9、取引


「――もう来るなって言っただろ」


 日を改めてやってきたメリルローザとヴァンを見た少年は、うんざりとした顔をしていた。

 家の前にいるとまた彼の母親が心配するだろうと、少し離れた場所で待ち伏せしていたのだ。


 無視して通りすぎようとする少年の目の前で、メリルローザは例のイヤリングを揺らした。


「このイヤリング、買わない?」

「はあ? 今さら金払ってちゃんと買えとでも言ってんのか?」


 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てた少年に、メリルローザは不敵な微笑みを投げかけた。


「――この場であなたが買って、私たちに売ってくださる?」


 その言葉に、少年はますますわけがわからないという顔をした。



 *



 ヴァンに浄化してもらったアンバーは、うつくしい飴色をしていた。大自然が生んだその色合いに、「うん?」と首を傾けたのはメリルローザだけでなく、ヴァンとフロウもだった。


「この石、本物のアンバーね」

「……そ、そうよね?」


 フロウが言うからに間違いないのだろう。

 露店で売っているような石は基本的に模造品だ。色ガラスを溶かしたものをそれらしく見せた安物。

 値段が手頃なので、庶民のおしゃれには欠かせないものだし、本物の宝石では出来ないような思いきったデザインのアクセサリーや、色の組み合わせが可愛らしいものだってある。


 昨日の露店に並べられていたのは、見た目にも値段的にも偽物ばかりだったはず。


「……本物が紛れ込んでいたのか。あの露店商は気づかなかったようだな」


 小さなアンバーをつまみ上げたヴァンがそう言った。と、いうことは売ればお金になる。わずかな時間考えを巡らせたメリルローザは「帰りに、広場の露店に寄ってもいいかしら」とヴァンとフロウに伺いをたてた。


「アタシは構わないけど……、そのイヤリングを返すの?」

「ううん、買い取るわ。と、言っても説明がややこしいから、別の商品を買って二倍の金額を払えば、お店側に損は出ないでしょ?」


 釣りはとっとけ、というやつだ。

 アンバーを返した上で買い取りたいと言ったらややこしいし、変に疑われるかもしれない。

 別の商品にアンバーの代金を上乗せして払っておけば、メリルローザの良心も痛まない。もちろん、アンバーの代金は表示通りの金額だ。本物の琥珀だったと教えてやるほど、メリルローザは馬鹿正直ではない。


「ふうん。アンバーを買い取って……どうするのかしら?」

「まあ見てて。あと、叔父さまの協力も必要ね」


 くすくす笑うフロウは楽しそうだ。ヴァンは「お前の好きにすればいい」と返す。


「そうだわ、ヴァン。せっかく何か買うんだったらメリルローザに似合う品を選んであげなさいよ」

「は? 俺が?」

「いいじゃなーい。お祭りの記念よ、記念」


 ねっ、とフロウに同意を求められて、メリルローザはヴァンの表情を窺った。視線がぶつかり合ってどきりとする。


「……別に、お前が嫌じゃないならいいけど」

「え!? 選んで……くれるの?」


 引き受けてくれたことを意外に思いながらも、メリルローザの心は少し浮き足だった。


(記念、か)


 確かに、こんなことでもないとアクセサリーを見立ててもらうことなんてないだろう。


「……じゃあ、お願いしてもいい?」

「文句言うなよ」

「言わないわよ」


 そんな二人の様子をフロウが微笑ましく見守っていた。


 *



 話が飲み込めない少年の手のひらにアンバーを置く。光を受けた飴色がやわらかくきらめいた。


「俺が買ってあんたたちに売るってのはどういう意味だ? 意味ないだろ、そんなの」

「いいえ。そのアンバー、本物の琥珀なの。売ればそれなりに価値がつくわ」


 これが? と少年がまじまじとアンバーを見た。なんなら、グレンの伝手で書いてもらった鑑定書もある。

 売れば価値がつく、といったメリルローザの言葉に、一瞬ぎらりとした欲望がちらついたようだが、それはすぐに諦めへと変わった。


「……もしあんたたちのいうことが本当だとしても、俺が売りに出したって……買い叩かれるだけだ」


 子供相手にまともに取り合ってはくれないだろうということはメリルローザも想像がつく。ましてや、貴族でもなんでもない移民の子供がアンバーなんて売りに出したら、盗みでも働いたのかと疑われてもおかしくない。


「だから、わたしたちが買うのよ」


 にっこり笑ってお札とコインを出した。ここから、元々の売値を引くわね、と露店商が売っていた価格分のコインをメリルローザがポケットに入れる。


「これで、あなたが安く仕入れたアンバーをわたしたちが正しい価値で買い取ったことになるでしょう?」


 もちろん、わたしたちに売りたくなかったらあなたが買い取って終わりでもいいけど、と付け足す。

 彼の母親の瞳の色はアンバーだった。この少年が適当に盗んだ品ではなく、意図を持ってアンバーに手をつけたのだということは想像できる。


 少年は僅かに悩んだようだが、「今は、金が必要だから」と顔をあげた。取引成立だ。

 お金は少年に、アンバーはメリルローザの手に返される。少年は名残惜しそうにアンバーのイヤリングを見つめた。


「……母さんの誕生日プレゼントに、って思って盗ったんだけど。でも、いつかちゃんと……働いた自分の金で買うことにする」

「ええ。それがいいわ」

「あんたたち、変な奴らだな。……でも、……ありがと……」


 どういたしましてと微笑む。これで一件落着だわ、と帰ろうとしたメリルローザとヴァンを少年が呼び止めた。


「あ、あのさ……」

「何かしら?」


 しばらく言いづらそうにもじもじと爪先を見ていた少年は、意を決したように顔をあげた。視線の先はメリルローザではなくヴァンだ。


「……あのさ、兄ちゃんは……人に悪口とか言われなかったのか?」


 ヴァンの黒髪を見てそう言う。


 ヴァンは精霊だ。容姿をどうこう言われたところで彼が気にすることはないだろう。

「ない」とばっさり切り捨ててしまうかな、と思っていたのだが、ヴァンは是とも否とも言わなかった。


「そんなやつ、放っておけばいいだろ」

「…………」

「……自分を、認めてくれるやつがいれば……、それでいいんじゃないのか?」


 声音はそっけないものの、ヴァンなりの優しさなのだろう。少年は「そっか」と短く答えて黙る。その顔はどこかすっきりとしていて、何かしら彼の心に響いたらしい。


(……いいところあるじゃない)


 ヴァンの視界に入らないところで、メリルローザはそっと含み笑いをした。

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