間宮渚 —5 君が目覚めるまでは側にいさせて

 今夜も渚は眠れない夜を過ごしていた。祐樹から与えられたロフトの部屋でネットの求人サイトを検索している。

「う~ん・・・。今昼夜逆転の生活になってるからやっぱり夜の仕事じゃないと無理だよなあ。」

カチカチとマウスで求人サイトを閲覧しながら渚は先ほどの祐樹との会話を回想していた。



「お前・・・今の話本当なのか?」

渚は信じられないと言う目で祐樹を見ている。


「ああ、本当だ。」


「だってお前たち出会ってまだそんなに経っていないんじゃないか?」

渚の声が何故か上ずる。


「時間か、別にそんなの関係無い。一緒にいるとすごく楽しいし、安心するんだ。だから付き合わないかって告白した訳だし。」


「う・・・。だ・だけど・・。」

渚が口ごもると祐樹が不思議そうに言った。


「何でだ?お前もしかして反対してるのか?別に千尋はお前にとっては興味が無い女だろう?それとも、ひょっとしてお前も彼女の事好きなのか?」


「ば・馬鹿言うな!いいか、俺の好みは派手なタイプの女なんだ。後腐れなさそうな。ああ言う女は面倒臭いに決まってる!」


「随分むきになって反論するな?」


「別にむきになんかねーよ。で、返事貰ったのか?」

わざと何でもないように渚は尋ねる。


「いや、まだだ。いきなり彼氏彼女の関係になってくれって言われても困るだろう?とりあえず、返事はすぐじゃなくていいって伝えてあるよ。でも前向きに検討して欲しい事は言ってあるけどな。」




「はあ~っ」

渚は深いため息をついた。何故こんなにも千尋の事が気になって仕方が無いのだろう。きっと毎朝自分の夢に出て来るからに決まっている。早く俺の中からアイツが完全に消えてくれない限り、夜に眠る事も出来ないんじゃないかと不安な考えが頭をよぎるばかりだ。


「くそっ!イライラする。」

渚は下で眠っている祐樹の顔を上から見下ろした。祐樹は寝息をたてて眠っていた。

「人の気も知らないで気持ちよさそうに寝やがって・・・。」

だけど、仮に祐樹と千尋が付き合うようになったとしたら自分は冷静でいられるのか?

「多分、無理かも・・・な。」

その時が来る前に、早めに仕事を決めて次の住む場所を決めようと渚は思うのだった。



 

 桜が散り始める頃—

里中の元に1本の電話が入った。その日、たまたま仕事が休みだった里中はすぐに電話に応じた。

「はい、もしもし。」


「あ、里中さんの携帯ですか?」


「はい、そうですけど・・どちら様ですか?」


「あ~、そうですよね。覚えていなくても無理は無いかもしれないですねえ。私は青山千尋さんに対するストーカー事件を担当していた警部補の沢口と言います。」


「あ・・・あ~っ!すみません!名前覚えてませんでした!」

里中は誰もいない部屋なのにベッドの上で正座をして頭を下げた。


「ハッハッハッ。いや、いいんですよ。こちらも名乗っていなかったんですから。名前知らなくて当然です。ところで、今日は里中さんに大事な話があって電話しました。」


「大事な話・・ですか?」


「はい、実は長井が北陸にある実家に戻った後も向こうの警察署に長井の様子を監視してもらっていたんですよ。そこで長井の記憶が元に戻ったらしいと聞かされました。」


「え?本当ですか?」


「ええ、それで長井の記憶が戻った後に一度だけ事情徴収をした事があったらしいです。青山さんの自宅に侵入後、大きな犬に追いかけられて逃げまどっているうちに歩道橋の下に落下してあのような身体になってしまったようですね。」


「・・・ヤマトだ。きっとその犬は青山さんが飼っていたヤマトで間違いないです。」


「なるほど・・・。それでか・・・。」

警部補は何か引っかかる言い方をした。


「?どうかしたんですか?」


「いや・・・これは長井の母親から聞いた話ですが、どうも長井は青山さんを酷く憎んでいるらしく、殺してやると言ってるのを聞いてるんですよ。まあ今となって車椅子生活なので、長井の行動も制限されるとは思いますが、念の為に報告させて頂きました。でも青山さんには話していないんですよ。煽るような事を言って不安にさせてもいけないと思いまして。」


 

電話が終わり、里中は通話を切った。色々な出来事があって長井の事をすっかり忘れていた。まさか今頃になってまた長井の名前が浮上してくるなんて・・・・。

部屋の時計を見ると朝の9時半を指している。取り合えず10時になったら店に電話入れてみるか―。


  

 今朝も渚は朝から眠っていた。夢の中はいつも同じ光景。真っ暗闇の世界に相変わらず男がいる。

ただ、今日だけは違っていた。いつもは座っているはずなのに何故か渚が近づいてくると立ち上がり、振り向いたのである。


「お・何だ?お前、珍しい事するな。驚くじゃないか。って言うかお前動けたんだな?」


その時、能面のような男の口元から言葉が漏れた。

「…すけて。」


「え?何だって?お前今しゃべったのか?」


「・・・を助けて・・・。」

そして千尋を指さした。


「え?あの女を助けろって言うのか?一体何から助けるんだ?」

男はある一点を指さした。


「?」

渚が訝しんでいるとポワッとその部分が明るくなり、一人の車椅子に乗った若い男が映し出された。

その目はギラギラ光り、鋭い殺気を纏わりつかせている。電車に乗り、何処かに向かっているようだった。


ゾワリ。

その瞬間、渚の中で血がたぎるのを感じた。

そうだ、思い出した

アイツは、あの男は―。

<千尋を助けてあげて・・・・。>

頭の中で声がする。ああ、分かってる。何があっても俺はお前を守って見せる。



「千尋!!」

渚は自分の叫び声で目が覚めた。

もう一刻の猶予もならない。

渚は着替えもそこそこに上着を掴むと祐樹のアパートを飛び出したのである。

早くしないと千尋が―

自分がどこへ向かって走っているのか、そんな事はとうに知っていた。

何故なら俺は・・・・!



 千尋は今朝は遅番の日であった。いつものように朝食をすませると携帯が鳴った。

祐樹からである。


「はい、もしもし。」


「お早う。千尋。」

受話器越しから祐樹の声が聞こえて来た。


「おはよ、祐樹君。」


「千尋、今日遅番だろ?俺は今夜はショットバーのバイトの日なんだ。良かったら店に飲みに来ないか?」

最近、祐樹が店にバイトに出ている時は1杯だけショットバーで千尋は飲むようになっていた。


「うん、そうだね。何かお勧めのカクテル作って貰おうかな?」


「おう、まかしとけ。」

祐樹の嬉しそうな声が伝わって来る。


「それじゃまた夜にな。」


「うん、またね。」


祐樹との会話は楽しい。交際の返事は先延ばしになっているけれどもこのまま今の関係を続けていくのは何だか申し訳ない気がする。

いっそ、付き合おうかと思ってはみるものの、まだ踏み切れない思いもある。

それは渚の事だった。

里中や祐樹にはまだ話してはいないのだが、徐々にかつての渚と過ごした記憶が戻りつつあった。だからこそ期待してしまう。

ひょっとしたら今の渚の中にはまだ千尋の知っている渚が存在しているのではないかと・・・。



「あ、もうこんな時間。そろそろ出勤しないと。」

千尋は家の戸締りを確認し、玄関を開けた。その時—


「!」

全身の血が凍りつきそうになった。


そこには電動車椅子に乗った長井が刃物を持って玄関の前にいたのである。

「青山・・・千尋・・・。」

男は千尋の名前を呟く。

恐ろしい形相の長井は視線だけで相手を殺しかねないような表情で千尋を睨み付けている。


「・・・・!」

千尋は恐怖で声が出ず、腰が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。


「お前が憎い・・・。お前のせいで俺はこんな身体になった・・。殺してやる・・!」


長井は刃物を振りかざし、千尋に振り下ろそうとしたその時


「千尋ーっ!!」

渚が玄関から飛び込んで来ると長井の頬を思い切り拳で殴りつけた。


「!!」

勢いあまって車椅子から転がり落ちる長井。


「く・くそっ!」

長井は床を這い、刃物を取ろうとしたところを渚は刃物を蹴り飛ばし、長井に馬乗りになると襟首を掴んだ。


「貴様!まだ千尋を狙ってるのか?!絶対にやらせない!」

さらに数回渚は殴りつけると長井はぐったりと気を失ってしまった。


渚は荒い息を吐きながら台所から粘着テープを持ってくると長井の両手を後ろ手に縛りあげた。


「あ・・・な・渚・・君・・?どうして・・・?」


「千尋!良かった、無事で・・・。」

渚は千尋を抱きしめると言った。


「う・うん・・・。」

千尋は何とか返事をすると、渚は慌てたように千尋から離れた。


「あ・・・・一体、俺は今なにを・・・?」

渚は信じられないという風に自分の両手を見つめた。


「渚君・・・もしかして記憶が・・・・?」

千尋は恐る恐る尋ねた。


「分からない・・・自分でも。ただはっきり言えるのは、まだ俺の中にはあいつが残っている。いや・・・あれは残像なのかもしれない。」


「残像・・・・?」


「ああ、多分な。でも少しはお前の事思い出したぜ。俺達、この家で一緒に暮らしてたんだよな?」


「うん・・・。私もまだあまり記憶が戻っていないけど、渚君と私はここで生活していた。渚君の中には、ヤマトがまだいるんだよね?」

千尋は目に涙を浮かべながら言った。


「そうか・・・あいつ、ヤマトって名前だったのか。今初めて知ったよ。」

そして渚は足元に転がっている長井を見下ろして言った。


「とりあえず、警察に通報するか?」




 そこから先は大騒ぎとなった。

長井は警察に再び連行され、里中は長井と一緒にパトカーに乗り、ずっと長井に説教をしたそうだ。

連絡を受けた祐樹は、何故渚がここにいるのか、もしかすると記憶が戻ったのかとしつこく問い詰めた。


「渚、お前やっぱり千尋の事を思い出してまた好きになったんじゃないのか?」

千尋の家からの帰り道、祐樹は渚に尋ねた。


「さあな?正直な所、俺にもよく分からない。でも・・・千尋と付き合うのもありかもな?」

渚は意味深に笑う。


「!お前なあ・・・!」

祐樹は声を張り上げた。


「あの男・・・里中だっけ?あいつも千尋の事好意を持ってるみたいだしな。俺達3人の中で千尋は誰を選ぶのかって考えると面白いと思わないか?」


「・・・俺は本気だからな。絶対に千尋は誰にも譲るつもりは無いからな。」

祐樹は挑戦的に渚を見る。



 この日の夜—渚は目が覚めてから初めて眠る事が出来た。

夢の中にヤマトが出てきた。

能面のような表情が嘘のように明るい笑顔で渚に言った。

<ありがとう、千尋を助けてくれて・・・千尋の周りには君たちがいる。僕は安心して消える事が出来るよ。今まで君の中に残っていて本当にごめん。千尋の事これからも頼むね・・・・。>

そしてキラキラとヤマトの体は輝きだし、天に昇るように消え去って行った・・・。



 一方千尋の部屋では—。


すやすやと寝息を立てている部屋の中心に光の粉が集まり始め、やがて人の形となり、千尋の枕元へと近寄る人物がいた。

けれども深い眠りについている千尋は目を覚まさない。


 光に包まれているのはヤマト。

そして千尋に囁いた。



「君が目覚めるまでは側にいさせて。」—と。





 


 

























 

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君が目覚めるまでは側にいさせて 結城芙由奈@ 書籍発売中 @fu-minn

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