火曜日①

 校庭に出来た水たまりが太陽光に反射し、薄らと虹が浮かんでいた。あすなはイヤフォンから流れる音を徐々に小さくし、ハックション、と、くしゃみを放った。

「あすな、もしかて風邪ひいた?」

 高校生活において欠かせない分野でいうと、恋、だろう。だが、それが実るかは己の力量次第である。容姿は並。学力も並。情報精度は高、という特出したのが情報分野である、橋本愛美がとろんとした目をあすなに向ける。大方、男に告白して、振られ、涙を永遠とも思える時間、流したのだろう。愛美の目は腫れていた。

「ううん。風邪はひいてない。雨に打たれすぎて」

「雨に打たれすぎて、て響くね。うん。響くよ。でさ、ちょっと聞いてよ」


 ほら、案の定、愛美の失恋話を一から十、聞かされた。私の事わかっていないんだから、と愛美はいうのだが、他人同士が分かり合えるものだろうか。それに、愛美は悲劇のヒロインを演じる傾向がある。『男に振られた私って本当に可哀想。男がわかっていないだけ』


 ううん、違う。あすは少しばかり成長した。何事も自己中心的では心の距離は難しいのだ。愛美は、自己中心的すぎる。なにせ、自分の話が多い。まあ、女という生き物は得てして自分の話が多いものだが。逆もしかり。男で自分の話が多いのもいる。間違いなく恋愛の境界線上にも辿り着けないだろう。

「鳩、遅くない?」


 鳩とは担任の名前である。首を前後に動かす率が高いから通称鳩と呼ばれている。今では鳩という渾名が横行し、本名すら忘れられているという噂すらある。昨年赴任したばかりだが、それすら覚えているのも少ないのではないか。空気に溶け込む。ある意味本物の野生の鳩と一緒かもしれない。あすなはiPodをバッグにしまい、愛美に視線を向けた。彼女は待ってましたといわんばかり、会心の笑みを放つ。容姿は並でも笑顔は女の輝きを二倍にする典型例。


「そうそう。なんでかっていうとさ、転校生が来るらしいよ」


「そうなの?」


「あっ!あすなが驚いている。いいねえ、そういう表情。男にモテるわけだ。性格はしっかりしてそうだけど、どこか抜けてるしね。男って弱いんだよね、あすなみたいな女性に。ちなみに転校生の情報は、ハイスペックなイケメンって話」


 さすが情報精度、高、だけはある。いつ仕入れたのだろう、そのことがあすなは気になった。


 スライドされた扉から鳩が首を前後に動かし出席簿を抱えながら登場した。鳩の後ろから不評度抜群の緑色のブレザーを纏い、整った顔立ちが登場し、あすなは目を見開いた。彼女が目を見開くのも無理はない。鳩の後ろから登場した男を知っていたからだ。何を隠そう、昨日、倒れていた男。謎の男。頬から血を流していた男。名無しの男。あすなは男から視線を外せずにいた。


「ええ、ええ、ええ」と鳩が言葉に詰まる。定年間近であり、呂律が回らなくなっているのも要因かもしれない。生徒から、ええ、が多い、という指摘を熱狂しすぎたフーリガンのように浴びせられる。が、鳩は至ってマイペースだ。生徒か

ら浴びせられる集中砲火をもろともせず話を続けた。


「みなさんに、転校生をご紹介致します。富永なにか君です。ええ、ええ、ええ、富永君はご両親の仕事の都合上、我が校の仲間となるわけです。一からのスタートです。心細いことも多々あります。みんな、仲良くしてあげてください」


 へえ、変わった名前。というのがあすなの第一印象である。正確には第二、三印象といえるかもしれない。なにせ、昨日会っているのだから。変わっている名前だから、名乗らなかったのかな、それは考えすぎだろうか。考えすぎなのだろう。なにか、なにか、なにか、と鳩にならって心の中で三回名前をつぶやいてみたが、うん、それなりに馴染みやすい名前だと、あすなは納得する。


 しかし、と彼女は首を傾げた。一体全体、なぜ彼は負傷し倒れていたのだろう。些細でありながら重大な疑問は拭えないままだ。その証拠に、なにかの左頬には絆創膏が十字には貼られている。絆創膏が妙に様になっているからか女子生徒から、「悪くない」「顔は九十点。あとは性格ね」「既に虜」という黄色い声援がチラホラと囁かれていた。隣の席の愛美に至っては、「フライングゲットする」という文言が放たれ、フライングしても無理なのではないか、とあすなは思わずにはいられない。

「じゃあ、富永君は、栗木さんの前の席かな」


 鳩がなにかの席を指で示し、あすなは一瞬、きょどる。なにかがあすなの方に歩みを進め、視線が交錯する。なにかの表情は変わらない。彼の目は昨晩同様力強いままだ。引力と重力を目に宿しているかのように引き寄せられう錯覚をあすなに起こさせる。


 なにかは表情を一つ変えず自分の席に座った。

「それでは授業を始めます」

 鳩の一言でいつも通りのいつもの光景が再び始まった。

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