第13話 ファーストコンタクト

 私が選んだ扉は下段、三つ並ぶうちの真ん中。

 特に悩みもせず、なんとなくで決めた。

 どうせどれを選んでも変わらない。中で繋がっているに違いないから。


 扉の隙間から中を覗く。

 ピンと張られたワイヤーが見えた。

 負荷がかからないように注意して、そのワイヤーをナイフで切断する。

 それから扉の取っ手に紐を結ぶと、後ろへと下がった。


 身を屈め、ゆっくりと紐を引く。

 音もなく開く扉。と同時に中から何かが高速で飛び出してくる。


 矢ね。

 あまりに速くて見えなかったけど、頭上を通過した風きり音からいってたぶんそう。

 扉が開くと自動で射るように仕掛けてたのね。

 目に付くワイヤーはおとり。本命はこっち。

 なかなかの知性をみせるじゃない。

 

 ふふふ、期待しちゃう。

 どこの誰だか知らないけども、ここまで趣向を凝らす人。会話できるかもって思いは膨らむじゃない?


 どんな人かしら?

 聞き分けのいいひとなら嬉しいんだけど……

 ううん。でも、悪くたって大丈夫。

 殺したりなんてしない。スペアの体があるって、とっても素敵なことだから。


 こうして、まだ見ぬ容器の保存方法を思案しつつ、松明の炎で前方を照らし、ゆっくりと扉の奥へと足を踏み入れていった。




 予想通り、中はとても大きな部屋だった。

 奥に長い楕円が、はるか上部まで吹き抜ける筒状形のつくり。

 左右の壁には、前へと張り出した多段構造のテラスがもうけられている。


 天井には一面の油絵。壁に直接描かれたその絵画は、食卓を囲む貴族と思わしき人たちと、その頭上を飛ぶラッパ吹きの子供の天使たちと、どこかおごそかな雰囲気をかもしだしている。


 また、床に並べられているのは高い背もたれのついた豪華な椅子。

 横一列に連結され、それが等間隔でいくつも動かぬよう床に固定されている。

 しかもこれら豪華な椅子は、ある一点に向けて角度を調節されており、着席した者の目線がそちらに向かうように計算されている。

 すなわち、部屋の最奥に設置された、一段高いステージへと。


 これは……劇場ね。オペラを観覧するための劇場。

 なるほど、この区画に入ったとき見たパペットシアターという案内板。あれは映画館ではなくオペラを意味していたのね。

 横道にそれたりしたけど、結局はこの区画の中心部に辿り着いてしまったと。

 

 まあ、いいわ。

 都市の見取り図がない以上、目的地までまっすぐというわけにはいかないから。

 ただの無駄足じゃない。スペアの体、消えたキャップの行方を追うと考えればいい。コントロールルームじゃなかったのは残念だけどね。


 さて、肝心の私のキャップを盗んだネズミたちはどうかしら……


 ――改めて劇場を見渡した。

 壁や天井に備え付けられた間接照明が、部屋全体を映し出す。

 連結された椅子の切れ目に取り付けられた非常灯が、ステージまでの道をまっすぐと縁取ふちどる。

 遮るものは何もない。

 ただ規則正しく並べられた椅子が、絨毯のように床一面に広がるのみである。


 不思議ね。

 あれだけいたネズミの姿がどこにも見当たらない。


 ここにはもういない?

 ここは彼らの巣じゃないの?


 いえ、鼻をつくのはドブ臭さと獣臭。たとえ姿は見えずとも、部屋に充満するこの不快な香りが、彼らの存在を教えてくれている。



「チュッ」


 どこかでネズミが小さく鳴いた。

 音の方角へと目を向ける。


 椅子の影からヒョコリと姿を見せたのは一匹のネズミ。

 真っ白な体をしたそいつは鼻をヒクヒクさせたかと思うと、じっと私を見つめてくる。


 ……何?

 なにか変。

 これまでのネズミとは違い真っ白な体毛もそうだけど、それだけじゃない。

 その瞳に宿る知性の光は、なにかを私に訴えているよう。


「お前は――」


 薄暗かったステージに明かりが落ちた。

 それは一つのスポットライトがつくる光の輪。ステージの中央を奇妙に照らしだす。

 言いかけた言葉は途中で止まった。白いネズミのことなど、もう脳の片隅に追いやられた。

 ただ、視線の先で繰り広げられる奇妙な光景に釘付けになってしまう。


 ザザ、ザザザザ。


 実際には音が聞こえたわけじゃなかった。でも頭の中では確かにそう聞こえた気がしたの。

 

 どこからともなく現れた黒い小さな影。

 スポットライトがつくる光の輪の中へと寄り集まる。それは、さながら街灯にむらがる蛾のよう。

 やがて彼らは一本の大きな柱を作り出すと、バラリと散って崩れて、何かを残した。


 人?


 そう、出てきたのは人だった。

 年のころは四十代か、頬のこけた細身の男で、マントのようにボロ切れを身にまとっている。

 そいつは、体と頭を左右にプルンと震わすと、宙を見つめたままポツリと言葉を発した。


「オハヨウ……いいあさダネ」


 鳥肌が立った。

 アレは危険だと本能が訴える。

 こんなことは初めて。


 すぐさま銃を構えた。

 そして……引き金を引いた。


 タンという銃声がこだまする。

 しかし、放たれた弾丸は男に到達することはなかった。

 何故なら私が引き金を引くより早く、男の前で黒い塊が盛り上がったから。


 ネズミ。黒い塊の正体は大量のネズミ。

 その分厚い肉の壁に遮られて、弾丸は男まで届かない。



 突如、部屋全体に影がさした。

 暗かった部屋が更に暗くなる。

 周囲を見回すと、大きな黒い塊がいくつもできていた。

 間接照明の前、ロビーへと続く五つの扉。まるで逃げ道を塞ぐかのように盛り上がる。

 でもそれだけじゃない、その数はみるみるうちに増えていき、やがて積み上げた土嚢どのうのように部屋を大きく囲ってしまう。


 まさか、あれ全部がネズミ!?


 押し合いへしあい、うごめく小さな影たち。影の上に影が折り重なる。

 そんな彼らは一瞬動きを止めると……一斉にこちらへと視線を向けた。


 来る!


 まさに堰を切るとはこのことか。決壊したダムの水ように押し寄せるネズミども。

 うずまき、うねり、濁流となって、私を飲み込まんとする。


 なんて数なの! 手榴弾でどうにかなるレベルじゃない!!

 奴らを止めるにはどうしたらいい?

 男を狙う? こいつが操っているに違いないから。

 でも、それで間に合う?


 再び男へと目を向ける。

 盛り上がったネズミの山で、今は姿が見えない。

 

 銃も届かない、手榴弾も間に合わない。

 たどたどしい言葉であいさつを発した男。


 ならば私のすべきことは……


「ええ、おはよう、よ!!」


 男へと挨拶をかえした。

 

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