14缶目 母と娘と男
「……普通についたね」。
予想外に
「スナック 金剛」と光る古びた看板を酉井は眩しそうに見つめた。
「取り越し苦労だったか……。まあ無事で良かった。退屈な一日でも、それは何事も無く無事に過ごせた一日だってことだからな」。
今日一日で人間とゾンビに二度襲われ、平穏無事とは全く言えない一日の途中である
「とりあえずこの放置車を本来の在り方に戻してくるか……。きっとこいつもそれを望んでいるはずだ……」。
彼は軽くハンドルを叩いた。
「勝手に運転してきた放置車をまたどっかに放置するだけのことを変にカッコよく言うんじゃねえよ ! 」。
「しょうがないだろ。この店駐車場無いし……」。
「駐車場完備のスナックなんて聞いたことねえよ ! 車で来て、ジュースでも飲んでまた車で帰んのかよ ! それだったらファミレスでも行けよ ! 」。
そして木製の厚い扉を引くと、聞き慣れたドアベルの澄んだ音が響き、見慣れた狭い店内が瞳に映る。
十人ほどが座れるカウンターには客はおらず、奥のボックス席にいる四人の客を彼女の母親が接客中だった。
零の母、由美はちらりと入って来た彼女を見たが、接客を続ける。
零も無言でカウンターの中に入ると、再度ドアベルが鳴った。
「いらっしゃい」。
奥から出て来た由美は満面の笑顔で、ドアをくぐった酉井を迎える。
そして、ちょっとだけボックスの接客お願いね、と零に小声で告げて、カウンターに入り酉井に熱いおしぼりを差し出した。
その間に零は無言で奥へと向かう。
古いけれども上質なソファーに深く腰掛ける男が三人、女が一人。
二人は良く見る顔だが、二人は初めて見る顔だ。
「おう、零 ! こちらは都会から来た刑事さん達だ ! お前も都会に連れていってもらえ ! お母さんのことは心配するな ! 俺がちゃんと世話するから ! 」。
赤い顔の中年男性が禿げた頭をぎらつかせながら言った。
「日野さん……もう大分飲んでるね……」。
零は苦笑しながら空いた中年男のグラスに水割りを作りながら、母と酉井のやり取りに耳を傾ける。
「酉井さん、今日も晩御飯まだなんでしょ ? 」。
そう言って由美は酉井に近所の中華料理屋のメニューを差し出す。
店で料理は提供しないが、近所の店から出前を取るというスナックでは良く見る光景だ。
酉井がもはや暗記しつつあるメニューを眺めている間に、彼女は彼のために業務用ストロング酎ハイの紙パックを中に氷が美しく積み上げられたグラスに傾ける。
「……今日は親子丼にしようかな」。
瞬間、店が揺れるほどの怒号が響いた。
「貴様 !! 母と娘でやってる店で親子丼を頼むとは !! なんて卑猥な野郎だ !! 逮捕してやる !! 」。
「日野さん……そこに引っかかるあんたの発想がよっぽど卑猥だよ」。
零の呆れた声。
場を収めるためか、由美は奥へと向かい、入れ替わって零が酉井の前に立つ。
「お前もなんか飲めよ」。
「いいの ? ありがとう酉井さん ! 」。
この店では店の女の子に飲み物を飲ませる度に六百円が加算されるが、それはそのまま女の子の収入となる。
二人は軽い音を立ててグラスを合わせた。
「……母さんが無事で良かったけど……さっきのゾンビみたいなのは一体なんだったんだろうね…… ? 」。
「さあな……」。
酉井はグラスを傾けてから、ふいに何かを思い出したようにカバンを漁り始める。
そして取り出されたの旧式の握力計のような器械。
「あ、それさっきの番組で使ってた
「『聖水』のおまけでついてきたんだよ。暇つぶしに使えそうだったから持って来たんだ。せっかくだからお前を計測してやるよ」。
そう言って酉井は手にした道具の先端を零に向ける。
しかしその針はピクリとも動かない。
「……壊れてんの ? 」。
「いや、お前に聖属性がないんだろう。きっとお前は火属性だな……。すぐヒステリックに感情を爆発させるし……タバコ吸うし……」。
「あんたの中の火属性とやらがロクなもんじゃないのだけは良く分かったよ」。
零の言葉に取り合わず、酉井は計測器をカウンターの上に置いて、つまみとして用意された駄菓子を一つつまむ。
「あ、そういえば注文の電話まだだった ? 今するね」。
零が店の電話に手を伸ばした時、計測器の針が動いた。
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