先輩、結婚出来ません
そんなローラちゃんが私を居酒屋に誘ってきたのが、雨が雪に変わろうかという、十二月某日。
ローラちゃんは、気持ちが上がっている時は大抵スイーツに誘うから、お酒の場という事は、なにか嫌なことがあったのだろう。
また、上司に何か言われたか?
そう思いながらも、まずは乾杯して一口ビールを飲み干す。
すると、比較的温厚な性格のローラちゃんが、一気飲みしたかと思うとジョッキをテーブルに叩きつけた。
大きな音と、微かに振動したテーブルに驚きながら、私はローラちゃんを見た。
「な、なにがあったの?」
そう問いかけると、彼女は堰を切ったかのように、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「先輩、聞いてください。私……騙されていたんです」
大粒の涙を、その透き通った瞳からこぼし、体を震わせながらも、気丈にそう言ったローラちゃんに、不覚にも見とれてしまった私は、一瞬言葉を失ってしまった。
「せ、先輩?……聞いてます?」
ローラちゃんは、少し眉を吊り上げながら私を睨んだ。
「あ、ご、ごめん。で、何があったの?」
我に返った私は、興味ありげな素振りで身を乗り出し、テーブルに両肘をついて、組んだ手のひらに顎を乗せながら聞いてみた。
「彼、ね。
は??何の話をしてるのか一瞬解らなかった。
ローラちゃんは、きょとんとしている私にかまわず、捲し立てる様に続けた。
「私、彼の名前はずっと『
いつもは理路整然と話すローラちゃんだけど、この日は違っていた。
ローラちゃんがこうなる時は、怒っている時か、哀しみにくれている時だ。
まあ、ただ単にアルコールに弱いだけなのかもしれないけれど。
話は続く。
「彼は、最初は驚いていたけど、すぐに笑顔になって、自分の名前を記入していったのね。そうしたら、『たいが』じゃなかったのよ、先輩!」
彼が名前を偽ってたという事か。
でも、どうして彼はそんな事をしたのだろう。
余りにも変な名前だったのか、あるいは爺臭い名前だったのだろうか。
ローラちゃんもローラちゃんだ。
苗字ならともかく、名前なんて、それこそどうでもいいじゃないかって思う。
もっと酷い、例えば実は既婚者だったとか、年齢詐称してたとか、そんな話を想像してた私は肩透かしを食った。
「で、彼の名前って、なんだったの?」
私は逆に興味を持った。
一体どんな名前だったのだろう。どれほど恥ずかしい名前なのだろう、と。
「……たいか」
「…………は?」
「だ、だからね、『たいが』じゃなくって、『たいか』だったの!」
なにそれ。
それって、隠す必要があったの?それに、ローラちゃんもその程度の事で、何をそんなに怒ってるの?
次の言葉が出てこない私を置き去りにするかのように、彼女は捲し立てた。
「婚姻届けって、読み仮名ふる欄があるでしょ。そこに彼『たいか』って書いたのよ。でね、私が『濁点抜けてるよ』って言ったら『いや、これでいいんだ』って」
「なんでも、本当は『たいが』って命名するはずだったんだけど、お父さんが出生届を出した時に、フリガナ欄に濁点をつけ忘れて。その後もずっと『たいが』で通してきたけれど、戸籍上は『たいか』になってるんだって」
なんだ、そんな事か。
これは流石に、くだらない理由といっても差し支えないんじゃないだろうか。
「私ね、子供は三人は欲しいの」
突然話が変わった。これはいつもの事だ。
「だからね、結婚したら、車も七人乗りか八人乗りの大型ミニバンにしようと思ってるの」
「ちょ、ちょっと待って。名前が違ったって話はどこに行ったの?」
「どこにも行ってないわよ」
ローラちゃんは身を乗り出して、目を細めながら私の眼前まで顔を近づけた。
珍しくドスの聞いた声に、私は思わずのけ反ってしまう。
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