17、眠れぬ夜

「いやあ、カードとは意外だったねぇ」


 ヒルシュベルガー邸から戻ってきたグレンは、ちょっと疲れた口調でそう言った。ダイニングルームのソファに身を沈め、片手でシャツの襟元を緩めている。


「叔父さま、ユリアの様子は……どう、でした?」

「ああ。顔に傷を負った、ってひどく取り乱していたけど、鏡を見て何ともないってわかったらまた意識を失っちゃってね。倒れた時にぶつけたのか、頭にこぶは出来てたけど、あとは特に問題なさそうだったよ」

「そうですか……」


 メリルローザと喧嘩別れをしたユリアが、シュピタールガッセで起きたボヤ騒ぎに巻き込まれて倒れてしまったようだ。

 ……というグレンの説明に、ヒルシュベルガー士爵も特に疑問を抱かなかったらしい。


「士爵はカードがあったこと自体気づいていないようだったしね」


 カードはもう燃えてしまったと思っているだろうし、ユリアがわざわざメリルローザに会いに来ることもないだろう。悪い夢でも見たと思って、今日の出来事を忘れてくれるといいと思う。


 つ、とグレンがテーブルの上からカードを取り上げて検分する。メリルローザも確認したが、端のほうが焦げてしまってはいるものの、いたって普通の紙製のカードのように見える。


「……こんな物に呪いがかかっているなんて、思いもしませんよね」


 タロットカードを模したようなカードは、凝ったアラベスク模様が描かれていて、ユリアが手にとってしまうのも無理はないと思う。


「そうだね。簡単に手にすることが出来て、どこでも忍ばせられる」


 グレンはなんてことのないように言ったが、それはとても恐ろしいことだと思う。ある程度、買い手が限定される美術品とは違い、誰にでも手に入れられるということは、それだけ多くの人に危険が迫ることになる。

 それに――


「叔父さま。わたし、呪いって古い物にかけられていると思っていました」


 屋敷に眠る美術品も、例の十字架も、偽物のサラスヴァティの涙ですら、短くない月日を過ごしてきている。その過程の中で数々の不幸を引き起こしてきたという話はまだ納得できるのだが。


「このカード……まだ新しいですよね」


 焦げたカードはあまり劣化しているようには見えなかった。古くても数年前、十数年前といったところか。


「うん。最近かけられた呪いだね」


 グレンも頷く。

 呪術師。ヴァンが言っていたような存在が、この時代にもいるということなのだろうか。


「これ、どうする? 君が持っておくかい?」


 グレンにカードを差し出されて戸惑う。


「売らないんですか?」

「さすがに売れないかな。タロットカード一式ならともかく、一枚だけだしね」


 嫌なら僕が保管しておこうか、と言われて頷いた。呪われていた品と同じ部屋で眠れるほど、メリルローザの心は強くない。それを言ったら、この屋敷は呪われた品だらけなのだろうが……それはそれ。気分の問題だ。



 *



 夜。

 疲れているのにやっぱり眠れず、メリルローザはベッドから身を起こした。


 ユリアとの一件や、例のカード、呪術師の存在と、もやもやとしたものが消化しきれずにいる。


 叔父の養女になる――シェルマン家にとっても、グレンにとっても利益になるからと、まんまと二人の策略にはまったようなものだけど……。なんだかとてつもなく危ない道に迷いこんでしまっているのではないだろうか。


(大叔母さまは怖くなかったのかしら)


 呪いだとか呪術師だとか、これから先も関わっていくことになるのかと思うと、メリルローザにそこまでの覚悟はない。

 ベッドからそっと抜け出すと、カーテンを開けて窓の下を見下ろした。


(ヴァン……いないわね)


 薔薇園に彼の姿がないかと思ったが見当たらない。かといって、ヴァンの部屋を訪ねてまで話がしたいかと言われるとそこまででもなくて。


 薄手の上着を羽織ったメリルローザは、水でも貰ってこようと部屋を出る。


 ふと思いついて、階段のほうではなく、この屋敷の最も奥――大叔母の部屋の方へと足を向けた。屋敷の中は自由に出入りしていいと言われていたが、大叔母の部屋には一度も入ったことはない。


 大叔母はどんな気持ちでヴァンや呪いと向き合ってきたのだろう。


 メリルローザの気持ちを整理するための何かを見つけたくて、そっと足音を殺して廊下を歩く。


 屋敷の主の部屋には鍵はかかっていなかった。ドアノブに手をかけると、ぎ、と小さく木が軋む音がする。開け放たれたままの部屋のカーテンから月光が差し込んでいた。


「ここが……」


 大叔母さまの部屋。女主人の部屋らしく、叔父やメリルローザの部屋よりも広い。

 壁際には中身のぎっしり詰まった作り付けの本棚があり、部屋の中央に置かれた机の上にも本がある。生前のままにしてあるのか、途中に栞が挟んであった。


 サイドボードには色褪せた男女の写真――若い頃の大叔母と……旦那さんだろうか?

 はにかんだ大叔母の顔は、確かに少しだけメリルローザに似ていた。


「あら。あなた、ナターリエに似てるのねぇ」


 メリルローザ越しに写真を覗きこむが背中からかかる。びくっと固まるメリルローザの視界に、長く揺らめく銀髪が見えた。


(まさか)


 ぎぎぎ、とゆっくり振り返るメリルローザの頭の中にヴァンとの出会いがよみがえる。

 あのときも、誰もいなかったはずの部屋に忽然と現れた。だから、また。もしかして。


 思った通り、誰もいなかった部屋の中に――そしてメリルローザのすぐ後ろに、一人の青年が立っていた。叫ばなかったのはヴァンとの前例があるからだ。


 整った顔だちと、月の光を浴びて輝く銀髪。神々しさすら感じる美形の青年は、振り返ったメリルローザを見てにっこりと微笑んだ。



「――アタシが視えるのね?」

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