2-4 切なげな瞳

朝日がカーテンの隙間から千尋の顔を照らした。

「う・・・ん・・眩し・・。」

まだぼんやりした頭で目覚まし時計を見ると6時半を差している。

「え?目覚まし鳴らなかったのかな?」

今日は千尋の早番の日。

この時間ならまだお弁当を作る余裕がありそうだ。

慌てて着替え、台所に向かうと味噌汁の良い香りがしていた。


台所を覗くと渚が料理を作っている最中で千尋の気配に気が付き振り向くと、笑顔で挨拶してきた。

「おはよう、千尋。」


「!渚君・・・。まさか、朝ご飯作ってくれてたの?」


「朝ご飯だけじゃないよ。ちゃんとお弁当も用意したからね。中身は内緒。開けてからのお楽しみだよ。」

テーブルの上にはランチバックに入ったお弁当が置かれている。


「あ・ありがとう・・・。」

お弁当を作って貰った事が嬉しくて千尋は顔を綻ばせた。


「よし、準備出来た。さ、千尋座って。」

渚は千尋の為に椅子を引いた。


「それじゃ・・・。」

千尋が遠慮がちに座ると、渚は木目のお盆に乗せた料理をテーブルに乗せた。

豆腐とわかめの味噌汁に厚焼き玉子、おひたしに漬物にご飯。

これ等がセンス良く盛り付けられている。


「うわあ、素敵!」

千尋は驚嘆の声をあげた。


「ごめん、千尋。勝手に冷蔵庫の中身使ってしまったけど・・・足りない食材は今日僕が買って来るからね。」

渚が申し訳なさそうに言った。

「うううん、そんな事気にしないで。と言うか、返って悪いよ。こんなに素敵な朝御飯用してもらって。それにお弁当も作ってくれるなんて。」


「だって僕が千尋に喜んで貰いたくて勝手にやった事なんだから気にしないでよ。

でも、嬉しいな。千尋の笑顔が見れて。」

相変わらず笑顔を向けて来る渚に千尋はどう対応して良いか困ってしまった。


「た・食べましょ。渚君も一緒に。」

二人で向かい合わせに座ると手を合わせて言った。


「「いただきます。」」


渚の作った料理はどれも絶品だった。

味噌汁と厚焼き玉子は出汁からわざわざ作ったようで良い香りがする。

おひたしも丁度良い味加減だった。


「美味しい!本当に料理上手だったんだね。」


「ありがとう、ここに居候させて貰ってる間は僕が料理を作るからね。」


「そんな、それじゃ悪いわ。」


「僕が千尋の為に作ってあげたいんだ。駄目かな?」


切なそうに見つめられると、もうこれ以上千尋は断る事が出来なくなってしまった。

「え~と、それじゃこれからお願いします。」


「勿論、任せて!」

パアッと明るい笑顔で笑った渚を見て千尋は一瞬違和感を感じた。


(あれ?この笑い方・・・何処かで見たような気が・・・。)

けれど、どこで見たのか思い出せない。

「多分気のせいだよね。」

千尋は小さく呟いた。


「何?今何か言った?」

渚が不思議そうに首を傾げた。


「う・ううん、何でもないの。ところで・・・ごめんね、6時に起きようと思って目覚ましセットしておいたのに今朝は起きる事が出来なかったみたいなの。

無意識に止めてしまったのかなあ?」


「・・・。」

渚は少しの間、黙っていた。そして

「いいよ、これからは僕が家事をするから千尋はもう少しゆっくり休んでよ。何なら僕が毎朝起こしてあげるよ?」


「な・何言ってるの?男の人に起こしてもらうなんて真似出来ないから。」

千尋は顔を少しだけ赤らめて味噌汁を飲んだのである。


その様子を渚は幸せそうに見つめていた・・・・。



渚が後片付けをしている最中に千尋は昨夜洗っておいた洗濯物を干していた。

「渚君がいるから洗濯物外に干しておいてもいいかなあ?」


「うん、大丈夫。洗濯物乾いたら僕が取り入れておくから外に干しなよ。」

いつの間にか片付けを終えた渚が千尋の近くにいた。


「それじゃ、お願いしていい?」


「うん。ついでに畳んでおくよ。」


「それは大丈夫だから!」

そこだけ千尋は強調した。若い男性に自分の下着まで畳ませるわけにはいかない。


「?遠慮しなくていいのに・・・。」

渚は不思議そうな顔を浮かべると部屋から出て行った。


(渚君て、時々まだ子供の様な言動するよね・・。不思議な人。)

千尋は渚の後姿を見ながら思ったのである。




「ねえ、渚君。本当にお店まで付いて来るの?」

並んで歩きながら千尋は渚を見上げた。


「勿論、昨日お店の人達にきちんと挨拶出来なかったからね。」

渚はどこか嬉しそうにしている。


その時、二人の前にを白い犬を連れた年配の男性が現れ、千尋の足が止まった。

千尋はじ~っと犬を見つめている。


「千尋?」

渚が声をかけた。


「ヤマト・・・・。」

千尋はポツリと言った。


「どうかしたの?千尋?」


千尋の目は前方の犬を捕らえている。


「犬・・・。あの犬がどうかした?」


「あ、ごめんね。私、つい白い犬を見ると・・・。」

千尋は慌てたように言って続けた。

「私ね、前に白い大きな犬を飼ってたの。ヤマトって名前だった。お爺ちゃんが亡くなった後もずっとヤマトは側に居てくれたんだけど・・・・・。

でも2か月前にストーカーが家に侵入してきた時にヤマトが犯人を追い払って、そのまま後を追いかけて行ったきり姿を消してしまったの。」

寂しそうな声で言った。


「千尋・・・。」


「今、何処にいるんだろう。寒い思いしていないかな、どうして戻ってきてくれないんだろうって思うと、私・・・。」

最後の方は消え入りそうな声だった。


「千尋はまだ、その犬の事が忘れられないんだね。」

しんみりとした声で渚は言った。


「1日たりとも忘れた事なんか無いよ。だって大切な家族だったんだから。」


「・・・きっとヤマトは世界一幸せな犬だったと思うよ。こんなに千尋に思われてるんだから。」

渚はまるで何処か痛むかのように切なそうに笑った。


「え・・・?」

千尋はどこか意味深な発言をした渚を訝しんで見つめた。

けれど次の瞬間にはその表情は消え失せ、いつも通りの渚の笑顔に戻っていた。


「ほら、早く行こう。千尋。」





「はあ~っ」

朝の9時、里中は備品の整理をしながらいつにもまして大きなため息をついていた。


「おい、どうしたんだ?里中。元気が無いようだぞ?今日は近藤もいないんだから頑張ってくれよ?」

リハビリ器具の点検をしていた主任が声をかけてきた。


「え?先輩、今日は休みなんですか?」

里中は驚いたように尋ねた。


「うん、何だか頭が痛くて体調が悪いから休ませてくれって今朝連絡が入ったんだ。

風邪でも引いたのかな?」


「他に何か先輩言ってませんでしたか?」

里中は昨夜近藤が無事に家に帰れたのか少しだけ気になっていた。


「いや?特には何も言ってなかったぞ?だけど随分具合が悪そうな声を出していたからな・・・・。帰りに様子でも見に行ってみるか?」


すかさず里中は言った。

「大丈夫ですよ、先輩付き合ってる彼女がいるんですから。きっと面倒見に行ってくれますって。逆に行くと二人の邪魔になりますよ。」

(先輩の名誉の為にも二日酔いで仕事を休んだ何て知られたくないだろうからな。)


「ふ~ん、そうか。で、里中。お前はどうしてため息なんかついてたんだ?」


「・・・主任。ちょっと聞いてもいいですか?」

神妙な面持ちで里中は言った。


「どうした?」


「男女が見つめあってる時ってどんな時なんでしょう?」


「は?」


「人混みの中で見つめあうって、どんなシチュエーションの時なんでしょうか?!」


「な・何だ?急にそんな質問して・・・。まあお互い、どんな表情で見つめあってるか次第で色々と状況が変わって来るんじゃないか?」


「それじゃ、例えば相手の男が女の子を笑顔で見つめていて、女の子の方は驚いた感じで男を見ている・・・。」


「随分具体的な話だなあ?」

主任は顎に手をやりながら言った。


「俺の考えでは・・・これから2人の間には新しい関係が始まるって気がするんだけどなあ?」


「何ですかっ?!新しい関係ってどういう意味ですか?!」

里中は主任に詰め寄ると胸元を掴んだ。


「うわっ!何だ?急に!お前、それより仕事に戻れってば!」


・・・・その後暫くの間、里中を落ち着かせるのに主任は随分時間を費やしてしまったのであった。




 その頃、<フロリナ>ではちょっとした騒ぎになっていた。


「ええ~っ!千尋ちゃん、ついにこの男の人と同棲始めたの?!」

渡辺が驚きの声を挙げた。


「違いますってば、新しい仕事と住むところが決まるまでの居候ですよ。」


出勤後、千尋と渚が一緒にやってきたのを見て真っ先に質問してきたのは中島であった。

店をオープンするまでの間、千尋と渚は質問攻めにあってしまっていた。

二人でようやく中島が納得する説明を終えると、次に出勤してきた渡辺に今度は初めから説明しなければならなかった。


「ふ~ん、そういう経緯があったのね。」

渡辺はじっと渚の顔を見て言った。


「はい、お世話になってる間は僕が千尋の家政夫になります。」

渚はニコニコして言った。


「いい事?絶対千尋ちゃんにおかしな真似しないようにね?」

中島は渚に言った。


「おかしな真似?」

渚は首を傾げた。


「おかしな真似って言うのは、つまり男・・・ムゴッ!」

中島は途中まで言いかけて、渡辺に口を塞がれてしまった。


「あーハハハ。何でもないのよ~。気にしないでね。さ、店長。仕事、仕事。」

渡辺に口を塞がれたまま、中島は店の奥へと連れ去られてしまった。

その様子を見ている千尋と渚。


「おかしな真似って、どういう意味なんだろう?」

渚は千尋に質問した。


「さあ、知らない。」

千尋は肩をすくめて言った。

「私も仕事しなくちゃ。」


 その後、暫くの間渚は千尋の働いている様子を見守っていたが、12時を前に丁度手が空いた千尋に声をかけた。

「千尋。ちょっといい?」


「何?どうしたの?」


「僕は一度戻るよ。そして家の掃除とか買い物をしておくね。帰りは迎えに行くから一緒に帰ろう。」


「あ・ありがと・・・。」


「うん。」

渚は笑顔で手を振って帰って行ったのである。


その様子を見ていた中島は言った。

「ラブラブだね~。若いって素晴らしい。」


「何言ってるんですか、店長。そんなんじゃ無いですってば。大体昨夜初めて会った男性ですよ?」


千尋は慌てて否定すると今まで黙っていた原が言った。

「あの~男の僕から見ても、彼・・・青山さんに好意を持ってるようにしか見えませんけど?」


「もう、原さんまで何言ってるんですか?渚君は無邪気なだけですよ。子供みたいに純粋な人なんです。」

 

 けれども時折自分の事を切なげに見る渚の瞳にほんの少しだけ千尋は心がざわつくのであった・・・。




 

















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