13、断末魔


 振り返ると、そこにいたのはディアナだった。

 マリウスとメリルローザが話している間に追い付き、息を潜めて気付かれないように階段をのぼってきたらしい。


 ディアナはメリルローザたちの前に進み出ると、真っ直ぐにマリウスを見つめた。


「……弱ったマリウスの心より、わたしのほうがよっぽど喰い甲斐があるでしょう? わたしの心と引き換えに、マリウスの身体は解放してちょうだい」

「お姉ちゃん……、優しいんだね」


 マリウスの顔で、ブラックダイヤモンドはふわりと微笑む。

 優しいなんて。新しい宿主が転がり込んできてほくそ笑んでいるに違いない。メリルローザは怒りでぎゅっと拳を握りしめた。


「ディアナさん……!」

「いいの。これは、わたしたち一族の問題よ。あなたたちは下がっていてちょうだい」

「そうだね。お前たち二人が動けば、この子供はここから落とす」


 牽制され、ヴァンとメリルローザは動けない。マリウスは窓に身体を乗せたままだ。

 ディアナは迷うことなくマリウスの元へ進み出た。


「マリウス……」

「さあ、お姉ちゃん。このダイヤに触れて?」


 マリウスが胸元にブラックダイヤモンドを翳す。そのままディアナが奪いとってくれれば――いや、バランスを崩したらマリウスが落ちてしまう。マリウスもわかっていてディアナを近くに呼んでいるのだ。メリルローザたちは文字通り手も足も出せない。

 黒いもやが、新しい餌を取り込もうと揺らめいているのが見てとれる。


 ディアナはそのダイヤに触れ、マリウスの身体を抱きしめた。


「ごめんね、マリウス。――今、楽にしてあげる」

「ディアナさん!」


 ディアナはダイヤだけを床に落とすと、マリウスもろとも窓から落ちていった。

 目の前が真っ暗になったメリルローザに、転がってきたダイヤから黒い煙が噴き出す。怒り狂ったように渦を巻き、こちらに襲いかかってきた。


「メリルローザ!」

「ヴァン!」


 ヴァンの手が青い炎を生み出し、ダイヤは炎に包まれる。黒いもやは人型のように姿を変え、激しい咆哮をあげてのたうち回る。

まるで人間の断末魔のようだ。

 ぞっとする光景を遮るように、ヴァンがメリルローザを抱きしめた。震える手で、ヴァンのシャツを掴む。この声は、これまでダイヤが喰らってきた魂たちの叫びなのだろうか。

人型のもやは叫び、暴れ、泥のように原型をなくしていく。

 ヴァンの炎が燃え尽きると、あとは炭ひとつ残っていなかった。


「ディアナさん、は」


 見たくない思いで二人が落ちた窓へ駆け寄ると、折り重なって倒れた三つの身体が見えた。

 一番下にいるのは、


「叔父さま!?」


 グレンが二人を抱きとめるようにして倒れていた。グレンの名を呼ぶディアナの声を聞きながら、メリルローザはヴァンと共に階段を駆け降りた。



 二人を抱き止めた衝撃で、グレンは地面に身体をしたたか打ち付けたらしいが、意識はしっかりあった。取り乱すディアナを宥めるように微笑んでみせる。

それでも、すぐに起き上がれるほど軽症ではないらしく、顔をしかめたまま横たわっている。。

「窓にいるマリウス君の姿が見えたからね」と、万が一に備えて塔の下で身を潜めていたらしい。ディアナごと落ちてきたときには肝を冷やしたそうだ。


 三人共生きてて良かった、とメリルローザはへなへなとその場に座りこんでしまう。ディアナとマリウスが落ちていったのを見た時は頭が真っ白になった。


「ダイヤはどうなったんだい?」

「……ヴァンが、燃やしました。もう跡形も残ってないです」


 そう、とグレンは肩を下ろした。ディアナはぽろぽろと涙を流してグレンにしがみついた。


 マリウスは気を失っているが、息はある。

 心を喰われてどうなってしまっているかは目を覚ましてみないとわからないだろう。それでも、ディアナとマリウスはダイヤからの長い長い呪縛からようやく解き放たれたのだ。


「……終わったのね」

「いや、これからだよ」


 グレンがディアナの手に自身の手を重ねた。

 マリウスのことも、そしてこれまで生み出してきた呪いのことも、すべてはここからはじめていかなくてはならない。


 そうね、と泣きながら笑うディアナを引き寄せて、グレンはそっと唇を重ねた。




 ***




「――それじゃあ、しばらくの間頼んだよ。メリルローザ」


 ディアナとマリウスの屋敷で、グレンは朗らかに笑った。


 ブラックダイヤモンドがなくなってから一週間余り。

 グレンは肋骨にひびが入っていたり、打ち身で身体の後ろが紫色になっていたりと怪我をしているので、しばらくハイデルベルクで療養してから帰ることにすると言い出した。

 療養先はもちろんディアナのところだ。


 療養というのは口実で、マリウスやディアナのことが心配で残るのだろうということはメリルローザにもわかる。ディアナが世話を焼いてくれるのが嬉しくて残るというのもあるのだろうが……、ともあれ、ローテンブルクの屋敷をほったらかしにしておくわけにもいかない。

 ディアナは、メリルローザやヴァンも屋敷に滞在して構わないと言ってくれたのだが、一足先にローテンブルクに帰ることにしたのだ。


「おねえさんたち、帰っちゃうの?」


 テーブルについていたマリウスが残念そうな顔をする。会話に気をとられて飲んでいたミルクをひっくり返すと、すぐにディアナが飛んできた。


「ごめんなさい、お姉ちゃん」

「気をつけてね」


 めっ、とディアナが愛情を持ってマリウスを叱る。


 ――マリウスはここ数年間の記憶がすっぽりと失われてしまっていた。

 屋敷に戻ってきた時のマリウスは脱け殻のようになっていて、返事をしても虚ろな状態だった。ディアナはひどく落ち込んでいたのだが、ここ数日で少しずつ人間らしさを取り戻していた。

 十四歳の見かけだが、中身はかなり幼い子供のようだ。それでも、絵を書くことは変わらずに好きらしく、筆をとる姿を見てディアナは泣いていた。


 子供のやわらかい心は大人が思っているよりもずっと強い。

 マリウス本来の明るさや強さは、ブラックダイヤモンドも傷付けることができなかったようだ。


「また遊びにくるわね」

「うん。そのときは僕の絵のモデルになってね」

「ああ、マリウス。ちゃんとヴァンの許可もとるんだよ。君が勝手にメリルローザに近付くと怒られちゃうからね」

「うるさい!」


 グレンがさらりとヴァンをからかう。


「ええと、叔父さま。留守の間、何かやっておくこととかってあります?」

「そうだねぇ。社交関係は適当に断っておいてくれていいよ。頼みたいのは……」

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