洗濯学入門
山桜桃凜
発刊の辞
〈着物〉は、「着用」という作用のもとで一定時間を経過させ、「脱衣」という工程を行うことによって〈洗濯物〉に変換することができます。この一連の作業を水先ヨウは「着服」と呼びましたが(水先、1999)、これはこの一連の変換行為のある種の侵襲性というものをよく表していると言えるでしょう。逆に、〈洗濯物〉を〈着物〉にするには「洗濯」という工程を行う必要があります。言い換えれば、〈着物〉は「着用」によって《洗濯可能性》を獲得する、ということです。かつては、衣服の機能といえば「着服」であって、「洗濯」は循環を維持するための従属的な作用として捉えられていましたが、現在では「洗濯」こそが衣服の本来的な作用だと捉えられています。この転換は一般に〈洗濯槽のドラム的転回〉と呼ばれています。
ところで、〈洗濯物〉の保管には[洗濯かご]という担体が使われます。〈着物〉は「着服」の際に利用しやすいよう、[タンス]や[ワードローブ]で担持する必要があり、余分な空間を多く必要としますが、[洗濯かご]ではそのような整理をする必要がないため、効率よく衣服を担持することが可能です。ただし、近年では、〈ハンガー〉の普及によって担持の手段にも変化が見られます。この一連の新しい動向については第11章で扱っています。
「着服」と「洗濯」の関係についてより詳しく説明しましょう。「着服」と「洗濯」は可逆的に起こすことができますが、「着服」では〈身体〉が媒質として利用されますから、〈身体〉に影響を与える恐れのある「洗濯」をその状態で発生させることは現実的ではありませんでした。しかし、八月兄弟、特に兄の八月槽の努力によってなされた〈脱水身体〉の開発(2021)、およびそれに引き続く〈洗濯身体〉の開発(2024)によって、「洗濯」と「着服」を同時に行うことができるようになり、〈着物〉と〈洗濯物〉に量的な視点が導入されるようになりました。従来の素朴な二元論を“脱水した”ことによって、まさしく近代科学としての洗濯学は始まったのだとも言えます。
本書では、複雑で奥深い洗濯学の世界に分け入る読者のために、なるべく記述が体系的となるよう心がけています。そのため、歴史的背景をある程度捨象した形になっている場合も多くなっています(例えば、フソーの《裏返しの靴下モデル》(Hsaw、2028)には、彼の《後期洗い張り派》としての出自が深く関わっていますが、今回はコラムで簡単に触れるに留めています)。
最後には分野別に整理された参考文献のリストを掲載していますから、読者はぜひ自分の興味に応じてさらに学習を進めてください。本書がそのささやかな柔軟剤となれば幸いです。
2079年9月3日 コインランドリーにて
洗濯学入門 山桜桃凜 @linth
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