(6)

 新村は、死んだ岳と付き合いたいという自らの願望を、捨てようとはしなかった。

 且つ、彼女の我儘の被害者となる岳と、話し合おうともしなかった。

 そんな彼女の姿勢は、とても自己中心的で、その中の一部には、真琴と被る面もあった。


 だが、岳は、新村と真琴が同じような部類の人間であるとは認めたくなかった。

 真琴は、自らの身に起きている現象と殺人衝動を説明し、彼にメリットを持たせた上で、契約を図った。

 一方で、新村の方は、何も説明する事無く、ただ、自分の欲求だけを満たそうとしている。

 そこには、岳の意思は介在していない。

 だから、こう答えるしかなかった。


「ムリだ。僕は、君の話を聞いてあげる事しかできない」

「じゃあ、文化祭の日までに決めてくれませんか? あなたが死ぬか、それとも……あなたの彼女が死ぬかを――――」


 彼女がその言葉を口にした瞬間、岳は、ものすごい形相で、彼女の胸倉に掴みかかった。

 後輩で、しかも女性であるという事も忘れ、ただ、怒りに任せて、体を動かしていた。


「真琴さんは、関係ないだろ……?」

「先輩の彼女さんの会話から、先輩に辿り着いたんですから、大いに関係あると思いますけど? というか、この手、放してください。叫びますよ?」


 彼女にそう言われては、岳も手を放さざるを得ず、周りを顧みず、衝動的に行動へと至った事を反省する。

 「ごめん」と謝罪する彼を軽蔑するような目で見ながら、新村は自らの襟元を整える。


「意外と乱暴なところがあるんですね。少し驚きました。それだけ、大切に思っているんですね……そんな大事な彼女さんを、どうしても、巻き込みたくないというのであれば、先輩が死ねばいいだけです。ただそれだけでいいんですよ? ずっと、そう言ってるじゃないですか?」


 彼女は、一方的な主張を続けている。

 彼が対話を求めようとしても、聞く耳を持たず、挙句には真琴を巻き込んでまで、自分の目的を達成しようとしている。

 異常なまでの執着には、必ず、理由があるはずなのだが、教えてはくれない。


「私は、私の望みを叶える為なら、喜んで先輩方の悪役になってみせます。では、文化祭の日を楽しみにしてますね。いいお返事を」


 そう言い残した彼女は、岳に背を向けると、橋の上をテクテクと歩いていく。

 楽しみなのは彼女だけで、彼には楽しみの「た」の字も感じられない。

 光琴から得た情報で、真琴を救う手立てを掴めそうな時に、彼の頭を悩ませる存在が、新たに現れてしまった。


 ――勝手に決められた期限……文化祭は、来週の金曜と土曜の二日間……それまでにどうにかしないといけないのか。


 自分の命か、それとも、真琴の命か。

 どちらを選択するにしても、被害者はそれだけでは治まらない。

 加害者となる新村も、ある意味の被害者と言えるし、二人に関わりのある人々にも悲しみは広がってしまう。

 悲劇にはならない解決策が絶対に存在すると信じて、岳は、見えなくなった彼女の方角から、体の向きを変えて、足を一歩、前に踏み出した。








 翌日の放課後。

 例によって岳は、数学科準備室へと向かっていた。

 もういつもの事なので、何も考える事無く、自然と足がそこに向かっていた。

 目的は勿論、真琴に殺される為である。


 そんな彼女はというと、放課後の課外授業が終わるな否や、さっさと一人で教室を出て行った。

 淡泊な性格であるのは間違いないが、いつもと変わりない事なので、岳は気にしない。


 彼女が先に行ってしまった為に、彼は一人で廊下を歩いていく。

 足取りはいつものように、重たかった。その理由は、複数ある。

 彼女に殺される事への苦痛だけでなく、昨日の新村との件や、花火を見た後からの真琴の冷たい態度と、色々だった。

 積もっていく課題を一つ一つ、取り除いていかない事には、軽くなってはいかない。


 とりあえず、今日のノルマとも呼ぶべき、彼女に殺される事を、終わらせてしまおうと、岳は例の部屋の扉を叩いた。

 返事はないが、扉を開けて、中に入る。

 椅子に座って待っていた彼女と、彼の目が合った。


 彼が扉を閉めるのと同時に、彼女は立ち上がって、彼の元に歩いていく。

 そして、彼を扉に押し付けるほどの至近距離まで詰めたところで、ナイフを装備した。


「じっくり、殺してあげようか……?」


 耳を舐められたのではないかと錯覚するくらいに、近い距離から彼女の声が聞こえてきて、岳は思わず自らの身を震わせる。

 彼女の吐息を肌で感じながら、岳は彼女の質問に頭を傾ける。

 痛みに耐える時間は短い方が良いに決まっているので、じっくり殺されるよりは、一瞬のうちに一撃で息の根を止めてくれた方がありがたい。

 しかし、彼が質問に答える間もなく、彼女は彼の首元に目掛けて、ナイフを突き刺した。


「やっぱり、手早く済ませた方が良いよね」


 彼女の言葉を聞きながら、岳は、扉と彼女との間で、地面に落ちていく。

 意識は闇に引きずり込まれていき、その深淵の果てを見る前に、岳は、目を覚ました。



「おかえり、ツバキくん」


 聞き慣れた彼女の声と共に、ナイフで刺される前の状態に、戻る事ができたのを実感する。

 安堵する岳とは対照的に、いつもの彼女なら、そのまま机の方に戻ってしまうが、今日は違った。


 彼の元をすぐに離れる事無く、じっと彼の顔を見つめていた。


 ――顔に、なにかついてるのかな……?


 照れて顔を赤らめる彼を他所に、彼女はずっと見続けて、彼の照れも限界を迎えそうになっていたところで、ぽつりと呟く。


「なにか、あった?」


 そう聞かれた瞬間、岳は、はっと目を見開いた。


 ――真琴さんが、僕のことを気にしてる……!?


 彼女が自分の事を気に掛けているという事実に驚き、殊更に感動していた。

 彼女の言葉の通り、あったにはあったのだが、それよりも先に岳の頭に浮かんできたのは、彼女に送ったメッセージについてだった。

 彼女への申し訳ない気持ちが湧き上がってきて、彼の口から出てくる。


「最近、真琴さんが不機嫌なのは、僕のメッセージのせいだよね……あんな無神経な内容のもの送っちゃって……本当にごめん」


 目と鼻の先にいる彼女に向かって謝罪すると、彼女も驚いた様子で、反応に困った顔をしてみせる。

 そして、そんな彼女が次にとった行動によって、岳の赤面が加速する事となる。


「違うよ。ツバキくん……――――」



 ――え???????


 彼女は、岳の胸に飛び込んで、そのまま背中に両腕を回して、抱き締めたのだった。

 彼女の行動で、岳は、完全に思考停止する。


「ちょ、っと……!? 真琴さん!?」


 その身を後ろに退こうにも、背中には扉があって、どこにも逃げようがない彼は、どうしていいか分からない。

 とりあえず、彼女に触れないように両手を上げると、彼女は言葉を続けた。


「私が勝手に、不機嫌になってただけで、ツバキくんはなにも悪くないから。謝らなくていいよ。むしろ謝らなきゃいけないのは、私の方かもしれない」

「いや、でも……軽はずみな発言だったと思うんだ。真琴さんのこと、ちゃんと考えてなかったわけじゃないんだけど、気持ちだけが空回りしてたというか……」


 それを聞いた彼女は、岳から離れて、いつものように人をからかうような笑顔をしてみせる。


「まあ、確かにそれもそうね。あれでちょっと傷ついちゃったから、慰めてくれると思って、ツバキくんの元に飛び込んだのに……抱き返してくれなくてとても残念だったわ」


 彼の元から離れながら、彼女は椅子に座り直す。

 岳は、顔を手で扇ぎながら、彼女と対面するパイプ椅子に座った。


「それに、もう一度言っておくけれど、私が救われることはないから」


 座るとすぐに、念押しするように、彼女はそう言った。

 昨日とは岳の様子が違う事に気づいていた彼女。

 隠していたところで、何も解決する気がしない上に、話したら、助言をしてもらえるかもしれない。

 岳は、昨日起こった出来事について、彼女に話そうと、口を開く。


「真琴さん、実は昨日、後輩に告白されて……――――」


 彼女は大人しく、彼の話の内容を聞いていた。

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