくて堪らない。


お店でのデートは、いつもイチャイチャすることから始まる。

お気に入りの彼女はおっぱいが大きくて口づけが甘い。

そして何よりも首筋の匂いが堪らない。

匂いフェチのボクに無条件で与えてくれる匂いは、ボクの鼻腔から脳天へと突き抜けて、薄暗い店の雰囲気など忘れるほどのお花畑にシーンを移してくれる。

1セット四十分のシステムなのだが、ボクはいつも2セット分の彼女を堪能する。

抜群の人気嬢ではない彼女は時間帯によっては、ほぼボクの独占状態になる。

その間、彼女はボクにうっとりとした表情を見せたり、ときおり甘えて見せたり。ボクも彼女の匂いを堪能したり、ときおり豊かな胸への挨拶を楽しんだり。

そんなボクと彼女は、店の中ではまるで恋人同士のようだったし、そんなボクを危険な人物ではないと認識してくれたようでもあった。

店のルールでは、指名嬢の大事なところも悪戯していいことになっているが、萌愛はそれを嫌がっていたので、ボクは無理にその遊びに興じることはしなかったし、セックスに関する話題もほとんど持ち出さなかった。


この店で彼女と出会ってからというもの、いつしかボクのお気に入りの嬢となり、互いに意気投合し始めてから数ヶ月間通った。デフォは2セット、ときどき3セットというパターンをあまり変えずに。

そんなある日、彼女が店を卒業したいと言い出した。そろそろちゃんとした仕事をしないといけないなどと思いだしたらしい。

彼女も二十二歳。大学へ行っていたなら卒業する歳だ。それが彼女の一つの区切りだったという訳だ。

ボクは寂しくなる想いを伝えながらも、彼女の将来にエールを送った。

「でもその前に、キミとの思い出が欲しい。一緒に飲みに行かない?」

「いいわよ。」

「何が食べたい?」

「肉がいい。バルっていうの?なんか鉄板が目の前にあるイメージのやつ。それと美味しい日本酒が飲みたい。」

始めはそんなことが実現できるなんて、あんまり思っていなかった。嬢が客とデートできる確率なんてビビたるものだという噂を聞いていたから。

それでもここまで品行方正で臨んできたボクに、恋の神様が少しだけ悪戯を仕掛けてきた。


「行ける可能性は何パーセント?」

「そうね、八十パーセントっ。」

そんな言葉さえも夢物語だと思っていた。

「じゃあ来週の金曜日だったらどう?」

「んんん、その次の金曜日ならいいわよ。」

なんとも具体的な約束ができたのには驚いた。それでも半信半疑だった。

その約束をした次の金曜日。ボクは彼女を尋ねて店を訪れていた。もちろん、約束のことを確かめるために来たのだ。

「来週の金曜日、覚えてる?」

「もちろんよ。」

「待ち合わせはどこで何時?」

「そうね、大通りの角の本屋の前に三時でどう?」

「OK。三十分前には待っているよ。」

「うふふ、私は十五分遅れていくわよ。」

そしてその約束は果たされることになるのである。


その前日まで、ボクは彼女が所望するであろう肉を美味しく食べさせる店をいくつも検索した。勿論、美味しい日本酒を飲める店も近くに見つけていた。

そしてそのデートは当たり前のように実現するのである。

時間は三時三十分。

彼女は十五分どころか三十分も遅れてやってきた。しかし、そんなことはボクにとっては想定内である。さらに言えば、彼女を待っている間にどんな酒を飲もうか、どんな肉を食べようかというリハーサルを妄想の中で何度も行えた。だから、待ち時間なんて全然平気だった。

「さあ、肉を食べに行こう。」

ボクたちは予定していた店に入り、肉とワインを堪能した。次に日本酒の美味しいお店を堪能し、ボクと彼女の初デートは終了する。

そのあとは同伴で店に出勤するのである。


こんな楽しいことを誰にも言わなかった。

最初にボクをこの店に連れてきた友人にさえである。

きっと羨ましがるに決まっているから。

ボクはしばらくの間は友人にも内緒にすべき事項だと思った。

なぜなら、ボクは彼女と純粋にデートをしただけだと思っているからである。

もしかしたら、彼女も少しは好意を感じてくれているかもしれない。などとやや無理のある希望をも描きながら。

そして彼女の卒業の日が決まるのである。



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