第16話 コミュニケーション

 なるほど。この白いネズミの意図が見えてきた。

 会話したいのだ。単なるコミュニケーションではなく、伝えたい何かがある。

 しかし、問題は方法。ネズミは言葉を発することができない。

 だからノートを見せ、おのれが会話可能なこと、そしてその手法を提示するためここへと導いた。


 ならば聞かせてもらおう。圧倒的に情報が不足している現状、こちらとて判断材料となるものが欲しい。


 引き出しにあった手押しのブザーを取り出すと、机の上へと乗せた。

 すると予想通りネズミは、前足を器用に使いブザーを押し始めるのだった。


 ブー、ブッ、ブッ、ブブー……


 静まり返った部屋に響く、間の抜けた音。

 だが、でたらめではない。明らかに一定の法則にのっとった旋律だ。

 やはりモールス信号。

 解読を試みる。


 『危険。迫る。対策。教える』

 内容はこれだけ。このフレーズを何度も繰り返している。


 危険。危険か。

 その危険とは何だと尋ねようとして、咄嗟にその言葉を飲み込んだ。


 ……待てよ。

 何か変だな。どうも胸のあたりにモヤモヤしたものが広がっている。

 これまでつちかった経験が、気をつけろと警告を発しているのだ。


 落ち着いて考えるんだ。

 ネズミの目的は私に危険を伝えることなのか? 善意で?

 本当に?


 そのとき、一つの仮説が浮かび上がった。

 そして、ネズミに問いかける。


「お前、B.J・シュタイナーだな」

 

 ネズミはピクリと体を震わせると、こちらを見た。


「そうか。自分の体を取り返すのが目的か。サイコダイブで」


 言うが早いか、私はネズミへコブシを振り下ろす。

 しかし、それをなんなくかわしたネズミは、ヒラリと身をひるがえし、部屋の奥へと走っていった。


 チィ、小賢しい真似を!


 ネズミは割れたダクトの前で振り返る。それから、シィと牙をむいてこちらを威嚇すると、そのまま中へと姿を消した。


 逃げたか。

 しかし、危なかった。

 危険とは何だと問うた瞬間、会話は成立していただろう。

 そしてサイコダイブを仕掛けられ、私はネズミとなる。


 B.J・シュタイナーはサイコダイバーだ。そして、ネズミも。

 ただ、彼らはおそらく生まれながらのサイコダイバーではない。後天的にその能力を身につけたのではなかろうか?

 その切欠きっかけとなったのは薬だ。ノートに出てきたベン・カフスマンが持ってきたという薬。

 

 あとは想像に難くない。

 会話を試みた彼らの間でサイコダイブが発動、入れ替わりが起こった。


 B.J・シュタイナーにとっては不幸な出来事だ。まさか、おのれがネズミなるとは夢にも思っていなかっただろう。

 いかにネズミの考えを知りたかろうと、自分自身がそうなってしまったなら、研究どころではないからな。


 当然、彼は元に戻ろうとする。

 だが、それは叶わなかった。

 当たり前だ。

 ネズミが応じるワケもない。

 どこにでも行ける人の身を捨て、再びケースの中に押し込められるような不自由を選ぶものか。

 もはや会話は不可能。殺されなかったのが不思議なぐらいだ。


 となると、ネズミとなったB.J・シュタイナーは、他の手段をとらねばならない。

 すなわち、乗り移り可能な別の誰かの捜索だ。

 で、私を見つけたと。


 ぞっとする話だ。

 とんだジョーカーの押し付け合いだよ。


 私が思うにサイコダイブとは双方向通信だ。こちらだけでなく向こうからもアクセスできるに違いない。

 結果、入れ替わりが起こるのだ。

 しかし、これはサイコダイバー同士なればこそだ。

 能力のない者、言わば通信手段を持ち合わせてない者は、身動きがとれず、自我という情報を上書きされてしまう。


 まったく。ここは狂人ばかり、ただえさえサイコダイブを使う相手が乏しい上に、会話可能な奴はサイコダイバーときたもんだ。

 ハードすぎて泣けてくる。



 さて、そろそろ行くか。

 机の裏側を覗き込む。

 すると、ダクトテープで貼り付けられた拳銃を見つけた。

 観察記録に書かれていた武器とは、たぶんこのことだ。


 拳銃はホルスターに入れられており、テープを剥がさずとも引き抜けるようになっている。

 そのまま、そっと引き抜く。

 ……コイツはコルト・シングルアクション・アーミーか?

 通称ピースメーカー。

 回転式拳銃で装弾数は六、45口径の弾を使用する。


 ごきげんだな!!

 幸いなことに弾も全弾装填済みだ。

 あいにく予備の弾丸は周囲を捜索しても見つからなかったが、まあ大丈夫だろう。

 キャップさえあれば弾は買える。

 

 私は最後にネズミが逃げ去った方を一瞥いちべつすると、部屋を後にした。




――――――




 見知らぬ通路を歩いていく。

 イザベラのいるパペットシアターには戻らない。

 確かに、腹立たしいし荷物も惜しい。

 殺して全てを奪いたい気持ちもある。

 だが、危険が大きすぎる。ここで一か八かの賭けに出る必要もない。

 弱肉強食が世の掟。より奪い易いところから奪えばよいのだ。

 あえてイザベラを狙う必要はない。今はまだ……



 そうして歩くうち、次の区画へと到着した。

 研究所はこれまでと違い、早めの通過だった。

 なにせ扉はいくつもあれど、ほとんどロックされており、通路をただ進むしかなかったからだ。

 それでも、少ないながら開いた扉の先を探索し、わずかな食料とキャップを五つ見つけた。


 これで私の持ち物は、拳銃一丁、食料にキャップ五枚、そして、ブザーと観察記録ノートだ。

 ブザーとノートは念のため持ってきた。これがあればネズミとなったB.J・シュタイナーを上手く利用できる目もでてくるからだ。

 奴にとってこれは希望の光。ちらつかせて捨て駒にするもよし、おびき出すための撒き餌としうれいを断つのもいいだろう。



 キコ、キコ、キコ。


 それは通路が広間へと通じたときだった。何かを漕ぐような音が耳に届く。

 素早く物陰に隠れる。


 やがて、横道から何かが現れた。

 三つの車輪に二つのペダル、金属のフレームにサドルとハンドル。

 三輪車だ。


 そいつは、びた金属がこすれるような音色を響かせながら、ゆっくりとした速度で広間を横断、やがて反対側の通路へと消えていく。

 何だ? ――いや、三輪車だ。それは分かっている。

 だが、問題はそこに誰も乗っていなかったことだ。

 

 自動運転?

 違うな。たしかにここは妙に高いテクノロジーを内包しているが、それは土台部分、物品に関してはむしろレトロ感が漂う。

 今の三輪車にしてもそうだ。1900年代前半そのもの。

 動力源などない。普通の三輪車。


 となると……

 ここの地面は一見平らに見えるが、もしや傾斜があるのか?

 あるいは誰かが押し、惰性で進んでいった?


 どちらもしっくりこない。

 なぜなら、三輪車はわずかだが加速と減速を繰り返していたからだ。

 まるで目に見えぬ誰かがペダルを漕いでいたかのように。


 警戒したまま、しばし待つ。

 特に何も起きぬまま時間が過ぎる。


 もう良いか。

 物陰から出ると、そっと通路を覗き込んだ。


 ……何も無い。

 三輪車が来た通路、消えて行った通路、どちらも、ただ床にゴミが転がるのみであった。


 さてと、どうしたもんかね?

 

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