14、求婚
ぎゅっと手を握られてますます困惑してしまった。
結婚? ジークハルトがわたしと?
「……からかってるの?」
「バカ。冗談でこんなこと言うかよ」
怒った顔をするジークハルトの頬は赤い。
「ずっと、好きだったんだ。子供のころから……。でも、士爵家と伯爵家とじゃ釣り合わないからって父に反対されてた」
アルトナー伯爵家はとても裕福だ。
財力はあれど爵位の低いシェルマン家にあまり魅力を感じなかったらしい。
「お前がキースリング男爵の養女になったと聞いて、俺がどんなに嬉しかったと思ってるんだ」
真剣な顔で話すジークハルトが本気らしいとわかって、メリルローザの頬もじわじわと熱くなった。
子供の頃から知るジークハルトは、昔から何かとよくメリルローザに突っかかってきた。成り上がり令嬢だと陰口を叩かれていたメリルローザにとっては遠慮なく喧嘩出来る相手で、むかつくこともたくさん言われたけれど、根は悪いやつではないということはよく分かっている。でも……。
視線を下げると、胸元に輝くレッドスピネルが目に入る。ごめん、とメリルローザは小さく詫びた。
「ジークの気持ちは……、驚いたけど、嬉しい。でも、……ごめんなさい」
ジークハルトはメリルローザから視線を外すと、詰めていた息をゆっくりと吐いた。
「……あの男が好きなのか?」
「あの男って……誰のことを言ってるの?」
「マイスタートルンクで見た。お前が男と一緒に露店にいて、耳飾りを選んでるところ」
ヴァンのことだ。
口ごもったメリルローザを見て、ジークハルトは肯定ととったらしい。
握っていたメリルローザの手を離すと、ぎゅっと拳を握ってため息をつく。
「……どこの貴族だ? 家名は? キースリング男爵は知っているのか?」
「なんで……ジークにそんなこと言わなきゃいけないのよ」
「聞いて当然だろ。その男はお前を幸せに出来るのか?」
何も答えられないメリルローザに、ジークハルトは三度目のため息をついた。
「言えないような相手と付き合ってるなら、馬鹿な選択はよせ」
付き合っているわけじゃない。
だが、そんな風に言われてかちんときた。
「馬鹿な選択ですって? じゃ、ジークと結婚するのが良い選択だっていうの?」
「そういう意味じゃ……。いや、そうかもな。俺なら、お前を幸せにする。経済的にも不自由させないし、身分だってちゃんと釣り合いがとれる」
ジークハルトはヴァンの素性を何一つ知らないくせに、彼の主張は真っ当だった。
メリルローザだって一応貴族の端くれだ。年頃で、嫁ぎ先が決まっていなくて、申し込まれた相手が幼馴染の伯爵家の息子ならそんなに悪い話ではない。
身分違いの恋だとか、身一つで駆け落ちだとか。恋愛小説でヒロイックに酔っぱらってみても、決して自分がそうなりたいとは思っていなかった。
だって。たとえば、もし――メリルローザが、ヴァンのことを好きになったとしても、絶対に結ばれることはない。身分とかお金の次元の話ではないのだ。
そのことに気付かされて、メリルローザの心はざっくりと傷付いた。
おまけに、ヴァンの心の中には大叔母がいる。
物理的にも精神的にも結ばれることなんてないのに――それなのに、どうしてこんなにヴァンのことを考えてしまうんだろう。
泣きそうになったメリルローザはベンチから立ち上がる。ジークハルトの言い分が正論なだけに、これ以上ここにいたら自分の心が折れてしまう気がした。
「メリルローザ」
ジークハルトに肩を掴まれて、メリルローザは身体を捩った。
「離してよ」
「お前、泣いて……」
はっとしたようにジークハルトが動きを止める。彼の肩に誰かの手がかけられたからだ。
「俺の女だ」
ヴァン。どうしてここに。
案の定ジークハルトは、突然の闖入者に怪訝な顔をした。
「は……? 誰だ、お前……」
「ごめん! ジーク!」
ヴァンの手をとると走って逃げた。おい、とジークハルトの声があがったが、招待客でもないヴァンが見つかったら問題になってしまう。
元来た道を戻――れず、屋敷の裏手の方へ向かって走る。こんなところまで立ち入っては、さすがにメリルローザも咎められるかもしれない。木々の茂みと外壁の間に身を滑りこませると、はあはあと荒い息をして壁に身を預けた。
「なんで……出てきたのよ……」
「……なんでって、お前が、あの男に泣かされそうになってたから……」
お前は俺の主だろ、と言われて力が抜けた。
(そうよね。……そういう意味よね)
俺の女だと言われて、一瞬どきりとした自分が馬鹿みたいだった。本当に馬鹿だ。
じわじわと込み上げてくる涙を隠すようにヴァンの胸に身体を預ける。泣いているのはバレバレだろうが、「……そんなに嫌だったのか?」泣いている理由はヴァンには決してわかるまい。問いかけに無視して、シャツに顔を埋めた。
(わたし、好きなんだわ。ヴァンのことが……)
結ばれないとわかっているのに。
ジークハルトの言うとおり、とても馬鹿な選択だ。
喋らなくなったメリルローザの背に、ヴァンの片手がぎこちなく回る。
子供をあやすかのようにとんとんと背中を叩かれて、そんな優しさが今のメリルローザには余計に辛かった。
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