第31話 風切り音

 急に痛みがわいてきた。アドレナリンのごまかしもこれまでか、現状をたりにして脳が事実を受け入れたのだろう。

 手がブラリと垂れ下がる。それでも銃を手放さなかったのは、取り落とした過去を悔いていたからかもしれない。

 獣がゆっくりと腕を振り上げた。その瞳にはもう終わりだと、あざけりの色がうつる。


 ナメやがって。終わってたまるか!

 獣に向かって踏み込む。このあたりが心臓か、最後の頼み綱、ショックバトンを押し当てる。


 バチリ。

 獣が「ギッ」と小さな悲鳴をあげた。

 いまだ! 横をすり抜け通路へ飛び込む。

 振り返らない。とにかく来た道を駆け戻る。


 鏡の迷路を左へ右へ、最初の部屋を通過する。

 やがて、ミラーハウスの入口が見えてきた。

 だが、何かいる。入口を塞ぐようにたたずむ黒い影が。

 クソッ、先回りされたか!? 

 ――いや、違う。そんなハズはない。

 

 速度を緩めることなく駆けると、影へと肩からぶつかった。

 痛ゥ! 固い感触が肩に伝わる。


 ゴロリ。転がったのは巨大なティーカップ。あの獣、逃げられぬようこれでフタをしてやがったのか。

 ムカつく野郎だ。

 周囲を見回すも誰もいない。転がる死体もそのままだ。

 グズグズしてはいられない。

 手、肩の痛みをおして、ふたたび駆けだす。

 後方を振り返る。よく見えないが追ってくる気配はない。

 だが、足は止めない。

 私には分かる。アイツは絶対に来る。

 逃げられたのは少しの運と、ヤツの気まぐれのおかげだ。

 ショックバトンなんざ効いちゃいない。その気があれば何度か殺せた。

 逃がしたのはワザと。アイツ、狩りを楽しんでやがるんだ。


 フン、今にみてろ。

 いずれ皮を剥いでコートにしてやる。

 折れた手首をおさえながら、ある場所目指して走り続けた。




――――――




「ハア、ハア、ハア」


 息が上がる。なんとか目的地までたどりつけたものの、いまにも心臓が破裂しそうだ。

 もう走れない。これで倒せなきゃお陀仏だ。

 ゴミに身をうずめる。ここはカボチャの馬車の中、切断されたケーブルを手に獲物を待つ。


「ふぅ~、ふぅ~、ふぅ~」


 自分の呼吸音がやけに大きく感じる。

 いや、実際に大きいのだろう、いくら意識してみても酸素を欲っする事実は変わらない。せめて回数を減らそうと、深い呼吸に切り替える。


 クソッ、ごみ溜めで深呼吸とは。あのクソ猫、絶対に許さねぇ。

 周囲に目をくばる。

 闇の中に浮かぶのは、園を彩る幾多のイルミネーションのみだ。

 集中しろ。光を遮る闇を探すんだ。

 汗が頬をつたう。一秒が永遠にも感じられる。


 不意に衝撃が身を襲った。

 激しい音とともに馬車が揺れる。

 上か!

 見ると天井が大きくへこみ、ミシリミシリとさらに歪んでいく。


 馬車は何度も激しく揺れる。獣が上にのって飛び跳ねているのだろう、このままだと馬車ごとスクラップにされちまう!

 だが、どうすることもできない。接触せぬよう電気ケーブルをなんとか空中で維持するので精一杯だ。

 セルフ感電死なんてシャレにもなんねぇ。

 揺れる馬車。頭をぶつけて意識が飛びかけるも、折れた手の痛みが現実へと引き戻してくれる。


 音と揺れがやんだ。

 ひとまず潰すのは諦めたか?

 この馬車、外装は塩ビだがフレームは金属なのだろう。いかに巨大な獣といえど、さすがに骨が折れるとみえる。

 これで手を引く……なんてワケないよな。

 次は直接ヤりにくるだろう。

 見てろ。キサマが水に浸かった瞬間、たらふく電気を喰らわせてやる。


 きた!

 馬車の窓から顔をのぞかせたのは、逆さ向きの獣の顔。

 なんとヤツは器用に体を折りたたむと、上に張り付いたまま床に降りることなく、中へと体をねじ込んできたのだ。


「マジかよ!」


 とはいえ、やることは変わらない。

 間接がダメなら、直接だ。そのマヌケズラに電気を浴びせてやる!!


 電気ケーブルを突き出す。

 ギョッとする獣。


 バチリ。

 電気が走る。

 だが、ケーブルを押し当てたと同時に獣はブブーと何かを吐き出した。


 まるで雷に打たれたような衝撃に襲われた。

 獣が吐き出したのは水だった。しぶきが導線の役割を果たし、私の体へ電気を伝えたのだ。

 一瞬、ほんの一瞬だったが私の体は硬直し、すぐに解放されても力は入らず、手からはスルリとケーブルが零れ落ちた。

 クソッ、痛ぇ、メチャクチャ痛ぇ。だが前よりゃマシだ。

 相手の方がダメージはデカいハズ。動け、動くんだ。


 ゴミに埋もれるケーブルを見る。

 拾う時間はあるか? それとも拳銃をぶっ放すか?


 ――どちらも間に合わん!!

 獣は落ちかけていた頭を戻し、大きく牙をむいたのだ。

 効いてねえ!

 慌てて反対側の窓から抜けようとする。

 獣は上半身をねじ込み、爪をふるう。


 爪がももをえぐった。

 だが、傷は深くない。まだ体は動く!

 再び獣は爪をふるうも、私は間一髪なんとか脱出に成功する。


 どうする? どうすればいい?

 足をひきずるように走りながら、拳銃の撃鉄をおこす。

 残された武器は拳銃とショックバトン。濡れた体でショックバトンは使いづらい。

 だが、拳銃を放てるのはおそらく一発。

 コルト・アクション・アーミーはリボルバー。次弾を放つには撃鉄をおこさねばならない。

 折れた右手で素早く撃鉄をおこせるか?

 果たして左手で命中させられるか?


 タン、と軽い音をたてて進行方向に獣が降ってきた。

 すさまじい形相ぎょうそうでこちらを睨みつけてくる。

 これまでの勝ち誇った笑みはない。

 憤怒だ。絶対に逃がさないとの決意を感じる。


 じりじりと後退する。

 やがて背中にふれる固い感触。追い詰められた。


 拳銃をポンと放り投げる。

 両手も上げる。

 降参のポーズだ。

 獣の顔に笑みはない。その瞳にうつるのはさげすみの色だ。


 獣の肩がピクリと動いた。攻撃の予備動作。

 かわせるか?

 ――いや、かわす!!


 素早く下にかがみこむ。

 うなりをあげて獣の爪が頭上を通過した。


 ベキリ。

 破片が舞った。

 それは金属とアクリルの破片、そして、少し前にかけておいた青のコートだった。


 ビービーと音が鳴る。

 販売機の青の光が赤へと変化する。

 そうだ、後ろにあったのは販売機。コートで覆い、発する光を遮断していたのだ。

 ハハッ! 気づかなかったか?

 怒りで我を忘れていたか?


 警告音が鳴り響く。

 獣は明らかに動揺した様子を見せる。


 ヒュンヒュンヒュンと風切り音が、どこからともなく聞こえてきた。

 さあ、死ぬのは私か? それともお前か?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る