第二章 青い宝石と大叔母の部屋
1、もう一人の精霊
月明かりの中、その神々しい美貌の持ち主はメリルローザの胸元にかかるネックレスに視線を落とした。
「あなたがヴァンの新しい主かしら? アタシはフロウ。よろしくね」
にっこり微笑まれるが、メリルローザが返事も出来ずに固まったままなのを見て「ちょっと? 視えてるんでしょ?」と怪訝な顔をした。
視えているし、聞こえている。
メリルローザは頷いた。
「……あの……、男の人、よね……?」
精霊に対しておかしな質問をしているという自覚はあったが、訊ねずにはいられない。
フロウと名乗る精霊は、詰襟で横に深いスリットが入ったワンピース――
切れ長の瞳の下にある泣きぼくろは色っぽく、長く美しい銀髪はサラサラで息を飲むほど美しい。
が、その肩幅はがっしりとしているし、しっかりと出た喉仏から出る低い声は男性のものだ。だから多分男の人で、……いや、そもそも精霊に男だとか女だとかあるのか……。
フロウは、混乱するメリルローザの額を「めっ」と人差し指でちょんと突いた。
「精霊は性別を越えた存在よ? その質問は野暮ってものだわ」
「…………」
「でも、この格好はアタシの趣味」
語尾にハートマークがつきそうなテンションで、フロウはうふっと笑う。
驚きすぎるとうまく頭が回らなくなるらしい。突っ込みたいことは色々とあったものの、彼(彼女?)の見た目よりも知りたいことはたくさんある。メリルローザは気を取り直して咳払いをひとつした。
「わたしはメリルローザ。……あなたも、大叔母さまの精霊なの?」
「ええ、そうよ。その引き出しの中を開けてもらえるかしら?」
フロウが指さす先は、大叔母の机に備え付けられた引き出しだ。言われるがままに開けると、中にはレースのハンカチでくるまれた何かがある。
そっとハンカチを開くと、中から現れたのはオーバル型にカットされた青い宝石だった。月明かりにかざすと、透きとおった青色の中は少し緑がかっても見える。美しい海の中を覗きこんでいるような色合いだ。
「綺麗……」
「ふふっ、ありがとう。アタシの本体はこのブルーフローライト。蛍石、って言った方が通りがいいかしら」
「こんなに綺麗なのにフロウはアクセサリーじゃないのね」
ヴァンのレッドスピネルのネックレスは、シンプルだがぱっと目を引く存在感がある。このブルーフローライトも、ブローチやネックレスにしたらとても綺麗だと思うのだが……。
「フローライトはね、太陽の光に弱いの。繊細な石だから優しく扱ってちょうだいね」
そう言って、フローライトを持つメリルローザの手をそっと包む。触れる手は大きなごつごつとした手だが、その手付きは言葉通り繊細そのものだ。
「フロウも、ヴァンみたいに浄化の力を持っているの?」
「ううん。アタシの力は『サードアイ』。宝石の存在や、あなたたちが呪いと呼んでいるものを感じとることが出来るの」
呪いを感じとることが出来る。
その言葉にぴくりと反応してしまう。
「メリルローザは、ヴァンと一緒に呪いを浄化しているのよね? だったら、アタシの力が必要かしら?」
フロウに微笑まれるが、メリルローザは返事をするのに躊躇う。
「……わたしは……」
ぎ、と扉が軋む音がして顔を上げると、部屋の入り口にヴァンが立っていた。当たり前だが、フロウの姿を見てもヴァンは驚かない。
フロウはヴァンが入って来る前から気配を感じ取っていたのだろう。「相変わらず過保護ねぇ」とくすくす笑ってメリルローザの手を離した。
「そんなにこそこそ様子を窺わなくても、あなたの主を奪ったりはしないわよ」
「別にこそこそなんてしてない! 部屋に気配がなかったから探しに来ただけだ」
「あら、やあね。それを過保護っていうんでしょ」
フロウはメリルローザの肩を抱いて「ねぇ?」と同意を求めてきたが、ヴァンが過保護だとは思えなかったので曖昧に頷く。ヴァンの眉間に皺が寄ったのを見て、フロウはメリルローザから手を離した。
「それで? ヴァンはまた人間に手を貸してるの?」
「――ナターリエの血縁者に頼まれたからだ」
「やあね、他人行儀な言い方しちゃって。メリルローザのことでしょ?」
「違う。ナターリエの後を継いだのは、その甥だ」
「あら、あの坊やのこと? ちょっと眠っている間に随分時が経っちゃったのねぇ」
しみじみとフロウが言う。坊やとはグレンのことだろう。
「でも、あなたと契約したのはメリルローザなんでしょ?」
「メリルローザはグレンの姪だ。あいつに……騙されて連れてきたようなものだ」
その言葉で、フロウはなんとなく察したようだった。ヴァンとの契約に必要なのは処女の血――グレンではヴァンの主になることは出来ない。
「ああ、そういうこと。つまり、メリルローザは積極的に呪術に関わっているわけじゃないのね」
先ほど躊躇った様子を見せたメリルローザに納得がいったらしい。なんだか、嫌々彼らや呪術に関わっていると思われているようで、メリルローザは居心地悪く身じろぎした。
フロウは人の心の機微に敏いのか、「責めているわけじゃないのよ」と優しく笑う。
「誰だって目に見えないものを恐ろしいと思うのは当たり前だもの。若い女の子が、気味の悪い品を見て喜ぶとは思えないしね」
「でも、大叔母さまはヴァンやフロウの力を借りて、悪い呪いを浄化していたんでしょう?」
人知れず呪いを祓う。誰に褒められるわけでもないのに、とても勇敢で優しい女性だったのだろう。
メリルローザにそこまでの覚悟はない。
家族や友人のためなら怖くても頑張れるかもしれないが、積極的に呪われた品と関わりたいとは思えないのだ。
そう言うと、ヴァンとフロウは何とも言えない顔をした。
「覚悟……ねぇ……」
「メリルローザ。ナターリエは、多分……そこまで深く考えてなかったと思うぞ」
「――え?」
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