闇夜の訪問者

辻本 浩輝

闇夜の訪問者

 何しろ相手はほうきぼしなのですから、ねえ。――稲垣足穂『チョコレット』


★ ★ ★


 それは、宵闇よいやみの頃。

 スマホの着信音が鳴った。手にとると、電話帳に登録のない見知らぬ番号。放置しておこうと手を下ろそうとした瞬間、スマホから声が漏れてくる。

 うっかり通話ボタンに触れてしまったようだった。

 仕方なしに電話に出ると、どこか聞き覚えのある快活な声。

 卒業以来、何年も連絡がとれていない大学時代の知人――白尾しらおという名の男だった。

清水しみずくん、ちょっと話があるんだ。いま近くにいるから行ってもいいかな?」

 急な申し出に「い、いや……」と口ごもっていると、

「君の部屋でないといけないんだよ」

 と、妙に真剣味のある口調で、白尾はせっついてくる。

 そもそも、どうやってを知ったのだろう。引っ越して間もない、ワンルームマンションの一室。

 白尾とは特に親しかったというわけではない。

 そのとき、インターホンの呼び出し音が鳴った。

 まさかと思い、インターホンの画面を見ると、そこにはスマホを片手にニヤリと笑みを浮かべている男の姿が映し出されていた。

 文字通り色白で華奢な体つきは今でも変わらない、白尾の姿だった。

 指が自然と、オートロックの解錠ボタンを押していた。


「学生時代と変わらないなあ。でも、少しやせたんじゃないか?」と言って、白尾を部屋に向かい入れた。

 が、白尾は問いに答えず、僕の顔をまじまじと見ながら、

「清水はだいぶ、おじさんになってきたな」

 と言う。

 余計なお世話だ。

 白尾はずかずかと部屋の奥に上がり込み、部屋の窓を開ける。

「いい闇夜になりそうだ」

 窓から冷たい外気が流れ込んでくる。今日は、新月の夜だった。

 白尾は闇空を見上げながら、勝手に話を進めていく。

「実は、ある情報を仕入れてね。これを見てごらん」

 そう言うと、白尾はスマホの画面を差し出してきた。

「これだよ、これ」


『わが東洋天文科学研究所の調査によって、以下のことが明らかになった。次の新月の夜にホーキ星が地上に落下する。場所は〈S-81〉地点。更に詳しい落下時刻や落下地点は、目下、計算中である。なお、政府当局はこの事実を隠している。これは我々の銀河宇宙感覚を麻痺させる行為であり、我々が当局に代わって皆さんにお知らせをする次第である』


★ ★ ★


「で、白尾は、このホーキ星が落下するのが今夜だと思っているわけなんだね?」

 妙な迷惑メールだなと思いつつ、冗談で話に乗ってみると、白尾は大真面目な顔をしながら答えてきた。

「そう。それで、僕が計算したところ、落下時刻は22時53分。落下場所が、だ」

 最後の言葉に、僕は耳を疑った。

「ここだって!?」

「ああ。入射角からいうと、そこの窓を開けとけば、この部屋の真ん中に落下するはずだ」

 白尾があまりにもそっけなく言うので、僕はめまいを起こしそうになった。

「ちょっと待ってくれよ。だいたい、それは新手の迷惑メールだろう? それとも、白尾は、その東洋なんとか研究所の一員なのか?」

「は、は、は。そう疑ってばかりでは、この世の中、面白くないよ。僕はただ、少しばかり調査したまでだ。あるルートを使ってね」

「ルートって言ったって……何か怪しいことをやっているんじゃないのか?」

「まあ、そのことについては別の機会にしよう。とにかく、ホーキ星が降ってくるなんて、こんなロマンチックな話はないさ」

 白尾は、スマホにちらりと目をやった。

「まだ大分、時間があるな。清水、近くにお店はあるか?」

「コ、コンビニならあるけど」

「よし、サイダーを仕入れに行こう」と言うと、白尾は早足で部屋を出て行こうとする。

 わけの分からないまま、僕は白尾の後を追った。


★ ★ ★


 窓を開け放つと、いつもよりもまして漆黒の闇と星明かりが飛び込んできた。

 月のない夜である。

 白尾は買ってきたサイダーを二つのグラスに注ぎ、ホーキ星が落下する地点に、くっつけるように並べて置いた。

 そのグラスを真ん中にして、僕と白尾は向かい合って座った。部屋の電気を消して、暗闇の中、その時を待つことにする。外の街明かりが、ほんの少し入ってくるだけだった。

「なあ、白尾。何故にしてサイダーなんだ?」

「理由なんてないさ。ホーキ星ときたら昔からサイダーと決まっている。ほら、あと1分だ」

 僕たちは息をひそめながら、サイダーが入ったグラスを見つめ続けた。

 時折、小さな泡がグラスの底から浮き上がる。


 ついに、ホーキ星が降ってきた。

 部屋一面が明るくなったかと思うと、次の瞬間にはジュワッと心地好い音がする。

 グラスがかすかに揺れた。

「上出来だ。ほら、見てごらんよ。ちょうどグラスが接触しているところにぶつかって、うまく二つに氷がわかれた。さっそく、乾杯だ」

 白尾に続いて、僕もグラスを手にとった。見ると、透明な三角錐さんかくすいの氷が、サイダーに浮かんでいる。


「乾杯!」「乾杯!」


 僕は白尾が一口飲むのを見守ってから、ホーキ星入りサイダーをそっと口にした。

 瞬間、地球が見えた。宇宙船から見たような、青い地球の姿。

 もう一口飲んだ。ああ、今度は月だ。次は火星。次は見知らぬ星。ホーキ星の記憶が見えるのだ。

 サイダーを飲み干して、いっときの宇宙旅行を終えた時、目の前にいたはずの白尾の姿はもうなかった。

 窓から、ひゅうと風が吹き込み、僕は我に返った。

「まったく、突然現れてすぐに去ってしまうなんて、まるでホーキ星のような奴だ」


――了

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闇夜の訪問者 辻本 浩輝 @nebomana

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