12、心を喰う宝石


「……言いにくいんだけど、いいかしら」


 ひょっこり出てきたフロウがメリルローザの肩を叩く。もちろん、フロウの姿はメリルローザとヴァンにしか見えていないのだが、


「ダイヤが移動してる。対岸からこっちに来ているわ」

「え!? まさか、マリウスが……?」

「そりゃ、ダイヤに足でも生えない限りそうだろうな。追うぞ」


 突然驚いたメリルローザとヴァンに、ディアナはきょとんとしていたが、弟の名前にすぐに反応した。


「マリウスがどうしたの?」

「ダイヤを持って移動しているみたいです。……フロウ、どの辺りにいるの?」

「方向的に、お城のほうに向かってるみたいね」

「城か。こっちだな」


 マリウスはアルテ橋のほうから真っ直ぐ進んで来ているというので、メリルローザたちは城へ向かうための斜面で合流できるルートで向かう。昨日の雨が嘘のように青空が広がり、夏の太陽がじりじりと石畳を照らした。


 辺りの景色に緑が多くなってきたところで、坂を上るマリウスの背中が見えた。

「マリウス!」と声を上げたディアナが、息を切らしながら追いかける。


「あれ、お姉ちゃん? ……と、おねえさん達も一緒なんだね。こんにちは」


 振り向いたマリウスは手ぶらだ。

 ディアナは顔を強張らせてマリウスの肩に手を置いた。


「どうしてここに? 家で寝ていたはずでしょう?」

「天気がいいから、スケッチにでも出ようかなぁって」

「スケッチって……、スケッチブックは?」

「あれ? ……あはは。忘れてきちゃったみたい。これじゃあただの散歩だね」


 マリウスは明るく笑う。

 その表情は昨日のことなどまるで覚えていなかったかのようだ。メリルローザやヴァンも見ても取り乱したりすることはなかった。


「……マリウス。ブラックダイヤモンドは家から持ち出してはだめと言ったはずよね?」


 ディアナが怖い顔をする。マリウスはきょとんと首を傾げた。


「ええ? なんのこと?」

「……持っているんでしょう?」


 ディアナが詰め寄るが、彼女が自分の目で家にないことを確認したわけではない。

 堂々としたマリウスのとぼけぶりにディアナは戸惑った。

 メリルローザの言うことが正しいのか、マリウスが嘘をついているのか判断がつかないのだろう。ちらりとメリルローザの方を振り返る。

 フロウが「右胸のポケットよ」とメリルローザの耳元で囁いた。


「マリウス。右胸のポケットには何が入っているの?」


 メリルローザの問いかけに、マリウスはポケットに手を触れる。


「……さっきからみんな、怖い顔をしてどうしたの?」

「あなたがダイヤを持っているのはわかっているわ。こちらに渡してちょうだい」

「……すごいなあ。それも、精霊の力?」


 顔を歪ませたマリウスがディアナを払いのけて逃げようとする。だが、すぐにグレンが手を伸ばして捕まえた。


「……心を乗っ取られていても、身体は子供だね。大人しくしなさい」


 腕をひねりあげたグレンだが、


「痛っ! 助けて、お姉ちゃん!」


 マリウスが涙を浮かべて驚いているのを見て、グレンは少し力を緩めてしまったらしい。

 グレンの腕を振りほどいたマリウスは、体当たりをするようにグレンを手すりの向こう側へと落とした。

 急勾配の坂のため、グレンの身体は三メートルほど下の石畳に打ち付けられる。


「叔父さま!」

「私は平気だ。追いなさい、メリルローザ!」


 その隙にマリウスは走り去っていく。メリルローザはヴァンと共に走ってその背中を追いかけた。


 坂を上がり、ハイデルベルク城の広場に出る。マリウスは城門近くの塔の中に逃げ込んだようだった。入ってすぐの螺旋階段を軽い足音が駆け上がっていく音が聞こえる。


「大丈夫か?」

「っ、ええ!」


 ヴァンの方は息一つ乱れていないが、全力疾走したメリルローザはそれなりに苦しい。手すりを持つ手に力を入れて、階段を昇るヴァンの背中を追いかける。

 三階まで昇りきると、マリウスが窓辺に身体を預けていた。


「……すごいなあ。おねえさん達、何者?」


 ダイヤを弄びながらくすくすと笑っている。

 ブラックダイヤモンド――名前の通り黒いダイヤモンドだが、メリルローザの目にはもやのせいでよく見えない。マリウスの手元はどす黒いもやで覆いつくされていた。

 フロウほどではなくても、メリルローザも嫌な気配で気分が悪くなりそうだ。

 マリウスとの距離を保ちながら、キッと彼を睨み付ける。


「……マリウスを解放してちょうだい」

「解放? 変なことをいうね。僕は僕だよ」

「身体を乗っ取られているのは、マリウスの意思じゃないでしょう?」

「同じことだよ。この子供が僕に心を差し出した時点で“僕”はマリウスになったのと同じ。これまでの人間たちも同じように、力と引き換えに僕に心を捧げてきた」


 マリウスの一族は呪いの力を得る代わりに、ブラックダイヤモンドに心を喰われて続けてきたのだ。

 だが、それは契約でも何でもない。

 一度心を喰らわれたら、ブラックダイヤモンドが身体を支配してしまうのだろう。そうしてダイヤはその人間に成り代わっていき、力を振るい、心を喰らわれ続ける。


「そうやって少しずつ心を喰らい、最後にはその人間を死に追いやるのか」


 吐き捨てるように言ったヴァンに、マリウスは悪びれもなく肩をすくめる。


「食べ尽くしたものに興味はないからね。君だって、精霊だなんて高尚な名前で呼ばれていても人間を餌にしているのは変わりない。人間に従うふりをして、隙あらばその血を啜る機会を狙っていないと言い切れるのかな」


 ヴァンがぴくりと反応した。


「俺は……」

「違うわ。ヴァンはあなたとは違う」


 きっぱりとメリルローザは言い切った。


「わたしとヴァンは対等よ。人間を騙しているあなたとは違う。マリウスも、これまであなたが心を奪ってきた人たちも、あなたに乗っ取られることなんて望んでいなかったはずよ」


 マリウスの身体を返して、と詰め寄ろうとしたメリルローザの前で、小柄な身体はひらりと窓枠に飛び乗った。

 くり貫かれただけの窓は、身を乗り出せば簡単に落ちてしまう。三階から落ちれば無事では済まないだろう。


「……落ちたら、その肉体は死ぬぞ」

「いいよ。どのみちこの子供の心はだいぶ食べちゃったんだ」


 落ちたところで本体ダイヤは割れないし、とのんびりした口調で笑う。


「馬鹿なことはやめて」

「じゃ、おねえさんたち、僕を見逃してくれる?」


 見逃したら、このダイヤはまた新しい宿主を探すのだろう。マリウスの身体で逃げられてしまっては結局手も足もだせない。

 かといってこのままではマリウスが飛び乗りることになってしまうだろう。


 どうしたらいいかわからないメリルローザの背後で、静かに、静かに階段を上がってきた女性が声を上げた。


「――だったら、わたしの心をあげる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る