第29話
いよいよ、高校準備講座も今日が最終日となった。
思えば、去年の夏に始まった入試対策講座に始まり、高校の最初に勉強する内容の先取りを行う高校準備講座まで、途中くじけそうになる生徒も何人かいたが、講師陣の見事なチームワークで、落ちこぼれそうな子を献身的に面倒をみて、結果ひとりの落伍者もなく、ひとりの第一希望不合格者も出さず、この日を迎えることができた。
俺の最終授業は20:30から21:20の英語Ⅰだった。
もちろん彩子はこの授業に参加している。彩子は入塾時の英語偏差値が50前後だったのに今では73にまで向上した。三科目平均偏差値は69。学校で三本の指に入る優等生である。
こういう教え子を持ったときの俺の感慨はひとしおだ。
しかし、御法度の相思相愛関係ができてしまった。
感慨ひとしおの中にピリリと辛いスパイスが効いている。だけど、俺は後悔などしていない。彩子の為に辛い仕事もやり遂げられたし、彩子の為にテキストを作り続けることができた。生徒を暖かい目で叱ることを覚えるようになったし、生徒の本音を引き出すこともできるようになった。その上、塾長から
「来年度校舎を1つ新規開校する。その教室長になってもらいたい」
と言われた。
彩子のおかげで俺は一段も二段も立身出世することができた。
彩子も霞ヶ丘高校に進学する。目を瞑っても入ることができるから考え直してと懸命に諭したのだが、彩子は頑として譲らなかった。
4月から俺と彩子の新しい門出が始まる。
俺は新校舎の教室長として。
彩子は霞ヶ丘高校の生徒として。
彩子は12月の段階からこう言っていた。
「高校に入っても、丈ちゃん、私に英語教えてね」
うちの塾は、高校生は基本的にマンツーマンの個人指導の形式を取っている。高校によって、さらには同じ高校でも担任の先生によって、教科書が違うからだ。
俺は新校舎で彩子を教えることになるがそれでいいか尋ねた。彩子は二つ返事で快諾してくれた。
最後の授業が始まる。
俺には1つの作法があった。
一期一会
俺に教わることになったことも、
今日を最後に皆が巣立っていくことも、
高校生になっても俺に教わることになることも、すべては一期一会。
みんなでそれに感謝しよう!
始まりに、
「よろしくお願いします!」
と言うから、それに続いてみんなも
「よろしくお願いします!」
と言ってもらいたい。
そして、授業が終わったら、先生はみんなに
「ありがとうございました!」
と言うから、それに続いてみんなも
「ありがとうございました!」
と言ってもらいたい。
「では、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
何だろう、この一体感は。俺は英語を通して、生徒の成長を支えてきた。教えることがゴールではなかった。教えることがゴールの奴は生徒から締め出しを食らってプロ講師として長続きしない。
勉強に躓いた生徒を見かけたらすぐさま肩に手を乗せて助け船を出す。でも躓いているかどうかなんてただ講義をしていても表面化しない。だから机間巡回するし、小テストを行う。生徒の成長具合をイメージしながらテキストを作る。だから、俺のテキストは一回限りの使い捨て。でも、そこに価値がある。
そういう信念で突っ走ってきた
問題演習のパートになった。早速机間巡回を始めた。と、背後に視線を感じて振り向いた。彩子だった。彩子は、いつになく何倍も目がトロンとしていた。圧巻ですと目が語ってた。
成績をなんとか維持することに成功した生徒(人それぞれ得手不得手がある。成績維持が成功のケースはある)、彩子のほかにも格段に実力を伸ばした生徒、俺の授業に必死に食らいついてきた生徒、一人ずつ見て回った。
時間になったので、答えを言った。質問を受け付けた。これも俺のやり方。合っているか間違っているかはどうでもいい。何故、そういう答えになるのかを第三者に言えないとダメ。何故その答えになるのか質問の場で確認してください。と。
次々と生徒たちがその答えになるプロセスを説明していった。ほかの者はその説明を聴いて咀嚼する。
授業終了まであと二分となった。途中、泣き出す生徒がいた。
俺は生徒一人ひとりを眼で追った。そして、
「ありがとうございました!」と言った。
ちょっと間があって、目を輝かせた生徒たち全員が、
「ありがとうございました!」と返してきた。
このとき、俺と生徒たちの間に、100万ボルトの電流が流れ、教室がコンサート会場用のスピーカーのごとく、大きく震えた。
サイコーだぜ!
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