12缶目 Light Rising in The Starry Sky



 がまぐちのように大きく口が開かれた茶色のドクターバッグのありえない内部に、れいは固まったまま。


 彼女の時が止まっても、彼女以外の全ての存在は動きを止めはしない。


 いわば逆時間停止能力者のように一人だけ動かない彼女の周囲の状況はさらに移り変わっていく。


 ガサリガサリと草の海が波立ち、ゆっくりと立ち上がる者達。


 その姿はどう見ても生者せいじゃのそれではない。


 ただ一つ救いであったのは、現在、酉井とりいに襲い掛かっているゾンビのようにアグレッシブな動きではなかったことだ。


 彼らは、あるいは臓物をぶら下げながら、あるいはちぎれかけた腕をそのままに、あるいは顔から眼球を垂らしながら、零に向かってゆっくりと歩いてくる。


「あ……え…… ? 」。


 零が自らにかけた時間停止状態はまだ解けない。


 それを見た酉井はゾンビ女と自らをへだてている彼女の口に突っ込んだストロング系酎ハイのロング缶の底を押さえ持つ手を思い切り回転させた。


 強力な炭酸をその内部に収める円筒形の缶はゾンビの咬合こうごう力にすら耐えていたが、そこに回転までが加われば話は別。


 ゾンビの歯にその身を削り取られて、中味をその口内にぶちまけた。


 柑橘系ポリフェノールが油脂を洗い流す切れ味が売りのドライタイプのストロング系酎ハイが、ゾンビの口の血を洗い流しながら、体内に注がれていく。


ぐらり、と今まで親に欲しいものを買ってもらえずヒステリーを起した高齢ニートのように酉井に向かって両の手を振りまわしていたゾンビ女が揺らいだ。


「……ロング缶、500mlに含まれるアルコール量はテキーラのショット 4 杯分に相当する。それを一気に飲めばただではすまない…… ! 」。


 そう言い放つと、酉井は既に両手をだらりと下げたゾンビのひたいを軽く押す。


 ばたりと草むらに仰向けとなってゾンビ女は倒れた。


「……死者まで酔わせるなんて、この酒どうなってんの !? というかこんなの飲んでて私達大丈夫なの !? 」。


「大丈夫だ……。俺達だって社会的には何の生産性も無い死者みたいなものだ……」。


 酉井はとても優しく、ようやく時計の針が動き始めた零に微笑む。


「一緒にすんじゃねえよ !! 私は一応働いてんだからね !! 」。


 怒鳴りながら、零はドクターバッグから赤いリボンのついた聖水の瓶を取り出し酉井に向かって放った。


「こっちじゃない !! さっき使ったのもそうだが、これはおまけでついてきたクリスティが祈りを込めた『聖水』だ !! リボンのついてないのを !! 」。


「わ、わかったよ !! 」。


 零は改めて何もついていない「聖水」の瓶を製作者である太ったガマガエルのような司祭の笑顔を思い出しながら投げた。


 それを受け取った酉井は躊躇ちゅうちょなく倒れたままのゾンビに注ぐ。


 瞬間、光が弾けた。


 思わず目を閉じた零が再び目を開けると、ゾンビ女から一筋の青い光が満天の星空に向かって伸びている。


 まるで腐った肉体に閉じ込められた魂がようやく向かうべき場所への道を開かれたかのようだった。


「……綺麗…… ! 」。


 こんな状況なのに、零は思わず感嘆の声をあげる。


 ばたり、ばたり、と何かが草むらに倒れこむ音がした。


 見るとゆったりとした動きで彼女に迫りつつあったゾンビ男達だ。


「……『聖水』の余波か……それとも動きの速いのを倒すと連動して倒れるのか……」。


 酉井がぶつぶつ言いながら倒れたゾンビ女、いや女性の遺体を検分している。


 やがて知りたいことを知り終えたのか、それとも諦めたのか、彼は大きく息を吐いてから手にしたクリスティ謹製の「聖水」をハンカチにかけて濡らし、遺体の口元の血をぬぐってから、大きく見開いたままの目を片手でそっと閉じてやった。


「……何かわかった ? 」。


 座り込んだままの零が酉井に問う。


「いろいろ推測はできるが……一つ確実なのはこいつよりもストロング系缶酎ハイの方が役に立つってことだな」。


 酉井は苦笑いしながらリボンが巻かれた「聖水」の瓶を掲げてみせた。


「あの貞淑ていしゅくな感じの修道女が祈りを込めた『聖水』よりもあんな外見からしてセクハラ案件になりそうなオッサンが祈った『聖水』の方が効果があるなんて、なんか納得できないな……」。


 首をひねる零。


「フ……若いな……」。


「年齢関係ある !? 今の !? ……そんなことより酉井さん、このカバンはなんなの ? まるで内部が別空間というか……まるで四次元ポケットみたいじゃない」。


 零は傍らのドクターバッグを見やる。


「ああ、俺は今まで何回かあの通販番組を利用しているからな。そのカバンもあのエルフと取引してもらったんだ」。


「なんだ……最初からあの番組が本物だって知ってたんなら言ってよ……。ま、言われても信じなかっただろうけど……」。


 彼女は溜息を吐いて続ける。


「……で、このカバンは何と交換したの ? 」。


「確かそれは……フグ五匹とトリカブト二十株だったかな……」。


「うん、それ絶対あっちの世界で殺人事件起きてるよね ? フグ毒とトリカブトを中和させるトリック使ってるよね ? 」。


「そんなわけないだろ。ただカバンと一緒に送られてきた手紙には『これで内乱が起こる前に国を治めることができます ! 』って書いてあったけど……」。


「うん、暗殺だね ! 確定 ! 」。



 どこか投げやりに零は吐きすてた。



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