(7)

 自分を殺してほしいとお願いする岳の発言に、真琴は自らの目を見開いた。

 思いもよらないその言葉に、彼女が動揺しているのは明らかだった。

 そんな彼女の驚いている顔を見た岳は、安心したように言葉を紡いだ。


「やっぱり……僕は毎日、あの数学科準備室で、笠嶋さんに殺されてたんだね」

「どうして、それを……?」


 彼女は、信じられないとばかりにそう口にする。

 その反応をするのも無理もない。彼女は自らの意思で、彼の記憶を消して、夏休みにまで時間を戻し、それから今日までの四か月もの間、彼には一クラスメイトの男子生徒として接してきた。

 それなのに、消した記憶を、殺されていた時の記憶を、彼がっているはずがない。


「記憶が、戻ったの……?」


 そんなはずがないと胸の内で否定しながらも、彼女はそう尋ねかける。

 彼女の気持ちとは裏腹に、彼は小さく頷いてそれを肯定してみせた。

 そして、頭を抱える素振りをする彼女を前に、言葉を補足し始める。


「さっき、数学科準備室に行ってきた。なんでかわからないけど、引き寄せられて、中に入ろうと思ってドアノブ握った時に、ちょっとだけ思い出したよ。まだ、全然ぼやけてる感じだけど、たぶん、段々と記憶が戻ってきてる。そのおかげで、僕の頭の中、今ごっちゃごちゃだよ」


 苦笑いする彼とは違い、彼女の表情は暗かった。

 彼女にしてみれば、彼の記憶を消した、あの時のタイムリープは無意味だった、と告げられたようなもので、良い話とは受け取れなかった。

 失敗だったならもう一度、と彼女はナイフを自らの手に持った。


「そう……じゃあ、もう一回らないと――――!」


 殺人予告とともに、彼の胸倉を掴んで、その首元にナイフを突きつける。

 彼の肌の色が反射したナイフは、すぐに赤色に染まるはずだった。

 いつもの彼女なら、彼に話す時間など一秒も与える事無く、死に至らしめていただろう。

 しかし今の彼女は、刃物が彼の肌を切り裂く直前でその手を止め、一向に動こうとしなかった。

 考えあぐねている彼女の様子に、痺れを切らした岳は先ほどの話の続きを口にする。


「でも、兆しはあったんだ。笠嶋さんが停学を終えて、クラスに戻ってきてからずっと、放課後の帰る時に頭痛がしてた。それは笠嶋さんを見る度に、日増しに強くなっていって、今日が一番ひどかった。それで思ったんだけど……笠嶋さんが僕の記憶を取り戻させたってことはないかな?」

「バカなこと言わないで」


 そう推測して見せた彼の意見を、彼女は鼻で笑いながら否定する。

 その様子は、いつもの余裕のある彼女とは真逆のようでもあった。


「あなたの記憶を消したのは私よ? それなのになんで私が、それをわざわざ無かったことにする必要があるのよ」

「そう、だよね。ただの僕の妄想に過ぎなかった。じゃあ、今すぐ僕を殺して、また記憶をリセットし直せばそれでいいんじゃないの?」


 生意気にもそう提案する彼の言い分は尤もで、彼女は仕切り直すように胸倉を掴んでいた手に力を入れて、彼の身体を床に投げつける。

 そのまま馬乗りになって再度、彼の首元にナイフを突きつけるが、その首を刎ねる事は無かった。


「どうしたの……? 早く僕を殺さないの?」

「……うる、さい」


 煽るような彼の言葉に不快感を示しながらも、彼女は手を止めたまま動かさない。

 そして、彼は尚も煽るように言葉を畳みかけていく。


「殺さないんじゃなくて殺せないのかな? あんなにも楽しそうに僕を殺してた笠嶋さんは、一体どこに行っちゃったんだろうね?」

「……うるさい」


 彼女は、少しでも抵抗しようと小さな声を出す。


「そういえば、僕のお腹を引き裂いて、内臓をぶちまけさせた時もあったっけ?」

「うるさい……」


 彼女は、その時の事を思い出しながら、呟く。


「あの時は……僕が笠嶋さんの指を噛み千切っちゃったんだっけ? まだ、記憶が曖昧で細かいことは覚えてないけど、君が楽しそうにしてたことは、はっきり思い出せるよ」

「うるさい」


 彼女は、笑みを浮かべた自分の表情を想像しながら、そう口にする。


「ほら、その時みたいにさ。欲望に任せてっちゃいなよ?」

「うるさい!」


 教室に響く彼女の声は、そのまま廊下にも木霊して、校舎全体に広がるかに思われたが、教室の扉が閉まっていたおかげで、そうならずに済んだ。

 言葉の応酬の後、一瞬の静寂が二人の元に訪れると同時に、彼女は自らの胸の内を語りだした。


「好きな人を殺す苦しみを、私は知ってる……芳原くんを殺した後、私は死のうと思った。でも、死ねなかった……この変なタイムリープのせいで、私は自分で死ぬことさえできない。だからもう、どうしようもないの……」


 必死に震えながら訴える彼女とは裏腹に、彼は冷めた様子だった。

 彼女の気持ちを理解できなかったわけではないが、方向性が違った為に共感はできなかった。


「好きな人を殺すのが苦しい? それはたぶん違うと思う。苦しかったのは、相手が芳原くんだったからだ。彼と僕は同じじゃない。だって、笠嶋さんの中でも、僕に対する好意は、芳原くんとは全然違うものでしょう?」


 そう尋ねかける彼の頭の中では、芳原を見る時の彼女の表情が浮かんでいた。

 本当に恋焦がれている人を見る眼差しは、未だに自分には向けてもらえていない、と彼の眼の中の光は少し暗くなる。

 彼女の中で芳原は絶対的な存在で、そんな彼を殺してしまったから、彼女はこんなにも苦しんだのだ。

 その殺す相手が自分だとしたらどうだろう、と彼が想像した時、同じように彼女が苦しむとは到底、思えなかった。


「僕は……僕は、ただの、君の欲望の捌け口でしかない。僕を好きだっていう気持ちも、本当は僕を殺すのが好きってことなんじゃないの?」


 その言葉を聞いて、口を開きかけた彼女だったが、その口はゆっくりと閉じていった。

 彼の予想は正しくて、彼女は、否定のしようがなかったのだ。

 刃物を持っていた手に力が入らずに放しかけた時、彼の手が彼女の手を握って、ナイフを手放させなかった。


「でも、それでいいんだよ。好きの形なんて、毎回違ったっていい。僕もたぶん、笠嶋さんに殺されることが好きなんだと思うから」


 ナイフは、彼の首元の肌を掠めて、赤い液体を首筋に垂らしていく。


「僕を殺すことに罪悪感があるなら、その罪も一緒に、僕に背負わせてくれないかな?」


 完全には記憶の戻っていない中で出した、彼の答えに、彼女も応えなければいなかった。

 そのやり方は簡単で、自らの手に力を入れて、彼の首を切ってしまえばいい。

 問題なのは、記憶をまたリセットさせるか否か、だけだった。


 そして、彼女はいつものように不敵な笑みを浮かべてみせた。


「随分と好き勝手にごちゃごちゃ言ってくれてたけれど、要は私に殺されたいだけでしょう? だったら、お望み通り殺してあげるから……だから――――」


 彼女は一間置いて、自分の気持ちを全て込めるように、彼に尋ねかけた。



「――――また、私と契約してくれますか?」



 彼女の問いへの回答は、考えずとも彼の中で決まっていた。そして、彼女もそれを分かっていた。

 彼の口が開いたその瞬間に、自らの手に力を入れて、彼女はその首を切り裂いた。

 噴き出す血液を浴びながら、笠嶋真琴はずっと笑っていた。








 彼が死んで、気づいた時には、二人は向かい合って立っていた。

 夏の制服に身を包み、エアコンの聞いた教室で二人。

 そして、彼女はいつものようにその言葉を口にする。


「おかえり、“ツバキ”くん」


 それに対して、彼も一言、こう応えた。




「ただいま――――“真琴”さん」

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