殺人鬼アダムと狂人都市

ウツロ

プロローグ

第1話 プロローグ

 ノックの音がしてドアが開く。


「所長、お客様です」


 部屋の入り口で立ち止まり、そう告げたのは、シワひとつないスーツを身につけ、長い髪を上でまとめた女性だ。

 彼女の視線の先には、大きな背もたれのある椅子に腰掛け、なにやら書類へと目を走らせる男がいる。

 彼が所長なのだろう。しかしこの男、返事はおろか手にした書類から目を離すそぶりも見られない。


「ちょっと失礼」

 

 女性の背後から声がした。

 こちらもシワのない上等なスーツを身にまとい、背広の上からでも分かるほど筋肉質な男だ。

 彼は前方に立つ女性をスルリとかわすと、部屋の中へと歩み入る。


「FBI捜査官のベリックです」


 男は所長の目線を遮るように書類の上にバッジを重ねた。

 バッジにはFBIの大きな文字と、顔写真、そして写真の主であるベリック・エルホーンの名前が記載されている。


「やれやれ。おまわりさんてのは何故こうもせっかちなのかね」


 ふうと大きく息をついた所長は書類を机に置くと、老眼鏡をはずす。

 するとそこへ、ゴツゴツとしたベリックの右手が差し出された。


「警官ではありません。FBIです」

「犯罪者にとってはどちらも同じだよ」


 しぶしぶといった表情で、その手を握る所長。

 彼は握手を終えると、立ち上がり白衣を羽織はおる。


「いまさら調査したところで何も出てこんと思うがね」




――――――




 ベリック・エルホーンはある人物を追っていた。

 もちろん犯罪捜査官としての職責しょくせきを果たすためだ。

 しかし捜査状況はかんばしくない。証拠品は多数あれど、その足取りについてはまるで手がかりなしだ。

 それも仕方がない事ではある。何故ならベリックが追う人物は普通の人間ではない。類稀たぐいまれなる能力を有する超人なのだ。

 結局、原点に立ち返るべきだと考え、今こうして残された証拠品の洗い直しをしている最中である。

 

「しかし、一人とは珍しい。おまわりさんてのは、たいてい二人連れだって来るものだと思っていたが」


 前方を歩く所長に問いかけられたベリックは、「ええまあ、どこも人不足でして」と曖昧あいまいな返事をかえすに留めた。何故なら、少しうしろめたい気持ちがあったからだ。

 確かにFBI捜査官としてここへと来た。

 だが、捜査方針にそぐわない行動であったのは確かだ。

 FBIとしてはここの証拠品はすでに精査し終えたとの認識だからだ。

 証拠品の数は多い。済んでしまったものに、いちいち時間はさけないということだ。

 それでもベリックにはどうしても確かめたい事があった。そのためにワザワザこうしてロサンゼルスから、ここノースカロライナまでやってきたのだ。



 カツリカツリ。


 所長の鳴らす革靴の音がやけに大きく聞こえる。

 二人が歩く通路は壁も天井もコンクリートの打ちっぱなしで、窓もなければ道案内の表示もない。殺風景どころか、ある種の閉塞感すら覚えるつくりだ。

 さらにひと気もない。

 建物の外観からいって、ここにはかなりの人数が勤務していると思われる。しかし今は、ベリックと所長の二人だけしかいない。

 はっきり言って不気味だ。だが、施設に入ったときからこうだった訳ではない。

 地下へと降りると同時に雰囲気が一変したとベリックは感じていた。


 やがて所長は扉の前で足を止めた。

 まるで金庫かと見間違うほどの金属製の重苦しい扉だ。

 所長は扉のすぐ隣、数字が描かれたボタンを何度か押し、右手の親指を黒い球体へと押し付ける。

 ピコリと音がして扉のロックが解除された。ドアを押し広げ、彼は更に奥へと突き進んでいく。

 後続である己に対する気遣いなど感じられない。ベリックは扉が閉じてしまうより先にと、スルリと体をくぐらせた。


 これでベリックが通過した電気錠は三つとなる。

 一つは精神医療研究所と書かれたこの施設のゲート、次に所持していたベレッダを預けるよう指示された病棟へと向かう鉄格子の扉、そしてここだ。


「ずいぶん厳重なんですね。軍事刑務所よりも設備が整ってそうだ」

「嫌味かね? 確かにここには政府から円滑な資金が投入されているが」


 いえ、とベリックは言葉を濁した。


「君も知っているだろうが、サイコダイバーを軍事利用しようとしていた当局の思惑が生んだ結果に過ぎない。争いを無くせば自然となくなる代物しろものだよ」

「はは、耳が痛いです。実は以前、海軍に従事していたことがありますので」



 やがて特別集中治療室と書かれた扉へと行きあたる。

 ここで始めて所長がベリックの方へと向きなおり、口を開いた。


「さて、この先が君らが言う証拠品の管理場所だ。好きに捜査するといい。私としてもFBIが警戒の必要がないと判断してくれればありがたい。なにせ厳重すぎて職員の負担になっているのだよ」


 それだけ言うと所長はポケットから鍵を取り出し、鍵穴へと差し込む。

 カチリと錠が外れる音がした。

 


 部屋の中は薄い青の壁紙で統一されており、小さな洗面台、むきだしの便器、そしてベッドが一つあるだけだった。

 ベッドには点滴台が備え付けられており、そこに吊るされた容器から伸びる管が、横たわる男の腕へと続いている。

 ベリックはゴクリと唾を飲んだ。

 緊張した面持ちでベッドへと向かう。職業柄それまでせわしなく周囲に向けていた視線も、今は一点に注ぐのみだ。

 やがてベッドサイドまで歩み寄ると、横たわる男の顔を覗き込んだ。


 スラリと通った鼻筋、やや薄めの眉と唇、そしてなにより顎から耳へと続く火傷の跡。間違いないアダムだ。呼吸音は聞こえるものの、目を閉じたまま微動だにしない姿がそこにはあった。

 しかし、写真で見るより随分と老け込んで見える。

 肩まで伸びる長い髪、手入れのされていないあごひげ、こけた頬のやつれた姿が実年齢よりけて見せているのだろう。


 ベリックは彼とは初対面ではない。いや正確には彼の中身というべきか。

 

「残念だが、彼は既に抜け殻だよ。アメリカ史上最悪と言われた殺人鬼はそこにはいない」


 所長の言葉など耳に入らない。ベリックはただ見つめるだけだ。

 それから数分が過ぎただろうか、やがてベリックは意を決し、男に語りかける。

 一言二言。

 しかし返事はおろか、彼は身じろぎもしない。


「ベリック捜査官。いかに彼を捕まえたい気持ちが強かろうが話しかけてはいけない。サイコダイバーとは会話・・した相手の脳へと入り込むのだ」


 分かっている。そんなものは百も承知だとベリックは頭をふる。


 サイコダイバーとは本来、相手の深層心理を呼び起こし、忘れてしまった記憶を取り戻したり、捨て去りたいトラウマを克服する催眠術師のような存在であった。

 しかし、ある日特異な者が出現した。アダムだ。

 ――連続殺人鬼シリアルキラーアダム。殺害した人の数は数百人にものぼると言われている。

 だが、彼が真に恐ろしいのは人から人へと乗り移ってしまうことだ。たとえ指名手配し、探し出したとて別人になっている。拘束した身柄は、廃人となってしまった抜け殻でしかない。


 そんな彼でもFBIは逮捕寸前まで追い詰めたことが二度あった。

 一つは、いま目の前にいる男を拘束したとき。そしてもう一つは、ベリック自身が携わった逮捕劇でだ。

 当時を思い出し、ベリックはギリリと歯を噛んだ。

 慎重に捜査を重ね、アダムと思わしき人物を特定すると、決して気取られぬように包囲をせばめる。

 そして乗り移るべき対象、逃走経路、すべて遮断した上で拘束へと乗り出した。

 しかし正に目の前、彼に銃を突きつけた瞬間、まるで魂が抜け落ちたかのようにその場へと崩れ落ちてしまったのだ。

 周囲には捜査官しかいない。みな会話どころか声を発することさえ禁じられていた。

 乗り移れる相手などいない。逃げられるはずがないのだ。


 故に当初、FBIは演技であると断定した。つまり廃人のフリをしているのだと。

 ……結果はこれと同じ。

 聴覚、触覚、痛覚に働きかけても反応はない。脳波を測定したとて同様だ。

 また隔離して様子を見ても変わらない。未だ目を覚ます気配もない。



「もういいかね?」


 所長の問いかけに、ゆっくりと頷くベリック。

 ここまでは予想していた通りだったからだ。己の目的は他にある。

 

「しかし不思議ですね。記憶や思考というものは脳がつかさどっているものですよね。脳と意識は同一のものだと思うのですが」

「うん? ああ、彼の能力のことかね。そうだ、本来ありえないことなのだ。相手を意のままに操るならともかく、人格を移し変えるなど……」


「サイコダイバーの中で、なぜ彼だけがあのような能力を持つようになったのでしょうか?」

「さあ、分からんね。単なるイレギュラーなのか、進化の先が彼なのか」


「乗っ取られてしまった側の人格はどうなるのですか?」

「それも分からんね。消滅してしまったか、融合したか」


 ここで一旦会話を止めたベリックは、ふうと大きく息をついた。

 そろそろ気がかりを解消せねばと。


「まあ、そう気を落とさんでもいいだろう。君も知っていようが、彼の能力とて万能ではない。なぜか肉体の持ち主であった者の記憶を引き継ぐことができんのだ。何食わぬ顔で別の人生を歩もうとしても、やがてどこかでボロを出すだろうから」


 己のため息を落胆だと思ったのであろう、所長のかけてくれたねぎらいの言葉に、ベリックは安心した。

 無論、気遣いにではない。彼がアダムであるという可能性が排除されたからだ。


「ありがとうございます。実は今回の訪問の目的は他にもありまして。彼を捕まえるに際して押収した証拠品、それが一部返却されたと聞いたものですから」

「ああ、返却された証拠品ね。写真などは家族の元に届けられたよ。そんなことは私よりも君の方が知っているのではないかね?」


 無論ベリックは知っている。

 万一に備え、デジタル機器などは今もFBIの保管庫に残されたままだということも。


「唯一ここにあるのは、そこにあるスノーグローブ(スノードーム)ぐらいなものだよ」


 所長が指差す先を見る。

 そこは小さな洗面台の上。土台の上に乗せられた透明の球体があった。


 ベリックは歩み寄り、球体を手に取る。

 そうだ。これだ。スノーグローブ。

 土産品や玩具として売られているものと何ら変わらない。

 球体を支える土台部分はオルゴールとなっており、ゼンマイを巻くと音を奏でる。

 上部の液体で満たされた球体には建物と雪に見立てた粒が入っており、揺り動かすと、あたかも雪が舞い落ちるように見えるのだ。


 同じ物を以前見た事がある。己が取り逃がしてしまった際、押収品のなかにあったものと同種のものだ。これこそベリックの目的だった。

 


 ベリックはスノーグローブを揺らし、建物に雪が積もっていく様を眺める。

 徐々に白くなっていく、少し変わったデザインの建築物。金属製のドームのようなものがいくつも繋ぎ合わされ、大きな城のような、都市のような姿をしている。

 それは何処かふるめかしく、まるで子供のころ見た漫画の宇宙に浮かぶコロニーを連想させる。


 ポロ、ポロロン。

 不意にスノーグローブから音がした。土台部分のオルゴールが鳴ったのだろう。

 ベリックは耳を澄ます。

 トン、ツー、トン。続いて響く妙な音。怪訝に思い、眉をひそめる。


 これは……モールス信号?

 ベリックは無意識にモールス信号を解読する。

 そして、その内容を小さくつぶやいた。――呟いてしまった。


「こんにちは」と。


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