(12)
笠嶋真琴によって椿本岳がめった刺しにされている光景を、新村麻衣は泣き叫びながら見ていた。
地べたに這いつくばりながら、生気を失っていく彼に向けて必死に手を伸ばしても、届かない。
返り血を浴びて嗤う死神のような美少女は、自分の無力さを嘆く暇も与えてくれなかった。
彼は、彼女に殺された。
そしてそれは、新村の目的の一部でもあったはずなのに、彼女の口からは「死なないで」という言葉が飛び出した。
死んでいく彼の姿を黙って、見ていられなかった。
その時点でもう、彼女の中から当初の目的は消え去っていた。
目の前で、岳は死んだ。
霧林圭の姿と重なるくらいにリアルな死だった。
確かに死んだはずなのに、気が付いた時には彼女は、生きている彼と向き合っていた。
――どうして……?
自分の置かれている状況が呑み込めないまま、目からは涙が溢れ出てくる。
それは彼が殺されて泣き叫んでいた体験と今の自分が少なからずは繋がっている事を示していた。
しかし、その繋がりはほんの一部に過ぎず、そうでなければ眼前に存在している彼の事を説明できない。
眼鏡を外して、制服の袖で涙を拭いながら、死んだはずの彼が、まだ死んでいないという事実をどう受け止めるべきか考える。
最初に思いつくのは、あれが現実ではなかったという解釈だった。
――もしかして、夢だったの……? いや、でもあれは……現実だった。確かに先輩は、私の目の前で、あの女に殺されてた。
否定する彼女は、意味不明な出来事に困惑しながらも考えていると、すぐに思い当たる節に辿り着く。
喫茶店で光琴と待ち合わせをしていた時、隣の席に偶然座った真琴と木下から聞いた話。
真琴が岳を殺しているという話。そして、それを前提として、二人は付き合っているという話。
彼女が岳を殺して付き合おうと思ったのも、それを耳にした事がきっかけだった。
同時に、彼の言っていた彼女が特別だという言葉も思い出して、新村は納得する。
「これが先輩の言ってたことなんですね。先輩が不死身なんじゃなくて、彼女さんが特別なんだって。何が起こったのかは、さっぱりわかりませんけど……」
涙声で話す彼女は、あれだけ泣き叫んだのにもかかわらず、喉に全く違和感がない事に驚く。
それも彼女の特別な何かに起因する事は間違いなかったが、考えたところで意味がない、と彼女はそれ以上足を踏み込むのをやめた。
涙によって洗い流されたしまったからか、あれだけ固執していた岳にもう興味はなく、これ以上二人と関わる気が全く無かった。
――ああ。バカだ、私は……
そして彼女は、死んだ彼と付き合おうとしていた事を途轍もないほど後悔していた。
――もう好きな人を失くしたくないからって、死んだ人が好きだって自分に言い聞かせて、先輩を本気で殺す気だった……
それなのに彼女は、目の前で彼が殺されると狼狽えて、必死になって泣き叫んだ。
本当に彼の死を願っているのなら、取り乱す事もない。
――私はずっと矛盾してて、でもそれを認めたくなくて……目を逸らしてただけだったんだ……
彼女は自分で矛盾に気が付いたが、その気持ちを岳と真琴の前に
あれだけ二人の事を釣り合わないと思っていたはずなのに、今ではそんな感情も跡形もなく消え去ってしまった。
あんなにも残虐な行為を二人の同意の下で行い、付き合い続けられるのなら、釣り合う釣り合わないの問題ではない。
岳と真琴の二人でなければ、絶対に成り立たない関係だった。
だからこそ彼女は、二人に言わなければいけないと思った。
本当にその関係のままで良いのか、と。
「先輩のことはもう諦めようと思います。迷惑をかけてしまってごめんなさい。でも、一つだけ言いたいんですが、先輩たちは本当に今のままでいいんですか? 二人のやってることは、私が望んでいたことと、あまり変わらない気がします」
彼女自身、自分の言葉が二人にとっては余計なお世話に過ぎない事を、分かった上で話していた。
「その行為をみぃちゃんの前で……二人のことを大切に思ってる人の前でもやることができますか?」
目の前で二人の殺人を見せつけられて、自分がやろうとしていた事の愚かさに、彼女は気が付いた。
だが、果たして岳と真琴は、自分たちがやっている事の愚かさに気が付いているのかは、甚だ疑問だった。
岳の事を死んでもいい存在だと思っていた自分でさえ、あんなにも取り乱す羽目になったのだから、彼の事を大切に思っている人は、彼らの行為を許しはしないだろう。
「やれるよ……」
そう答えた岳は、後ろめたそうに新村から視線を逸らした。
彼は多分、気が付いている。が、問題は真琴の方だった。
「そうですよね。椿本先輩は笠嶋先輩のことが大好きですもんね。でも、私には、先輩たちがこのままの関係をずっと続けられるとは到底思えません。どんなに先輩が笠嶋先輩のことを好きで、殺されることに耐えられたとしても、多分すぐに終わりが来ます」
断言する新村の発言を、否定したいが飲み込んでいる複雑な表情で、彼は聞いていた。
真琴の方の表情に変化はなく、何もない空中を見つめていた。
「あれだけ先輩の死体を求めていた私が、死んでいく先輩を目の前にした瞬間に耐えられなくなったように、笠嶋先輩が耐えられなくなる日が、そう遠くない未来に来るはずですよ」
真琴の顔を窺うように、岳は視線を彼女に落とす。
黙ったまま、どこかを見つめている彼女の表情は、岳には少しだけ怒っているようにも見えた。
「ありがとうございました。私もこれでスッキリしました。もう先輩たちの関係に口出すことは無いです。でも、先輩……みぃちゃんにだけは、二人の関係のこと、ちゃんと早めに話してあげてくださいね」
笑顔で彼女はそう言って、数学科準備室から扉を開けて出て行った。
文化祭当日。
大きな出来事が一区切りつき、ほっと胸を撫で下ろす暇もなくやってくる、大きな学校行事。
岳のクラスでは、校舎の外に並べて張られたテントの一部で、チュロスを売り出す予定だ。
――すぐに終わりが来る、かぁ……
開店に向けた準備が進められていく中、やる事もなく昨日の新村の発言を思い出していた岳。
彼女の言う通り、岳自身も真琴との関係をこのままずっと続けられるとは思っていない。
真琴は岳の事を、ただの殺されてくれる男くらいにしか思っていないのだから、それ以上の望みはない。
彼女が満足してしまえば、すぐにでも捨てられる岳の存在ではあるが、新村の言い分は違った。
真琴の方が耐えられなくなる、と彼女は言っていたのだ。
――そう……なのか……?
そこは岳も首を傾げるが、考えても仕方がなく、今日やる事を一先ず終わらせようと動き出す。
クラスで決まった時間の割り振りを見て、自分がいつ売店の方で作業すればいいのかを確認する。
同時に、携帯電話の画面も何度も確認して、どこか落ち着きのない様子の彼に、真琴は背中から声を掛ける。
「ツバキくん。お店の担当は午前中だけだったよね?」
彼女の声を聞いた瞬間、慌てた素振りでスマートフォンをしまいながら、彼女の方を向く。
肝心の質問の内容を聞いていなかった彼が、どう答えて良いか分からずにあたふたしていると、彼女は優しく繰り返した。
「売店の担当時間、午前中だけだったよね? 午後からは暇?」
「あ、うん。僕もそれ聞こうと思ってたんだ」
昨日の新村の発言の後、少し怒っているように見えたのは気のせいだった、とほっとして余計な事を口走ってしまう。
訝しげな表情で見る彼女に「なんでもない! こっちの話!」と彼は、大きな声で答えた。
「それで、なにか用があるの?」
「私も午後から暇だから、一緒に文化祭回ろうと思って。いいでしょう?」
断るわけもなく、岳は快く頷いてみせた。
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