異世界アイテム通販生活

遊座

第一章 聖水

1缶目 幽霊屋敷

へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。



創世記 第三章




 れいは後悔した。


 開店まで時間があったから、ネットの地元情報専門の掲示板の書き込みにつられて、山の心霊スポットに一人で来てしまったことを。


 スマホがかなり強力なWi-Fi電波を感知したため、噂通り人が住み始めたであろう日本家屋に近づき、敷地内にある扉の壊れた大きな蔵の中へ興味本位で入ったことを。


 心霊スポット突撃で本当に気を付けなくてはいけないのは、幽霊や悪霊ではなく、そこにたまたま居るかもしれないたちの悪い人間だというネット上の自称玄人くろうと金言きんげんを無視したことを。


「おい ! お前、脚を押さえてろ ! 」。


「早く服脱がせよ ! 」。


 限られた青春の時間を自らの品性をおとしめることに全力投球した結果であろう汚い大声が暗い蔵の中で反射して大きく響いた。


「……お前ら ! 変なことしたら噛みちぎってやるからな…… ! 」。


 頬を赤くした、と言っても腫れあがってだが、女が精一杯の抵抗で、生まれながらではないことが天辺てっぺんの黒色でわかる長い金髪を振り乱して叫んだ。


 下卑げびた笑い声が、それにこたえた時、開きっぱなしの蔵の扉から入る赤い赤い逆光の夕日に、影が差した。


 人型で、手に何か長いものを持っている。


 誰だろうと構わない、彼女は逆光で顔も見えないその人に全ての命運を託すしかない。

「助けて !! 」。


 その声にまずれいが助けを叫ぶ原因となった男達が反応した。


「なんだテメエ ! 痛い思いしたくなけりゃ、さっさとどっか行けよ ! 」。


 彼女を襲うのとはまた違った暴力的なアドレナリンが男達の脳内に分泌され、いきり立つ。


 プシュ。


 それに応えたのは金属製のプルトップが開けられる軽い音と、それによって封印されていた柑橘類の果実の爽やかな香りだった。


 そして零にとっての救世主メシアは手にもったロング缶を傾けた。


 ゴクゴクとなる喉。


「ふざけてんのか !! 」。


 そこから殴る蹴るの暴行が始まった。


(弱ええぇぇぇぇぇええええええ ! ……でもこの隙に…… ! )。


 むき出しの地面に転がったスマホを拾い上げて、零は叫ぶ。


「もしもし警察ですか ! すぐ山の心霊スポットの家まで来てください !! 強姦未遂です !! 」。


「お、おいヤバイぞ !! 」。


「クソ !! 早く逃げんぞ !! 」。


 男達は慌てて蔵から出て行く。


 残されたのは零と、空になったロング缶を持った男だけだった。


「……なんで俺の家の敷地内で強姦されかかってんだ ? 実は南米並みに治安の悪い町なのかここは……。やっぱり引っ越してくるんじゃなかった……」。


 日が沈みかけ、弱まった逆光とその声から零はただただ殴る蹴るの暴行を受けただけだが、結果的に彼女助けてくれた男が知り合いだと気づく。


「……酉井とりいさん !? ここに住み始めた人って酉井さんだったのか……。殴る蹴るの暴行を受けてたけど……大丈夫 ? 」。


「問題ない。世界はどう認識するかによってかたを変える。俺は『殴られた』とは認識していない。だから殴られてないんだ。全ては一缶で人間の認知機能を狂わせてくれるこいつのおかげだ」。


 一ヶ月ほど前から彼女の母親の店に通い始めた風変りな男は「9%」と高いアルコール度数がでかでかと記されたストロング系酎ハイの空き缶を掲げてみせる。


 何わけのわからないことを、と店と同じ風に言おうとして、男の顔がまるで傷ついていないことに気づいた零は、沈黙した。


「お前こそ大丈夫か ? ちょっと待ってろ」。


 そう言うと、男は蔵から出てすぐに戻ってくる。


 新しいストロング系酎ハイの缶と清潔そうな白い布を抱えて。


 プシュっと軽快な音がして、中味が布に浸される。


「この高濃度のアルコールで消毒すれば大丈夫だ。少しみるかもかもしれんが、我慢しろ」。


 レモンの酸味あふれる香りが彼女の頬に優しく触れる。


 行為自体に医療的な効能があるかどうかはともかく、その心遣いは今の彼女にみた。


「……少し家で休んでいけ。どうせ今日も店に行くつもりだったから、送ってやるよ」。

 そう言って、男は人懐っこく笑った。


「わかったよ。それにしても本当にここに住んでんの ? 」。


 蔵から出て零の第一声はそれだった。


 まるで寺院のような参道の先に大きな玄関が見える。


「ああ。格安どころか、逆にこの家の名義を俺に変えるだけで金までもらえたぞ」。


「……噂は本当だったんだ。宗教団体が建てた修行道場だけど、その教祖と信者が集団自殺してからは、そこを手に入れた人はもとより親類縁者まで死ぬ最凶の心霊スポットになったって……だから不動産屋はお金を払ってでも引き取る人を探してるって……」。


 零は強張った顔で、少しだけ男に身を寄せる。


 やがて旅館のように大きな横開きの扉をくぐり、広い玄関に入る。


 百人分くらいありそうな備え付けの靴箱の上には、銀と黒の下地に鮮やかな果実が描かれたストロング系酎ハイの空き缶に一輪の菊がいけられていた。


「……ひょっとして献花のつもり ? 」。


「いや。あまりに殺風景だったから」。


 どう見ても霊を挑発しているとしか思えないレイアウトに零は溜息をつく。


「……こんな冒涜ぼうとく的なことしてる酉井さんが無事なんだから、ただの噂でしかなかったのかもね」。


 ドン。


「えっ ? 」。


 玄関から左手に向かって続く長く暗い廊下の奥で、音がした。


 ドン……。


 ドンドン……。


 ドンドンドンドン !!


 誰かが最初はゆっくり、それから全力疾走で廊下を駆けてこちらに近づいてくる音がした。


「イヤアァァァッァァァアアアアアアア !! 」。



 パシンっと何かが弾ける音がして、足音は消える。


「……家鳴りがひどくてな」。


「どう聞いても人が走ってきた音じゃない !! 絶対幽霊だって !! 」。


「だとしても問題ない。幽霊ってのは酒に弱いんだろ ? 」。


 そう言って男はストロング系酎ハイの缶を傾ける。


「それは日本酒とかのちゃんとしたお酒の話じゃないの !? 」。


「何を言っているんだ。これは神の禁を破って禁断の果実を口にして智慧を得たせいで楽園を追放された人間を罪のない状態に戻す神の恩寵おんちょうとも言うべき酒だぞ ! 」。


「ただ速攻で酔っぱらって智慧もなにもない前後不覚の酩酊めいてい状態になるだけじゃない ! 」。


 怒鳴りながらも、零は男の側に身を寄せる。


 もちろん恋心ではない。


 恐怖からだ。


 二人は広い右手に続く廊下を歩いて、明かりの漏れる一室の障子戸を開けた。


 そこは広い畳敷きの部屋で、それに見合わない小さなちゃぶ台が一脚、それから敷きっぱなしの布団と、壁際には大きめのテレビと小さな冷蔵庫があった。


 男はその冷蔵庫を開けて、当然のようにストロング系酎ハイの缶を二つ取り出し、一つを零に差し出した。


 デカデカと記された「 9 % ! 」の文字。


「……もっとアルコール度数の低い奴はないの ? 」。


「こうすれば良い」。


 男はくるりと缶を引っ繰り返して、再度零に手渡す。


「…… 9 %を逆さにしても 6 %になるわけねえだろうが…… ! 」。


 まるでマジシャン芸人が縦じまのハンカチを一瞬で横じまのハンカチに変えてしまうような手口に零は激昂げっこうしながらも諦めてプルトップを開けた。


 ガツンと瞬時にくるアルコールの激励にも似た衝撃と、新製品のメロンの不自然な甘さが疲れた身体に染み込んでいく。


「……そうだ。つらいことがあった時はこれを飲めばいい。世界が変わるぞ……」。


 そのあまりに優しい声に、零が何か反論しようとした時、異変が起きた。


「……アルコー王国から皆さんにお伝えしています ! 今日の商品は『聖水』です ! 」。

 電源をつけてもいないテレビから、突然音声が流れた。


 そして画面に映っている女は、人間ではなかった。





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