腹黒伯爵とオタク令嬢
神白ゆあ
17年目にして仲間を見つける。
隠れオタク。それは、一般人の皮をかぶり一般人に擬態し一般人として生活しているオタクのこと。おもにロマンス小説が好きな人間に多い。
隠れオタクは一見するとただの人間。普通に人と会話し、普通にご飯を食べ、普通に寝たり起きたりする人間。だがその中身といえば、会話しながら物語の続きに心を奪われ、ご飯を食べながら先ほどまで読んでいた本の内容に思いを馳せ、寝る前にひとしきり「かっこよく魔王を倒す自分の姿」や「美男子と恋に落ちる自分の姿」や「登場人物たちがもしもこんな行動したら?」といったことを妄想し、目覚めたら昨晩読んでいた本のお気に入りシーンをもう一度確認する…。そんな感じの、アレだ。基本的に、現実より物語の世界が大好きな人種なのだ。
ローズマリーという少女は、物心ついたころは絵本が大好きなごく普通の純粋な女の子だった。どこで道を踏み外したのか今となっては定かではないが、7つの歳を数える頃には本の世界にどっぷり浸りオタクの片鱗を垣間見せるようになった。そして10歳になるころには世間一般には「え?そんなものを読んでいるの?」と眉をひそめられる「ロマンス小説」という存在を知ってしまい、ただの読書好きから見事なオタクへと進化した。
男は紳士、女は淑女であることを求められるこの国で、一応ローズマリーは妄想の中で紳士にも淑女にもなった。そして男は剣を磨き、女は魔法を習得することが当たり前のこの国で、一応ローズマリーは妄想の中で男装の女剣士にも、100年に一度の大魔法使いにもなった。そう、あくまで妄想の中では世間が理想とする人物になれたのだ。
だた、おかしい。妄想の中ではなんにでもなれるのに、現実の自分はどうも淑女とやらになれていないし、魔法もあんまり上手ではない。ぶっちゃけた話、リアルの紳士淑女にもリアルの剣や魔法にも興味がわかない。物語の世界の剣や魔法を使う冒険譚や、紳士淑女のときめく恋愛劇は大好きなのに…。
(もしかしなくても、自分はおかしいのかもしれない…?)
12の歳を迎えて、ローズマリーはようやく自分のこの趣味がおかしいことに気づいた。そして世間一般にこういった趣味を持つ人間は「オタク」と呼ばれ、侮蔑の対象になっていることも知った。
隠れなければ。
ローズマリーはこの、自分にとっての生きがいを死守するため、必死で隠れるすべを…隠れながら思いきりこの趣味を堪能するすべを学んだ。オタク趣味をやめるという選択肢はまったく出てこなかった。
そして多くの女友達が淑女らしくふるまい社交界デビューを果たしている横で、ローズマリーは一般人らしくふるまい匿名でオタクが集まる秘密結社デビューを次々と果たし、また多くの女子が魔法を習得し貴族との縁談にこぎつけている横で、ローズマリーは商人との交渉術を身につけ最新のロマンス小説をなんとか仕入れてもらうよう商談に躍起になっていた。
そんなローズマリーに、転機がおとずれたのは17歳の春。
ローズマリーはまだ夜明け前の人通りの少ない路地裏を歩いていた。マントを着て、フードを目深にかぶり顔が見えないように、そして不審者のごとくこそこそと歩いていた。目当ては、町外れのさびれたお店だ。ここは同好の士が教えてくれた、ロマンス小説の狩り場…と言う名の本屋だった。
(今日こそ新刊をゲットしてみせる…!)
人気の本はすぐに売り切れる。新刊ともなれば競争率は高い。ローズマリーは眠いのを我慢してまだ暗い時分から家を出て、店が開くのを人目を忍んで待っていた。警戒を怠らず、常に周囲に気を配ることも決して忘れない。
こんな辺鄙なところで知り合いにでも出くわしたらと思うと、気が気ではない。ローズマリーは貴族でもないし、家は特別資産家でもないのだが、一応は中流階級の女子だ。ひとりでこんなところにいるだけで、あらぬ噂が立てられるかもしれない。身持ちの悪い、ふしだらな娘…などと思われるくらいなら事実無根なので構わないが、万が一にも「もしかして…オタク?」などと思われたら生きていけなくなる。
だがこのスリルをかいくぐり手に入れたロマンス小説を読むのが、最近のローズマリーは快感になっていた。
「あーはやく開かないかなー…ご主人を起こしたら悪いかしら…」
ここの店のご主人は、奥さんがオタクだということで、そういった感じの本も多数扱っている。そしてご主人はそういう趣味に寛容で、ローズマリーたちのことを我が子のように迎えて喜んで本を取り揃えてくれているのだ。
「いやいや、まだ夜明け前よ…さすがに非常識だわ…あぁ、はやく勇者と魔王のどちらが台所の主導権を握ったのか、その結末が読みたい…!」
このとき、開店前のドアの前でぶつぶつと独り言をつぶやきながら右往左往していたローズマリーは、すっかり油断していた。物語の続きに気を取られ上の空だった。だから、人が近づいてきていることに気づかず、振り向いた瞬間に誰かと思いきりぶつかった。
「あだっ!!」
変な声を上げてローズマリーはよろめいたが、倒れることはなかった。
「失礼、前を見ていなかったので…」
誰かがローズマリーの腕を掴んでいた。ローズマリーが顔をあげると。夜明け前の薄暗さでよく顔は見えないが、男性がひとり立っていた。
見つかった。ぶつかった。存在を認識されてしまった。どうしよう。…ローズマリーは慌てて顔をふせて、フードをより一層目深にかぶって顔を見られないようにした。
この男はいったい何者だ。こんな夜明け前からこんなところで…不審者か?不審者ならまだいい。いや、よくはないが知り合いよりはマシだ。いや、命の危険があるかもしれないからやっぱりマシじゃないか………いやいや、もしかしたら、むしろ自分が不審者か?通報されたらどうしよう…もしも家を捜索されることになったら、あの本とあの本とあの本だけは死守しなければ…。
などとあらゆる心配がかけめぐる非常事態なのに、脳内では魔王と勇者の料理対決の妄想がものすごく邪魔をしてくる。ローズマリーの頭の中で「魔王」「勇者」「不審者」という単語がせめぎ合っていると、相手が不思議そうに声をかけてくる。
「レディ、おひとりですか?」
「い、いえ!おひとりというか、おひとりじゃないというか…」
こんな時間にひとりでこんなところにいたら、怪しまれるのは仕方がない。なんとかこの場を切り抜けて、今日はもう新刊は諦めて帰ろうと、ローズマリーは再び顔をあげて男性を見た。
そのときちょうど、朝日がのぼり路地裏を明るく照らし始め、その男性の顔がはっきりと見えた。
「大丈夫ですか?」
「……」
「あの…?」
ローズマリーはしばらく口をあけて男性を見ていた。
その人のことはよく知っていた。金色の髪。緑がかった青い瞳。誰もが認める絶世の美男子。剣も魔法を使わせれば一流。頭もよく、話し上手で社交的。常に紳士の見本のような人物だが、実は気に入らない人間には容赦がない腹黒い一面もある…という噂を聞いたことがある。本当かどうかは知らないが。
「えっと…フェリクス伯爵…?」
知っている…というか、見たことがある。話したこともないし、ローズマリーの耳と目に一方的にその情報が入ってきているだけだが、社交界で…いや、おそらくこの国で彼を知らないものはいないだろう。ローズマリーより3つほど年上で、幼い頃に通っていた魔法を学ぶ塾でクラスは違うが見かけたこともある。その程度の距離感だが、彼のことは見ればすぐに分かった。それくらい、目立つ人物だったのだ。
「どこかでお会いしましたか?」
ローズマリーがその名をつぶやくと、彼は不思議そうな顔から一変して笑顔を見せた。
「いえ、まったく!ぜんぜん!会ってません!」
目の前の人間と、少したりとも繋がりを持ちたくなかったローズマリーは必死で否定した。もしかしたら今後も社交界の場で顔を会わせるかもしれないのに、ここで顔を覚えられては今後の人生が終わってしまう。
「ごめんなさい、ぼーっとして、あの、私はこれで失礼します!」
一方的に喋りまくってローズマリーは頭を下げると、すぐさまその場を離れようとした。そのとき。
「あれー?ローズマリーちゃん、こんな早くから来てるなら言ってくれたらよかったのに~」
ローズマリーと彼…フェリクス伯爵がいたのは店の扉の前だった。ローズマリーが騒いだせいか、店の主人がドアを開けて出てきたのだ。
「ご、ご主人…っ!あのっ…えっ…」
「あの新刊だろ?昨日やっと入荷したんだよねー。あと、ほら、この前言ってたあの先生の新作の限定版のやつ…あれも昨日手に入ったんだよ!」
「いや、あの私は…」
「ほらほら入って入って、そこの君も!お嬢さんのオタク友達かな?」
気前のいい店の主人は爆弾発言をかましつつ、店の入口で青くなったり赤くなったりしているローズマリーを店内に引っ張り込み、小説を3冊持ってきた。カバーもかけられておらず、表紙には見事にロマンス小説のタイトルが綴られている。
「3冊で20ゴールドね」
店の主人はローズマリーにお金を要求した。主人はローズマリーの隣りにいる男性をローズマリーの仲間だと思っているので、ローズマリーがオタクであることを隠す相手だと思っていない。そのため彼女がオタクであるとわかる流れが次々に展開されていく。
「あのっ…」
ローズマリーは迷った。ここでその本を買えば「私は夜明け前から店の前をうろつき新作小説を買うロマンス小説好きのオタクです!」と宣言してしまうようなもの…。隠れオタクをつらぬくなら、ここは「人違いです!」と言って走り去らねばならない。
だが。しかし。人気の新刊。今買わねば別の同好の士の手に渡り、ローズマリーが手にするのはいつになるか。しかもお気に入りの先生の最新作の限定版。限定版は機会を逃せば二度と手に入らない。これはもう、今買わずにいつ買うのだ!
「…お願いします」
オタクバレするより、今日の自分の糧を失うことのほうが耐えられなかった。ローズマリーは財布からお金を取り出し、主人に渡す。次の入荷の予定を教えてもらい、ローズマリーは店を出る。
あとから店を出てきたフェリクス伯爵は、顎に手を添えて何やら思い悩むようにローズマリーの様子を見ていた。
(まだだ、まだ大丈夫だ。今後、社交界とかでこの人と顔を合わせないようにすれば、ここにいた人間=私ということに気づかれず、私がオタクだということはバレないはず…!)
ローズマリーはしらを切り通してなんとかする作戦を立て、その場を切り抜けようとした。が、しかし。状況はそれを許さなかった。
「思い出しました。エイヴァリー先生のお嬢さんですか?」
「は、はい!?」
「その赤い髪…見覚えがあると思ったんですが、何度かパーティーでお見かけしました。実は先生の授業も受けたことがあるんですよ」
先生、というのはローズマリーの両親もしくは祖父母のことだ。彼女の家は教師や研究者が多く(そのため珍妙な本が幼少期から手の届く場所に転がっていたのだが)、数年前まで両親はどこかで何かを教えていたことがある。今は「研究の旅に出る」といって2年も会っていないほど放任主義の親だ。親にもオタクであることを隠しているローズマリーとしては、悠々自適なオタクライフを送れているので願ったり叶ったりという状況なのだが。
「ところで、どうしてこんなところにひとりで?」
今の自分の顔は真っ青に違いない。冷や汗が体中を流れ、物語の主人公たちもピンチのときはこんな気分なのだろうかと現実逃避をはじめた。
さっきの流れを見ていれば、ローズマリーが何を買ってそれがどういうものかは分かっているはず。それとも、実は彼はこういうことは疎くてわからないとか…?オタクという単語を知らず意味が分からなかったとか…?
いやいや、そんなことはない。オタクという単語を知らずとも、ロマンス小説を読むことは淑女的にはありえないのだ。彼の中に「ローズマリーは、はしたない娘」という認識はあるだろう。そしてそのことをもし言いふらされでもしたら…。
(そういえば伯爵は気に入らない相手には容赦をしないという噂が…さっきぶつかったことを恨まれてこの噂を流されたら!?)
ローズマリーは泣きそうになりながらも、買った本が入った革の袋をしっかりと握りしめ、そして考える。
そうだ、旅に出よう…両親のように、どこか遠い外国とか…。あ、でも本を全部持っていけないし、外国の本は言葉がわからないから読めない…。なによりこの国にいる作家たちの本を今後も読めないとなると…。ああ、やっぱりこの地は離れられない!旅に出るやつは却下だ!
「あ、あの、フェリクス伯爵…」
「はい?」
「今日のことは…黙っていてもらえないでしょうか…?」
ローズマリーは決心し、フェリクス伯爵に直談判することにした。
「黙っている…というのは、なにをですか?」
彼は首をかしげて問いかける。
「その…私が…えーっと……こ、こういう本を…買っているということを…その…お、オタクだということを…」
消え入りそうな声でローズマリーは言った。相手から「もしや?」と思われるのと、実際に自分の口から言うのとでは大違いだ。これで拒否されてバラされたり、オタクであることをネタに脅迫でもされたら…。
絶望の淵にいたローズマリーは、フェリクス伯爵の言葉を待った。
すると彼の口から思いがけない言葉が降って湧いた。
「あぁ、そういうことなら大丈夫ですよ。僕もオタクですから」
今まで礼儀正しく「私」と言っていたのが、いきなり「僕」になって、やや砕けた雰囲気で彼は言ったのだ。
「……はい?」
ローズマリーは聞き返した。今しがた耳にした言葉が信じられず。
「僕もオタクなんですよ。あなたと一緒で」
聞き返されても気を悪くすることなく、彼はにこやかに言った。
「ほ、ホントですか!?」
ローズマリーは思わずフェリクス伯爵の手を取って両手で握りしめた。安堵と興奮とが入り混じり、それはまるで、たまたま手にした本が自分の好みど直球の世界観とキャラ設定で「まさにこれが求めていた我がバイブル!」と叫びたくなる、あの感覚だった。
「は、はい…」
「ホントに、ホントに伯爵がオタクなんですか!?」
「そうですけど」
「じゃ、じゃあこの新刊…いま流行ってるこの『魔王と勇者の食卓』もご存知で!?」
「……えぇ」
若干フェリクス伯爵が引いてる気がしたが、ローズマリーはお構いなしに詰め寄った。
なんということだろう。これまでローズマリーにオタクの知り合いはいなかった。
秘密結社で出会う仲間はみんな匿名。なおかつ仮面舞踏会のように仮面をしており、決してお互いの素性は明かさず語らうのがルールだった。だからこうして身近な存在で、顔も名前も知っているオタク仲間はいなかったのだ。
「伯爵!」
「は、はい」
「私とお友達になってください!」
ローズマリーは淑女として今とても恥ずかしいことをしている。しかし今の彼女にとっては恥などどうでもよかった。オタク仲間がほしい。長年の夢が、思わぬ形で叶うかもしれないのだから。
「えぇ、僕でよければぜひ」
紳士に詰め寄る淑女らしからぬ女子の行動にも動じず、フェリクス伯爵は爽やかな笑みを浮かべて承諾した。
ローズマリーは喜んだ。生まれて初めてのオタク友達。隠し事をする必要のない相手。それが今日、この世に生を受け17年、オタクに目覚めて7年目にしてようやく手に入った。
その日、彼女はフェリクス伯爵と来週の日曜日に会う約束をして大喜びで家に帰った。
だがこのときの彼女はまだ知らなかった。
別に彼はオタクでもなんでもない、本当はただの一般人だということを。
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