第4話 世界を繋ぐ鍵

「ハア、ハア、ハア」


 息が乱れる。

 鬼ごっこはかくれんぼへと変わった。だが、命がけという事実は変わらない。

 カウンターの奥に身を隠し、呼吸を整えようとする。


「ゴホッ、ゴホッ」


 駄目だ。胸が苦しい。

 決して若くはない体に、肺疾患はいしっかん。あまりに不利な状況だ。


 頭上を見上げる。

 ミュージアムと書かれたネオン管がチカチカと点滅を繰り返している。

 この先は博物館か。身を隠すには丁度よい。

 しかし、大きな危険も潜んでいる。

 新手の存在だ。挟み撃ちにでもなったら、目も当てられない。

 かと言ってあいつの持つ弾薬が尽きるまで、この体がもつとは思えない。


 ――タン、という発砲音。

 それからガラリと何かが転がる音が聞こえた。


 ゴミ箱でも打ち抜いたか?

 クソッ、無駄玉使いやがって。そいつはいずれ俺の物になるんだよ!

 だが、吼えてみたところで事態は好転しない。その後も奴は俺を仕留しとめようと、キャビネットを叩き、ダクトを撃ち抜いていく。


 まともに戦っちゃ勝ち目はねえ。何か手立てを考えないとな。

 難儀なこった。

 会話さえ出来れば簡単なんだが。


「なあ、取引しねえか?」


 無駄だと思いつつも、身を隠したまま呼びかけてみる。

 すると一瞬の間をおいて、返事がかえってきた。


「トトト、トリトリトリトリ」


 その後タタンと音がして頭上のネオン管が砕け散った。


 チッ、やはり会話になんねぇか。

 これじゃあ乗り移りは不可能だ。サイコダイブにもとんだ弱点があったもんだ。

 持っていたレンチを床を滑らすように投げる。

 金属の擦れる音が遠ざかっていった。


「あはははははは」


 そのまま壁へと衝突したレンチに反応したのであろう、数発の銃声とバタつく足音が聞こえた。


 今のうちだ。

 身を低く保ちながら通路の奥へと進んでいった。




 胸も痛ぇし、腹も痛ぇ。

 横っ腹を押さえながら通路の角を曲がる。

 前方には両開きの金属扉。左右それぞれについた円形の覗き穴から、その先が広い空間であると分かる。

 このまま無警戒に進むのは危険か?

 一瞬、罠の存在が脳裏にチラつくも、体は言うことを聞かない。

 走る勢いそのままに、扉の前まで到達すると、転がり込むように中へと入った。


 何かが頭上を通過した。

 しかし、速さと暗さがあいまって、正体は確認できない。


「ハアッ、ハアッ、ハアッ」


 もう走れねぇ。

 大の字となり地面へと寝転ぶ。

 いくら吸っても酸素が足りない。それに心臓が口から飛び出しそうだ。

 こんなに必死になって走ったのは何年ぶりだ?

 大人になっちまうと駆けっこなんざ、そうそうするもんじゃねえからな。

 

 ……FBIか。

 そういや、奴らに追われたとき死ぬほど走ったな。

 犯罪者は逃げるのが仕事みてえなもんだが、サイコダイバーの俺には無縁だった。乗り換えちまえば済むことだからな。

 まあ、外見そとみが変わっても、やるこたあ一緒。結局、捜査の手がまわってきたんだっけ。


 ……あの捜査官何て言ったけか、しつこく追い回してきたアイツ。

 

 ……。


 酸欠となった脳に酸素が送り込まれるにつれ、ぼんやりとした思考が徐々にクリアになってくる。

 と同時に、記憶の断片を掘り起こす作業も終わりを告げた。


 ――高い天井だな。それに何か泳いでやがる。

 仰向きで寝る俺の目に映ったのは、アーチを描くよう張り合わされた何枚ものガラス。そして、その透明の天井の向こうを泳ぐサメらしきものの姿だ。


 上体を起こし周囲を眺める。


「こいつはスゲーや」


 思わず声がでた。

 今自分がいる部屋は、縦100メートル横50メートルほど。天井に至っても高さ二十メートル以上とかなりの大きさだ。

 それが柱の一つもなく、巨大な一つの部屋として存在する。

 むろんそれだけではない。

 壁には、ひかえめにライトアップされた絵画がずらりと並んでおり、さらにその前方、台座に乗ったオブジェがいくつも立つ。

 まさに博物館だな。

 芸術なんてものは分からんが、絵画とオブジェからは積み重ねた歴史からくるであろう威厳と品格みたいなものを感じる。


 しかしまあ、海の底に、よくこんなもんを作れたものだ。

 海底都市はSFの世界にはよく登場するが、実際に建築するのはほぼ不可能だ。

 水圧、腐食の問題もある。そしてなにより、採算がとれない。

 宇宙に建築するほうがまだ現実的ってもんだろう。


 だが、それもこの都市が現実に存在するならば、だ。

『スノーグローブこそが世界を繋ぐ鍵』

 あいつは確かにそう言った。スノーグローブを俺に売りつけようとしたシルクハットの男だ。

 なんとも胡散臭い野郎だった。

 なんでも、この海底都市は別の次元に存在しており、スノーグローブを通じて出入りできると。

 そんなもん誰が信じるかってんだ。頭がおかしいか、騙そうとしているかのどっちかとしか思わねぇ。

 しかし、そうじゃなかった。こうして目の当たりにしたところで、口からでまかせを言っていないことは証明された。


 だが、それで全てが真実って訳にはならねえ。

 もう一つ可能性がある。電脳世界だ。

 人工的に作られたコンピューター世界って方がよっぽど納得できるってもんだ。


 まあ、今となっては確かめる術はない。なにせ奴は今、海の底だ。ここじゃあない、本物のな。

 拷問しても口を割らなかった。あるいは奴自身、本当のことは知らなかったのかもな。


 さてと。感傷に浸るのもいいが、いま考えるべきは別にある。

 あの脳ミソの代わりにバターピーナツが詰まっているような小人だ。

 さしあたり奴を始末しないことにはどうにもならん。

 

 立ち上がると、展示品であろうオブジェの一つへと歩み寄る。

 波打つ布を、まるでドレスのように体に巻きつけている女性像。

 後部に羽飾りがついた兜をかぶり、手には背より高い槍と縦長の盾を持つ。

 アテネ像だろうか?

 だが、この像、石ではなく全て金属でできている。


 いい趣味だ。

 それに……実用的だ。

 アテネ像の持つ槍に手をかけるとスルリと引き抜く。


 さて、バターピーナツ君。

 君が何人殺したかは知らんが、こと命の奪い合いに関しては、俺の方が上だと思い知らせてやる。

 俺は反撃に転ずるべく、部屋に細工をほどこし始めた。

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