15、浄化の力


 ***


 ――何よ、メリルローザったら!


 怒りで頬を紅潮させながら、ユリアはブルク門をくぐる。


 背後からメリルローザの声が上がり、ユリアは振り切るようにスピードを上げた。

 ヒルシュベルガー家に帰ったら間違いなくメリルローザは訪ねてくるだろう。後を追いかける彼女を撒くように、脇の小道へと入る。


「はぁっ……はぁっ……」


 息が苦しい。呼吸を整えるために少し休むと、ユリアはそのまま裏通りを歩いた。


 ――ヒルシュベルガー家とシェルマン家は、同じ士爵位の準貴族だった。


 同い年のメリルローザは、昔からユリアと比べられることが多かった。

 貴族の集まりの中で馬鹿にされないようにと神経を尖らせるユリアは、同じ会場の中でメリルローザを見つけると、共に戦う同士のような、ライバルのような、そんな存在として意識してきた。

 メリルローザに負けたくない一心で礼儀作法や勉強を頑張っていたのだ。


 それなのに、知らない間にメリルローザは男爵の養女になっていて、彼女の側にはあんなに素敵な男性もいる。


 メリルローザを取り巻く環境が一変したことに、ユリアは焦りと妬みがあった。


 ――何かほんの少しでも幸運になれることはないかしら。


 父がレントリヒ子爵邸から譲り受けた装飾品の中には可愛らしいローズクォーツの耳飾りもあった。ローズクォーツは恋愛運を引き寄せると言われている石だ。欲しいとねだったが、姉妹の間で争いになり、仲裁に入った母の物となってしまった。


 だったらせめてと、ユリアはローズクォーツの箱の中に入っていたカードを父の目を盗んでポケットに入れた。


 そのカードはタロットカードの「恋愛」のアルカナのような寓意画が描かれていた。

 向かい合う男女と、ハートを象ったアラベスク模様。宝石のおまけにしては凝ったデザインで、良縁を引き寄せるお守りになってくれそうだ。

 父や母は中身にしか興味がないので、付属品のカードがなくたって気にしないだろう。


 そうして、そっと忍ばせたカードは、ユリアに良縁を連れてきた。

 ヴァンという見目麗しい男性が、美術展でユリアにそっとメモを渡して来たときの高揚感といったら!

 側にいるメリルローザではなく、わたしを見初めてくれたのかも、なんて。そんな優越感はあっという間に萎んでしまった。


 あんな風にこそこそ隠れて様子を見て、ユリアがヴァンに好意を持つのを面白がっていたんだと思うと屈辱的だ。呪いだとかなんとか……どうかしている。


(その品、呪われているわ!)


 メリルローザの声を思いだし、ポケットの上からそっとカードを押さえる。


「……何が呪いよ、馬鹿馬鹿しい」


 裏通りを突っ切ったユリアは、貧民層の多い南のエリアシュピタールガッセに来ていた。中年の男性が、背中を丸めて家の裏手でごみを燃やしているのが目についた。


「おじさま、これも燃やして下さる?」


 ポケットからカードを取り出す。


「……ああ。じゃ、入れとくれ」


 どうでも良さそうに生活ごみを火にくべる男に、ユリアは「どうも」と素っ気なく会釈をしてカードを投げた。じり、とカードの端が焦げるのを見届けてから立ち去ろうとした瞬間、


「きゃあっ!」


 ばんっと大きな音が上がり、燃えていたゴミが弾けた。



 *



「何の音?」


 ユリアを追いかけて裏通りの方までかけてきたメリルローザは、荒い息を継ぎながらきょろきょろと辺りを見回す。


「こっちだ」


 息ひとつ乱していないヴァンが、音の上がった方に誘導してくれる。

 間口の狭い家の建ち並ぶ区画で、倒れたユリアと、火が家に燃え移ってパニックになっている男が叫んでいた。


「ユリア!」


 気絶しているユリアの腕や顔が火傷でただれている。


「その嬢ちゃんがゴミん中に何か放りこんだら、いきなり爆発したんだ!」


 近隣住民が何事かと家の外に飛び出し、「水だ」「火事だ」と叫ぶ。人がこれだけいれば消化活動のほうは問題ないだろう。


「メリルローザ、あれだ」


 爆発した時に飛び散ったらしいゴミが道で燃えている。黒いもやに包まれてた紙片は、まわりのゴミが激しく燃えているのにも関わらず原型をとどめたままだ。――間違いない、これがユリアが持っていた呪われた品だ。


「ヴァン、浄化して!」

「ああ」


 ヴァンが手を翳すと、激しく燃えていた炎は収まり、黒いもやが霧散する。中から現れたのは一枚のカードだ。


「これが、呪いの正体……?」


 宝石や装飾品の類ではないことに拍子抜けしてしまう。ユリアが「うう……」と呻き声をあげるのを聞いて、ひとまず呪いの問題は棚上げにした。


「ユリア、大丈夫……」

「……いや……っ! あつい、顔が……!」


 うなされて、またがくりと意識を失う。右の頬と、右腕が赤くなっている。すぐに冷やさなければ――そう思った時、ヴァンとの会話を思い出した。


「ヴァン……。この傷、あなたなら治せる?」


 メリルローザの火傷の跡を消せる、とヴァンは言っていた。ヴァンの顔を窺うと、「ああ」と短く答えた。


「じゃあお願い。治してちょうだい」

「代償は?」

「……ここは人目があるから。屋敷に帰ってからじゃダメ?」


 大勢の人は火を消すために動いていて、メリルローザたちの方を気にしてはいないが、こんな大通りで吸血されるわけにはいかない。ヴァンは仕方がないと息を吐いた。


「その言葉、忘れるなよ」


 ヴァンの手がユリアの頬に触れると、青い炎が現れた。ほんの一瞬激しく燃えると消える。

 青い炎に焼かれた部分はなめらかな肌色に戻っていた。ヴァンが同様に腕の火傷も治していく。


「……すごいわね」


 あっという間の出来事だ。

 きれいになったユリアの肌を見て、メリルローザはほっと息を吐く。あとはどこも怪我をしてなさそうだ。


「やあ、すごい騒ぎになっているね」

「叔父さま!」


 遅れてゆっくりやってきたグレンが辺りを見回しながら言う。火は近隣住民のお陰で燃え広がる前に鎮火しつつあった。


「例のものは見つかった?」

「ええ。ヴァンに浄化してもらったわ」


 グレンにカードを見せる。想像していたものと違ったのか、グレンも少し意外そうな顔をした。


「おおい、その子、大丈夫なのか?」


 消火に当たっていたおじさんが倒れているユリアに駆け寄る。医者を連れてくるかと言われたが、ヒルシュベルガー邸に運んだほうが早いだろう。


「私がヒルシュベルガー邸まで運ぼう」


 グレンがユリアを抱き上げた。


「メリルローザ、ヴァン。ごくろうさま。ひとまず屋敷に戻っているといい」

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