それでも朝日は昇る、世界は廻る。

篠槻さなぎ

それでも朝日は昇る、世界は廻る。


「午前4時38分。ご臨終です」


 まだ高校生で人の死に触れることのなかった瑠奈は、その言葉を聞いて目の前が暗くなった気がした。


 姉が死んだ。

 薬物依存症の人が車に乗って、起こした事故に巻き込まれた。


 心電図モニターからは、ずっとフラットになってしまったピーという電子音が鳴り続けている。

 ナースは心電図を計るパッドを姉の身体から剥がして、頭に白い布をかけた。


 隣では、瑠奈の義兄となるはずだった――姉の婚約者が崩れ落ちた。

 両親は、二人で支え合って、肩を震わせて涙を流している。まだ、若いのに、というナースのひそひそと話をする声が耳に聞こえる。

 瑠奈は現実を受け止められない。でも、姉が死んだことは確かだった。


 なんせ、目の前に、自身の亡き身体に寄り添う、姉の幽体があるのだから。


 瑠奈には昔から見えてはいけない幽霊が見えていた。それらをいつも無視して景色のように眺めている瑠奈だったが、今回ばかりは無視するわけにもいかない。


「姉さん、里奈姉さん!」

『瑠奈ちゃん、どうしたの?』

 姉は瑠奈の呼びかけに振り返って答える。その身体には白いワンピースに包まれていて、手入れの行き届いた髪をなびかせて微笑む姿は、まるで生きているかのよう。

 

 でも、幽霊らしく、その足は消えていた。


『瑠奈ちゃんはすごいね。本当に死んだ私が見えるんだ。……あ、ここでは話しにくいか。だったら屋上行こう! 屋上! 私、日の出が見たい!』

 死んでも朗らかな姉にため息をつきながら、瑠奈は両親と姉の婚約者に一言告げて、立ち去った。


 屋上に出ると、大量の物干し竿が置いてあった。姉は身体に波紋を揺らしながら物干し竿に身体を突き抜けさせて、進んでいく。

 そんな芸当ができない瑠奈は身をかがめて通っていく。

「ねえ、姉さん。どうして、そんなに朗らかなの?」

『んー?』

 姉は生きている人間なら怖くて多くの人が座れない屋上のへりにちょこんと座って楽しそうに日の出を待つ。

『んー……死んじゃったけれど、後悔はないから』

「後悔、ないの?」

その言葉に、瑠奈は驚く。

『未練はあるけれど。後悔はないかなー……。確かに、結婚とか、子供が欲しかったとか。色々とやりたいことはあったけれど、後悔はしてないなあ、うん』

「どうして……」

 その瑠奈の言葉に姉は得意げになって微笑む。

『せいいっぱい、生きたから』

「せいいっぱい……」

『うん、瑠奈ちゃんは、私が学校に行かなくなったの、覚えている?』

 突然の話題展開に瑠奈は首を傾げながらも瑠奈は答えた。

「うん。だって、行く意味がないから行かないんだって……聞いた」

『うん、そう。だって、行く意味が本当に分からなかったから。私はしたいことを自分でするの。せいいっぱい生きたいから、自分で決めるの。人生は、選択ばっかりだった。その選択は自分でするんだから、普通なら、とか本当なら、とかって言う縛りで、選択を狭めたくなかったの。だって、自分のその時の最善を、選びたいじゃない』

「だから、学校に行かなかったの?」

『うん』

「最善。なら、今回の事故も、最善だったの……? 婚約者を守る、ことが」

『うん』

 義兄になるはずだった姉の婚約者も、怪我をしていた。だが、姉のように重い怪我ではなかった。それは、姉が婚約者を守ったからだった。

「自分が死んじゃうのに? それが最善だったの? 死んじゃったら意味ないじゃん!!」

『でも、そこで庇ってなかったら、私は最善を選べなくて、ずっと後悔していたと思ったから。それに、ね……』

 姉はもじもじと手を合わせて少し照れた様子でこちらをちらり、と見てくる。

「なに」

『愛しているから、あの人を。悲しませることになるけれど、愛していたから。もっと、生きて欲しいから。だれかと、私以外の誰かと、生きていれば、幸せになるチャンスはあるじゃない』

 その言葉に瑠奈は思わずカッとなる。

「姉さんだって! あの人を庇わなければそんな未来があった!」

『私はダメよ。ダメ。あの人と違う人と幸せになんかなれない。だから言ったでしょう? あれが私の最善だって』

「でも……私を、置いていかないでよ!」

 姉の言葉に瑠奈はポロポロと涙をこぼす。


 初めて泣くことができた。初めて悲しむことができた。


 子供のように唸りをあげて号泣する瑠奈を姉は微笑んで見つめた。

『ありがとう。瑠奈ちゃん。未練の中には、あなたえお置いていくこともあったのよ』

 そこで暗闇に呑まれていた世界に、一筋の光が差し込む。


 朝日だ。

 そこで瑠奈は残酷な現実に気がついた。瑠奈の見識では、幽霊は、日の光に当たってしまえば光に浄化されて消えてしまう。昇天してしまう。

 それをいつか姉には話したことがあった。だから、きっと朝日が見たいなんて言ったのだろう。

 ――天へと召されるために。

『瑠奈ちゃん』

「姉さん、待って……いかないで!」

 子供のように駄々をこねる瑠奈を見て、姉はそっと微笑む。


『瑠奈ちゃん、大丈夫よ。見て、世界を』

 身体がどんどん薄くなっていくのに、姉は微笑んだままだ。微笑んだまま、こちらを見つめていた。


 瑠奈は目を開けて、姉とその向こうに透けている太陽を見る。

「どうして……」

『瑠奈ちゃん。人が死んでも、悲しい事や辛いことがあっても、朝日は昇るのよ。世界は廻るの』

「姉さん……」


 その言葉は、残酷なように思えた。そして、その気持ちが伝わったのか。姉はうん、と瑠奈に頷いた。


『それは、変わらないから、残酷なの。でも、それが私は美しいと思うわ。せいいっぱい生きられば、きっとそんな残酷さも薄れるほどの、世界の優しさを知って、幸せを積み重ねられるの。だから、前を向いて。私がいなくても、大丈夫。私はいつでも、大好きな瑠奈ちゃんやお父さんやお母さん、それに……愛したあの人を見守っているわ』

「姉さ、……!」


 消えゆく姉に、手を伸ばした。

 でも、その肩に触れることはできず、光の粒へと姉は融けていく。


「私っ!」


 瑠奈はせいいっぱい叫んだ。

「私! せいいっぱい生きるわ! だから見ていて! 姉さん、私も! 愛してるっ! 大好きだよ!!」

 その言葉に姉は笑って。


 あの人に、よろしくね。先に死んでしまって、ごめんなさいって。


 日の光に浄化された姉はそう残して、天へと昇って行った。

「うん……」

 滂沱の涙をこぼしながら瑠奈は頷く。

「分かったよ、姉さん」


 その場に残ったのは涙にぬれる少女と。


 変わらずに世界を照らす太陽と、突き抜けるほどに朝日に照らされる空だった。

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それでも朝日は昇る、世界は廻る。 篠槻さなぎ @sanagi2824

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